小説「年下の男の子」-18
< 前回はコチラ ↓ >
第18章-5「5月3日」
列車は両方向ともほぼ同時に駅に入ってきた。
井田と燈中は、一緒に列車に乗り、空いていたのもあって、並んで座った。
燈中は座席に座るなり、列車が発車する前に、井田の顔を見てこう言った。
「アタシ、井田くんへ告白したの、覚えてる?」
その燈中の表情は、思い詰めたような表情だった。
「う、うん。覚えてるさ」
「じゃ、アタシの気持ちは分かってるよね…」
「…分かってる」
「じゃあ、せめて、小谷ちゃんとあんなに親しそうにしないでほしかった…」
突然2人の間の空気が重たいものになった。
「……」
「アタシ、森田くんとペアになって、その間だけは井田くんのことを忘れられるかな、と思ったけど、森田くんはアタシには無理だった」
「無理?」
「うん。ノリが軽すぎるの。今度は2人でスケートに来ようよとか、部活帰りにデートしようよとか。アタシ、森田くんとは今日初めて話すくらいのレベルなのに、いきなりそんなこと言ってくるんだよ。アタシも一応返さなきゃいけないから、まだそんなの早いよーって言ってたんだけど、すっかり彼氏気取りになっちゃって。逆にアタシの気持ちは冷えてくばかりで。そんな時に井田くんを見たら、楽しそうに小谷ちゃんにスケート教えてて、小谷ちゃんも嬉しそうだったし、客観的に見たらまるでカップルだった…」
井田は返す言葉がなかった。
実際に小谷とペアになって、ほぼスケートは初心者の小谷に、自分なりにスケートの滑り方を教えていたら、確かに楽しかったからだ。
井田に原田朝子という彼女がいなかったら、小谷に惚れてしまうと思ったほどだったのも事実だったからだ。
だが燈中は、井田と原田が付き合っていることは知らない。
だから今日見た、井田と小谷のスケート場での振る舞いだけを見て、嫉妬しているのだ。
もし原田と付き合っていることを知ったら、燈中はどうなってしまうだろうか。
列車が走り出した後もしばらく無言状態が続いたが、燈中が無言の均衡を破った。
「アタシ、今も井田くんのことが好きなのは、変わらないよ」
「あっ、ありがとう…」
「でもね、告白の返事はアタシが吹奏楽部に馴染んだ頃でいい、学園祭くらいかな、なんて言ってたけど、井田くんと小谷ちゃんとのやり取り見てたら、アタシの気持ちがもう押さえられなくなってきたの」
「と言うと…?」
「早く返事が聞きたいの。ねぇ、井田くん、アタシのこと、どう思う?」
走る列車の中で、燈中は思いをぶつけてきた。井田は
「俺の…」
と言ったところで、言葉に詰まった。
第18章-6
井田は慎重に言葉を探していた。燈中を傷付けず、丸く収める答えはないか?
「俺の気持ち、ちょっと昔から話させてもらうよ」
「う、うん…」
「俺は、燈中さんが初恋相手だった」
「えっ?それ、本当?」
「こんな真剣な話で、嘘をつくわけないじゃん。本当だよ」
「それって、いつ頃?」
「中学入って、バレー部に入って、女子のバレー部を見たら小学校から一緒の燈中さんがいる!って思ったんだよね。そう言えば小学校でもバレーボールクラブだったし、当たり前か…と思ってた。最初は幼馴染の女の子が、女子バレー部にいるって程度の思いしかなかったんだけど、俺らが1年生の頃の練習って、男子も厳しかったけど、女子の方がもっと厳しかったじゃん」
「そう…だったね」
「その厳しい指導をしているのが原田先輩で、体操服がブルマだから女子だって分かったけど、ブルマじゃなかったら男子だって思っても仕方ないくらい、髪形もベリーショートだったし、厳しかったよね」
「うん」
「でもその厳しい練習が終わった後、原田先輩はコロッと変わって、女子部員のみんなによく頑張ったね、今日も…って労ってて、物凄い人だって思ったよ。そして幼馴染の燈中さんが、それでも何人か脱落していく中で練習を頑張って、1年生なのに夏の県大会予選に抜擢されたじゃん?」
「うん。よく覚えてるね」
「だってその頃、俺、頑張る燈中さんのことが好きだったから…。男子の練習しながら、いつも目は燈中さんを追っ掛けてたんだよ」
「そんな…。そうだったの?本当に?」
燈中の目が、少し潤んでいた。
「本当だよ。で、そんな頑張る燈中さんの事を、俺が勝手に片思いしてたんだけど、男子バレー部の先輩から、燈中さんにはもう彼氏がいるって聞かされて、俺は初恋に敗れたんだ」
「あっ、もしかして吹奏楽部の彼…」
「だよね?だから俺はそれ以来、燈中さんのことは、ワザと避けるようにしちゃって、俺から話しかけたりすることはしなかった。男女のバレー部が合同で何かをやる時とかは喋ってたけどさ」
井田は中学時代を思い出し、淡々と話した。
「確かにそうだったよね…。ある時から、井田くんとあまり話せなくなったな、とは感じてたんだ。そんな裏話があったんだね…」
「うん。俺はそうやって、燈中さんを好きだって気持ちを忘れようとしたけど、忘れられなかった。だって隣のコートで一緒の時間、男女別だったけど、バレーの練習してるんだから」
「……」
「でも忘れられたのは、燈中さんが女子バレー部の主将になった時かな。ああ、俺の手の届かない存在になったな…って思ったら、燈中さんを好きだって気持ちは、スーッと消えてったんだ」
「……」
燈中は涙を堪えながら、井田の話を聞いていた。
「だから、中2の秋くらいだよね、俺が吹っ切れたのは。燈中さんは女子バレー部の主将にまでなったけど、俺は単なるヒラ部員のままなのが確定したから、余計に燈中さんとの間に格差を感じちゃってね。でも3年夏の県大会は優勝したかったから、練習は手抜きなんかせずに頑張ったよ。だけどその3年夏の県大会予選で、左膝をやっちゃったんだよね」
「靭帯切ったんだっけ…?」
「そう。正式には内側側副靱帯損傷って名前らしいけど」
「覚えてるよ。井田くんが松葉杖で一生懸命歩いてる姿…」
井田は1ヶ月ほど、左膝にギプスをして、松葉杖を頼りに歩いていたのだった。当然、中3の秋にあった体育祭は欠場になってしまい、井田のいたクラスの順位が、井田が競技に出れなくなったため、かなり下位になってしまった。
「好きな女の子とは縁がなかったし、最後の大会でケガをするし、そのせいで体育祭は見てるだけになっちゃって、中学時代の終盤は残念だったよ」
「…井田くん」
「ん?」
「ごめんね、井田くん…」
遂に耐え切れず、燈中は泣き始めてしまった。その時丁度、列車もいつもの駅へ到着したので、井田は泣いている燈中を庇うように列車から降り、ホームのベンチに座った。
「燈中さん、座って。泣かないでいいのに、俺のことなんだから。怪我だって俺の不注意だし。恋愛だって、勝手に俺が燈中さんをから好きになって、勝手に自爆しただけだし」
「だって…。アタシ…、幼馴染だから井田くんのことをちゃんと知ってるつもりでいたくせに、全然知らなかった…。そんな苦しい思いをアタシがさせちゃってた…。ごめんね、井田くん」
燈中は絞り出すようにそう言うと、再び泣き始めた。
井田はしばらく燈中の肩をトントンと軽く叩いて、落ち着くように促した。
「俺は気にしてないし。燈中さんは泣く必要ないよ」
「井田くんが気にしてなくても、アタシが気になるの。アタシ、井田くんの事情も知らないくせに、好きだから早く返事してよ、だなんて、勝手な女だと思う。ごめんね、井田くん…」
「……」
「アタシ、いい気になりすぎてた。N高女子バレー部で失敗したから、幼馴染の井田くんならバレー経験者としてアタシの事を分かってくれる、原田先輩もいる、だから吹奏楽部に入れば、アタシは頑張れる。要は甘えてたんだよね」
「甘えてた?」
井田は違和感を覚え、口を挟んだ。
「甘えてるよ、アタシは。行き場を無くして、吹奏楽部に助けて貰おうとしたんだもん。いや、吹奏楽部というか、井田くんに救いを求めてたんだもん。中学の時、井田くんの気持ちに気付かなかったくせに、今更井田くんの事を好きとか言って、助けて貰おうとしたんだから…」
燈中は再び泣き出した。
「泣かないで、燈中さん。甘えても当然じゃんか」
「なんで?」
燈中は泣きながら聞いた。
「だって、ここで頑張ろうって思って入ったN高の女子バレー部を、追い出されるように辞めさせられて、その時点で燈中さんは行き場が無くなった訳じゃん」
「…うん…」
「じゃあ、女子バレー部に代わる行き場を探すのは当たり前だし、どうせなら知り合いがいる所の方が安心じゃんか」
「…ねぇ、なんで井田くんはそんなに優しいの?ねぇ…」
燈中は井田の肩に顔を埋めると、号泣した。
あまりの号泣に、思わず井田達の方を見返すお客さんがいたほどだ。
「燈中さん、落ち着いて」
井田は肩口で泣き続ける燈中の肩を抱き、落ち着かせようとした。
「ゴメンね、こんな我儘な女で…」
「とりあえずさ、吹奏楽部は続けるよね?」
「う、うん…。井田くんが許してくれるなら…」
「当たり前じゃん。吹奏楽部の貴重な戦力だし」
「あ、ありがとう…」
燈中はやっと泣き止み、井田の肩から顔を上げた。
「じゃあ、俺からの提案だけど…」
「うん。なんでも言って」
「とりあえずお互いに、好きとか、嫌いとか、そういうのは一旦横に置いとこう」
「…そうだね。お互いの気持ちが同じ時に一緒になったら、改めてアタシから、井田くんに告白し直す。その時まで、友達でいてくれる?」
「うん。幼馴染じゃんか。絶交する理由もないし、仲良しな友達でいようよ」
「本当にありがとう、井田くん…」
燈中は、井田に握手を求めた。井田も握手に応えた。
「やっと泣き止んだね」
「ゴメンね。こんな、アタシで」
「ううん、中学の女子バレー部を、原田先輩の時代のレベルを維持し続けて、俺らの次の世代にバトンタッチしたんだよ、燈中さんは。凄いことをやってのけた女の子だよ、燈中さんは」
「ありがとう、井田くん。そんなに良い風に言ってくれて…。これからも仲良くしてね」
「うん」
2人はガッチリ握手を交わして、ホームのベンチから立ち上がった。改札を出ると、お互いの家は反対方向になる。
「じゃあ、また部活で、ね」
先に燈中が言った。
「うん。また音楽室で、ね」
「バイバイ!」
井田は、立ち去る燈中の背中を見送ってから、自宅に戻った。
「ただいま〜」
「おかえり正史。もう少し早く帰れば良かったのに」
井田の母がそう言った。
「へ?なんで?」
「吹奏楽部の部長さんから電話があったよ。ハラダさんって言ってたけど、この前一晩急に泊まらせてもらったハラダさんとは違う方だよね?」
「そっ、そう。この前泊まったのは、同期の男子のハラダくんだから」
井田は冷や汗を流しながら、架空の同期を作って、必死に答えた。
(朝子、どうしたんだ、こんなに早い時間に…)
「部長さんからのお電話だから、早目に掛け直しなさい」
「うん。でも母さん、部長さんと言っても女子だから、電話の内容、聞かないでよ!」
「はいはい、母さんはお風呂の準備でもしてるから、その間に電話しちゃいなさい」
井田は電話機のコードを目一杯引っ張って自分の部屋まで伸ばし、深呼吸してから原田家へ電話を掛けた。
するとベルが一度鳴るか鳴らない位の速さで、受話器が取られた。
「はい、原田ですが」
この声は朝子に違いない…が、念の為に…
「夜分失礼します。N高吹奏楽部の井田と申しますが…」
「あっ、正史くん!お姉ちゃんをご希望だよね?アタシ、裕子。やっぱり正史くんは礼儀がしっかりしてるよね。原田家の女が電話に出たんだから、正史くんのことを認めてる者に決まってるのに、夜分失礼します…で始めるなんて、もうカッコいいんだから!」
裕子が一気に喋ってる背後から、正史くんでしょ!アタシ、アタシに電話くれたんだから!裕子はどいてよ!という朝子の声が聞こえた。
井田は苦笑いしながら、受話器の向こうのやり取りを聞いていた。
「あん、もう!裕子は何分正史くんと喋ってるのよ!全く…。あ、正史くん、ゴメンね〜、電話掛けさせちゃって」
「全部聞こえてたよ〜」
「えーっ、マジで?恥ずかしいーっ」
「ハハッ、姉妹揃って元気なのが分かったからいいよ」
「本当に?まだ恥ずかしいんだけど…」
「うん、大丈夫。で、結構早く電話くれたみたいだけど、どうしたの?明日のこと?」
「そうそう、明日なんだけどね。昼にデートした後、アタシの家に泊まりに来ない?」
「え?ということは、お父さんは鹿児島へ…」
「そう。飛行機のチケットが取れたから、やっぱり最期の挨拶に行って来るって言って、今日の昼にもう出掛けたの。だから少しでも早く正史くんに伝えたくて」
「そうなんだ!嬉しいな〜。じゃあ明日の待ち合わせから決めようよ」
2人は翌日のデートプランを、電話で相談しながら少しずつ決めていった。
翌日は2人にとって、最高の1日になるはずだった。
<次回へ続く ↓>