とやまの見え方・「春宵十話」が読みたくて「紫の火花」を読んでいたら

2021年2月10日投稿

 「春宵十話」という随筆集があります。著者の岡潔さん(1901-1978)は著名な数学者です。この随筆集は1963年に出版されましたが、私がこの本の存在に気付いたのは、上京して間もない恐らく1970年前後で、きっと学生街の古本屋のことでした。

 「春宵十話」だなんて、なんとも魅惑的な書名に引きつけられました。古書店では、パラフィン紙に丁寧にくるまれ書棚に並んでいました。この時は購入しませんでした、眺めただけでした。当時は学生運動が真っ盛りでしたが、保守的なグループの講演会の演者として、岡さんの名前が宣伝ビラやタテ看板に掲載されていたことをおぼえています。

 やがて年月は経ち社会人になり、ついに単行本を購入しました。しかし、どうも話の運び方の波長があわなくて、すぐ閉じて書棚のどこかに行ってしまいました。今になってわかったのですが、この本は、岡さんの〝肉声を文字起こし〟したものだそうで、つまり岡さんの〝談話を聴く〟心持ちで読めばよかったのでしょうが、当時は気が付きませんでした。その後も文庫本などで購入し、都合3冊も購入したことになるはずですが、いずれも中途半端で、納屋のどこかに片づけたのか所在不明です。

 さあて、最近、いつもの書店に行ったら、岡さんの別の随筆集が〝56年ぶりに復刻〟との触れ込みで文庫本になって出ていました。その書名は「紫の火花」といいます。

 岡さんによると、芥川龍之介の言葉から、「その激しい決意の表現を借りた」とのことですが、これまた、なんと魅惑的な書名でしょう。「春宵十話」の〝助走〟のつもりで購入しました。

 そうしたら、書き出しは、次のように始まっていました。
 〈「春宵十話」でとりあえずお話したことを詳しくご説明しておきたいと思うのであるが、それには非常な難関がある。「情緒」を説くことがそれである。─ 後略 〉

 おおっー、この文庫本は「春宵十話」の解説だ、この機会を逃すと、二度と「春宵十話」を読了する機会がない…ような気がして、とばしとばしながらも読み進み、巻末近く「春の水音」と題する随筆までたどり着きました。

 その中の「月ヶ瀬」と題する一文は、岡さんが画家の河上一也さんとバスで月ヶ瀬まで出かけたときの道中記です。少し長くなりますが、岡さんの文章を抜き書きしてみます。なお、岡さんは松尾芭蕉について造詣の深い方であることも念頭にお読みください。

 〈これも河上さんの話だが、だいぶん前に、小杉未醒という西洋画家がいた。この名は私も知っているし、絵も見た。その後聞かなくなって、どうしたのかと思っていたのだが、洋画家をやめて、日本画をはじめ、号も放庵とあらためたのだという。

 その小杉放庵がだいぶ高齢になってから、長くかかって「奥の細道」という画集を描きあげた。十三とか、絵が描いてあるという。勿論、芭蕉の「奥の細道」から選んだものである。紙は自分で出雲へ行って指図してすかせた。河上さんの話では、画集を描きあげることをゆっくり楽しむという気分が全体に出ていて、実によいものだった。こういう画集は、もう出ないだろうということであった。〉

 ここで、越中八尾のおわら節の歴史をご存知の方ならピーンときたでしょう、この小杉放庵(1881-1964)という画家は、日光市の生まれだけれど、戦前に八尾で「八尾四季」という歌詞を作るなどして、風情あるおわら節の牽引者の一人として、八尾で大切にされている人です。ちなみに、その「八尾四季」をご紹介すると

揺らぐ吊り橋 手に手を取りて 渡る井田川 オワラ 春の風
富山あたりか あのともしびは 飛んでいきたや オワラ 灯とり虫
八尾坂道 別れてくれば 露か時雨か オワラ ハラハラと
もしや来るかと 窓押し開けて 見れば立山 オワラ 雪ばかり

 これまで私は、小杉放庵という人は有名人らしいと、ぼんやり思っていたけれど、岡さんの記憶に残っている画家だったんですねぇ。

 私は、いっぺんに小杉放庵、岡潔の御両人に親しみが湧き、早速いつもの書店へ出かけ「春宵十話」の4冊目を購入してしまいました。読後、岡さんが諧謔性(「解説」中にある元文部大臣元東京大学総長、有馬朗人氏の評)のある数学者なので驚きました。

引用参考文献
「紫の火花」 岡潔著 朝日文庫 2020年3月刊
「春宵十話」 岡潔著 光文社文庫 2006年10月刊

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