FIBAワールドカップとリーダーシップ(後編)
日本バスケ男子代表のオリンピック大会自力出場という歴史的快挙に際し、リーダーシップの切り口から印象的だったことを記録しておく個人的メモの後編です。
前編では、トム・ホーバスHC、渡邊雄太選手、Bリーグチェアマンの島田慎二氏のリーダーシップについて書きました。
後編では、日本バスケ界におけるガバナンスの“歴史的快挙”を成し遂げた2人のリーダーについて改めてご紹介したいと思います。
「Bリーグの父」パトリック・バウマン氏
バスケ界以外ではご存じの方は少ないかもしれませんが、Bリーグが開幕する前、日本バスケ界は分裂状態にありました。
この状態に終止符を打つため、東京2020大会開催地が東京に決定した2013年当時FIBA事務総長を務めていたパトリック・バウマン氏は、翌2014年12月に来日し、日本バスケ界の統合を迫りました。統合できなければリオオリンピックへの出場権を認めない、とまでして、オリンピック大会開催国バスケ界のガバナンス統合に尽力した方です。
この来日の直後に立ち上がった、「FIBAタスクフォース」による日本バスケ界統合までの経緯については、当時メディアでも取り上げられ、経緯を綴った書籍なども出版されていますので、ここでは割愛させて頂き、それらのメディア等で語られていない、2014年のバウマン氏来日までの経緯の個人的メモと、彼が最初の記者会見で日本のバスケ界・バスケファンに伝えた最も大切なメッセージに触れたいと思います。
実は、パトリック・バウマン氏は、私がオハイオ大学大学院でスポーツビジネスを学んでいた時(2003年)から取材やリサーチ等で最もお世話になったメンターのひとりで、日本バスケ界の分裂状態については、リサーチで(当時はジュネーブ空港近くにあった)FIBA本部を訪問した時や世界各地で開催される大会でお会いした時などにお話し、「日本は外圧がないと変われないから、FIBAが介入し協力してほしい」というお願いを(ひとりのバスケファンとして個人的に)していました。(私が日本バスケ界統合への支援を直訴するためにFIBA本部を訪れた、と誤解されている方もいらっしゃるようですが、そうではありません。もともと大学院のリサーチや取材でアポがあり、その際に何度かお願いしただけです。)
ただ、当時のFIBA憲章には、内政不干渉条項があり、FIBAは加盟国の国内情勢について介入する権利を有さず、すぐに介入することはできませんでした。でも、公式な介入という手続きはとらず、例えば2009年2月の来日の際など、記者会見等で統合の必要性について言及し行動喚起したことは何度かありました。私も、自分にできることは限られているとは認識しつつも、当時分裂中だった両リーグ幹部の方々との関係性を保ちつつ、何か貢献できればと考えていましたが、一筋縄ではいかず、なかなか進展はありませんでした。
結果として、FIBAの異例の介入により、日本バスケ界の歴史的統合が成し遂げられたのは報道の通りで、東京2020大会の開催決定という流れは大きな要因としてあったものの(東京2020大会開催決定後、FIBAは憲章を変更し、内政不干渉条項を削除しました)、日本の内政に強制介入するというバウマン氏(FIBA)の決断と行動が、今回のバスケ日本男子代表の歴史的快挙に大きく寄与していることは間違いありません。
次期IOC会長とも言われ、世界スポーツ界の頂点で様々な改革を牽引したトップリーダーが、2018年10月に急逝されたという訃報は、日本バスケ界のみならず、世界スポーツ界全体にとって衝撃でした。私も悲しみに打ちひしがれましたが、一昨年の日本代表女子の東京2020大会銀メダルに続き、今回の男子代表の歴史的快挙で、日本バスケ界としてのご恩返しになったかな、と感じています。
そのバスケ日本代表男子が48年ぶり五輪自力出場を決めた9月の最後の週に、タイミングよくジュネーブ出張が入り、ローザンヌにある彼のお墓を初めて訪れてご報告と御礼も伝えてきました。IOC本部近くの、オリンピックの父クーベルタン男爵やココ・シャネルも眠る墓地から、バスケ日本代表のパリ大会での活躍も応援してくださることでしょう。
バスケ界統合をリードした川淵三郎氏
日本バスケ界の歴史的統合のもう一人の立役者、川淵三郎氏は、Jリーグを創立したカリスマリーダーで、バスケ界の自力統合がなかなかうまくいかなかった時期、私の記憶が正しければ2014年末のバウマン氏の初来日のほんの数か月前に、この大仕事を引き受けてくださいました。
関係者の方から、川渕氏が引き受けてくださることになったことを初めて伺った時は、帰国してすでに8年近く経っていましたが、なぜか瞬時に、「川淵さんなら、うまくいきそう!」と直感的に感じたことを今でも覚えています。後にご自身で「コペルニクス的な発想が必要」と繰り返し強調されていましたが、まさに、スポーツ界でのご実績やカリスマ性だけでなく、そういうイノベーティブな(ある意味“変わった”)発想ができ、且つ現場を動かし前代未聞の変革を加速度的に推進していく行動力も兼ね備えたリーダーが必要だと思っていたからです。当時の私にはそれが誰なのかわかりませんでしたが、個人的には、川淵さんはイメージしていたリーダーにピッタリの印象でした。
私自身は、国内での統合プロセスには、頻繁に突然実施される記者会見に出席すること以外はほとんど何もできていないのですが、川淵さんのリーダーシップで最も印象に残っているシーンは、なんといっても、初回会合での、あの迫力の怒りの冒頭演説です。
対立していた2つのリーグに所属する社長全員が出席しての公式会合は、おそらくバスケ界分裂後初だったのではと思いますが、その冒頭のご挨拶は、現状に至るまでの状況を放置していたことに対する日本バスケ界のリーダー達への責任を真っ向から問う内容でした。ご自身がよく「あの時は血圧が200を越えていた」と話されている有名なシーンですが、たぶんそうだったのでは、と思えるくらいの熱量と声量があり、脇の末席で聴いていた私も、ただ涙が溢れ、流れ続けてどうにもならなくなるくらいの迫力でした。(私の場合は、それが怖くて、というよりは、ありがたさによる感動で。)
統合プロセスにおける彼の貢献は、報道等にある通りですが。想定外の難題山積みの状況を、期限までにクリアにし、当時分裂していた二つのリーグ(NBLと bj リーグ)統合を果たした偉業は、今後も語り継がれることと思います。ある重鎮の方も、「川淵さんからの経費申請の領収書は1枚たりとも見たことがない」と断言されていましたが、完全ボランティアでこれだけの貢献をしてくださったというのも感謝しかありません。だから、川淵さんが今回のパリ大会出場に王手をかけた勝利の直後に「嬉しい」と投稿されていた時は、私も心から「良かった」と思いました。
https://twitter.com/jtl_President/status/1695820506782658647
バウマン氏が日本バスケ界に伝えた重要なメッセージ
ガバナンスの歴史的快挙、日本代表の歴史的快挙は、もちろん多くの人の尽力と協力で成し遂げられた偉業です。そしてその偉業を導いたリーダーに、改めて敬意を表したいと思います。
最後に、これまであまり報道されていない、バウマン氏がバスケ界統合のための最初の記者会見で、「ファンも含めた日本バスケ界全体」に伝えたメッセージを改めて共有したいと思います。それは、
「ひとりひとりがリーダーになる」
ことの大切さです。英語では、たしか、"Everyone in Japanese basketball is a leader" というような表現をされていたと記憶しています。この言葉を聞いて、彼との10年近くの交流から私が感じたのは、分裂状態が続いたのは、広い視野で考えれば、当時のリーダー達だけの責任ではない、と伝えたかったのでは、ということです。日本的感覚からは理解するのが難しいかもしれませんが、例えば、ファンが団結して統合を迫る署名活動をすることもできたわけで、そういった行動を起こすことなく、ガバナンスを「リーダー任せ」にしていた人々が、リーダー達だけを責めるのは何か違うんじゃない?と問いかける意図もあったのでは、と私は理解しました。
だから、彼が急逝した直後、悲しみに暮れながら、日本バスケ界の歴史的統合を機に創立した非営利団体「Next Big Pivot」の活動として実施したバウマン氏追悼プロジェクトでは、バスケ界関係者・ファン方々に、それぞれの経験やスキルを活かしてバスケ界の発展にどのように貢献するのかについてのコミットをSNS投稿頂き、発信をまとめてFIBAに提出しました。
FIBAから特別にバウマン氏の公式葬儀フォトの使用許可を頂き実施したこのオンラインプロジェクトで真っ先に行動(投稿)してくださった方々のひとりが、現Bリーグチェアマンの島田慎二さんです(当時は千葉ジェッツ社長)。前編でもご紹介した、今回の歴史的快挙への牽引力にもなった彼の顕著なリーダーシップは、この「投稿を真っ先にする」という小さな行動にも表れていると思います。
そして、渡邊雄太選手のドイツ戦での空席問題に対するSNS発信は、まさにバウマン氏が期待した「ひとりひとりのリーダーシップ(行動)」が、いかに世界を変えるかを如実に体現しました。行動を起こした人が著名人の場合、変化が加速することは往々にしてありますが、バウマン氏が伝えたかったのは、著名選手でなくても、日本バスケ界に関わるひとりひとりが、それぞれのリーダーシップを発揮すれば、きっと素敵な日本バスケ界になる、ということだったと、私は思います。
それは、今回の歴史的快挙を、選手からファンまで日本バスケ界が一体となって成し遂げたのと同じように、ファンからバスケ界を支えるプロフェッショナル、そして選手まで、いろいろな立場の人々が、それぞれの小さなリーダーシップを忘れず、粛々と体現し続けることでしか、実現できないものだと、私は感じています。
今回の歴史的快挙から、バウマン氏が日本バスケ界に伝えたかったメッセージを、日本バスケ界が今後も大切にできるように、私も自分にできることに継続的に取り組んでいこう、と想いを新たにしました。
感動をありがとうございました!
最後までお読み頂きありがとうございました。