とやまの見え方・「富山のト」、「富山に京あり」
2021年1月10日投稿
枕元の本の山から、『いろはかるた随筆』(戸板康二著)という本が覗いていたので、ひっぱりだしました。
いつごろどこで購入したか記憶にないのですが、古本です。本に印刷されている定価は1,000円とありますが、本の裏に「1,500-(S48)書き込み有」と古書店によるエンピツ書があり、どうやら1,500円で購入したようです。
「いろはかるた」に関する趣味的な本で、劇評論家、作家の著者戸板康二さん(1915-1993)の洒脱な随筆にひかれて購入した覚えがあります。
ただ、戸板さんの随筆には、歌舞伎などの話題が盛り込まれているのが常で、歌舞伎をほとんど知らない私には難解ですが、読んでいると何か心地よくて、どの本もついつい開いてしまいます。
この本は、日本の伝統的な「いろはかるた」のことを、例によって江戸文化、歌舞伎、言葉遊び、世相風刺の知識などをふんだんに盛り込んで記述しており、てこずって読了できず、枕元に積んであるというわけです。
さて、この本によると「犬も歩けば棒に当たる」のいわゆる「犬棒かるた」といわれる江戸の「いろはかるた」について、最後の札は「ん」でなく「京」つまり「京の夢大坂の夢」で終わっていることを、戸板さんによると、
いろはかるたは、「はね仮名」「はね字」の「ん」のかわりに「京」で結んでいる。江戸をふり出しにして、京にたどり着いて『上り』になる絵双六から思いついたのであろう。
と、あります。
ちなみに、「い、ろ、は…」と指折り数えたら「…も、せ、す」までで47文字、これに続く48文字目は、「ん」の代わりに、「京」をあててあります。
また、上方のかるたは、「一寸先闇の夜」で始まり、最後は、やはり「ん」を入れず、「京」を入れて「京に田舎あり」の言葉で結んであるそうです。
そんな具合に、戸板さんの蘊蓄を楽しんでいて、次のような一文に気づきました。
電話で電報文を送る時に、誤りを防ぐために、特殊な合い言葉が、昔からできている。
ぼくは、知っていてもついそれを使わず、勝手に「徳川家康のト」とか、「テレビのテ」とかいい、それでも115番は受けてくれるが、日本電信電話公社には、「和文電報に使う通信用語は、次のとおりとする」として、規定された表現があるのだ。
それは五十音順で表示してあるのだが、仮にいろは(の順番)に直して紹介すると、
「イロハのイ」「ローマのロ」「はがきのハ」「「日本のニ」「保険のホ」「平和のヘ」「東京のト」「ちどりのチ」「リンゴのリ」「沼津のヌ」「るすいのル」「尾張のヲ」「わらびのワ」「為替のカ」━中略━「もみじのモ」「世界のセ」「すずめのス」「おしまいのン」
さあ、これからが肝心なのだけれど、戸板さんは、続いて次のようにお書きです。
戦争前の表を見ると、「東京のト」ではなくて「富山のト」を使っており、「オ」が「才(サイ)のオ」、「ク」が「車のク」、「ミ」が「蜜柑のミ」、別に旧仮名の時代だから、「井戸のヰ」というのがあった。
いかがですか? 日本全国で使用された和文電報の通信用語として、「富山のト」があったそうですよ。どうも、戦前は、東京に伍して我が富山の、“通り”もよかったようです。
そこでですが、先に紹介した上方の「いろはかるた」の最後の札「京に田舎あり」のことなのですが、戸板さんによると、これは芝居のセリフに出てくると紹介されています。それは、「一条大蔵譚、檜垣の場」につぎのようにあるそうです。
「京に田舎あり、田舎に京ありとは、このことじゃなア」
ここに「京に田舎あり」云々とは、「賑やかな京の街にも、鄙びたところがある。田舎にも、京に似た賑やかなところがある」ということのようです。
そうだとすると、電報用語の「富山のト」は、「京に田舎あり、田舎に京あり」を「東京に田舎あり、富山に京あり」と読み替えても差し支えない“証”じゃないでしょうか。
(引用参考文献) 『いろはかるた随筆』 戸板康二著 丸ノ内出版 昭和47年12月刊