小説「15歳の傷痕」-9
ー Teenage Walk ー
1
高校も1学期末のテストを終え、クラスマッチも終わり、夏休みに入った。
だが吹奏楽部は、8月末に開催される、吹奏楽コンクールに向けていよいよ練習に熱が入る時期だ。
夏休み前半は午後からの練習だが、8月のお盆ちょっと前からは、ほぼ丸一日が練習になっている。
俺が部活に向かう時、神戸と一緒になる時もあったが、神戸とは「喋らない」から「無視」に変化したので、これまでのようにわざと時間を潰してゆっくり歩いたりはせず、遠慮なく無言で追い抜かしていた。
神戸は神戸で、すっかり大村にベッタリだ。
いつも宮島口駅に大村が迎えに来ていて、一緒に登校していたから、俺一人が追い抜いた所で何も気にならないだろう。
実際、視線は感じたが何か言われることはなかった。
大村が横から「ほっとけ」とでも言っているのだろう。
そんな夏休み中のある日、部活に向かおうとしたら、伊野さんと玖波駅で一緒になった。
「上井くん!」
「あっ、伊野さん」
伊野さんから声を掛けてくれた。これは初めてのパターンだった。
「流石高校の部活は違うよね~」
列車の中で、ミーティングで配られた夏休み練習予定表を見ながら呟いたら、
「でも中学のテニス部もそんな感じだったよ。いや、もっと大変だったかも。夏休みは最初からずっと、朝から練習だったもん」
と、伊野さんが返してくれた。
列車の中では2人並んで座って、喋っていたのだ。
やっとこんなに気軽に喋れるようになった、と俺は感じていた。
それまではみんなと一緒の時じゃないと、なかなか伊野さんは発言することがなかったが、今では俺と2人だけの時でも、軽い口調で会話のラリーが出来るようになったからだ。
「そうだよね、伊野さんはテニス部だったんだよね。俺、それだけで尊敬しちゃうよ」
「えーっ、そんな尊敬なんて大袈裟だよ。上井君だって、吹奏楽部で部長してたでしょ?その方が尊敬だよ」
「い、いやぁ、偶々やらされただけだし。ずっと室内だし。暑い中、グランドでずっと動き回るテニス部の方が絶対に凄いって」
「そ、そうかなぁ」
伊野さんがそう言いながら少し照れている。もう少し追い込む場面かな?
「俺は体育が苦手だから、テニスやらせたら伊野さんが圧倒的に勝てるよ!」
「あははっ!テニスならアタシも、簡単に上井君には負けない自信があるよ。今度、テニスしてみる?」
うわ、なんかいい感じで話せてるぞ!
列車は宮島口駅に着き、2人揃って下車し、高校へ向かって歩き始めた。
勿論、楽しく会話しながらだ。
俺はすっかり有頂天だ。
大村と神戸の2人に対する怒りは、伊野さんといる限りは出て来ない。
このまま告白まで辿り着けないかな…。
2
「お前、最近伊野さんと雰囲気ええじゃん」
村山が夏休み中の部活帰りに言った。
「そう見える?」
「たまに偶然かもしれんけど、2人で一緒に登校しとるじゃろ。まあ帰りは松下さんと帰っとるし、そこに俺らが加わることもあるけど、春先と違ってお前と伊野さんの会話が、結構弾んどるなぁって思ってさ」
「うん。俺も何時までも神戸と大村に見下されたままじゃ悔し過ぎる。見返してやらなきゃ、気が済まないしね」
「そっか…」
村山は、神戸の本音を聞いているというのもあるが、上井の見下されてるとか、見返してやるとか、そういう考えには、ちょっと違和感を覚えた。そのために伊野さんを無理やり好きになろうとしてるのか?
「あれ?そんなに嬉しくなさそうだなぁ」
「いや、嬉しいよ。お前が自力で這い上がって来たんじゃけぇ。合宿に行く時、二度と傷付くのは嫌だから女の子は好きにならんって言いよったじゃろ?そこまで落ち込んでたお前が、恋愛に前向きになれたんじゃけ、それは喜ばんとな」
「ありがとう。でも心の何処かに、やっぱり怯えがあるんだ…」
「怯え?」
「酷いフラレ方してるじゃん、俺は」
「神戸から、だろ?」
「そう。だから、いくら女の子を好きになっても、両思いにはならないんじゃないかとか、俺が好きなだけで相手は単なる友達としか思ってないとか」
「お前の心の傷って、やっぱりなかなか完治しないなぁ。一度フラれただけじゃけど、恋愛に臆病になっとる。そうじゃろ?」
「否定出来ないよ。その一度の失恋が、あまりに俺には大きすぎるんだよ。確かに今は、伊野さんを好きになって、過去を振り切りたいと思ってるけど、伊野さんが俺のことを好きになってくれるとは限らないし。」
「まあお前の場合、単にフラれただけじゃなくて、フラレたのが一つ目の傷だとしたら、神戸が真崎とすぐに付き合ったのが二つ目の傷、そして神戸が大村に乗り換えたのが三つ目の傷、だろ?」
「その通りだよ。神戸にフラれた時は、俺が不甲斐なかったから仕方ないと思ったけど、その後の展開が酷過ぎる。なんで神戸ばっかり恋愛に恵まれて、俺はズタボロなんだ?って」
話している内に、宮島口駅に着いた。毎日暑いが、帰り道は下り坂なので、海からの風が吹き上がってきて心地よい。
「まあ俺は上井が、心の傷を治した上で、伊野さんに告白出来るように応援するけぇ、一旦神戸と大村のことは、忘れるくらいの気持ちになれよ」
「忘れるというか、無視してる。神戸は大村のせいで平気で掃除をさぼるようになったしね。そんな女子はアウトオブ眼中だよ」
2人は駅の横にあるもみじ饅頭屋で出来立てのもみじ饅頭を買って、食べながらホームで列車を待っていた。
「そこまで酷く言うか…。無理やりそう思い込もうとしてるんじゃないんか?」
「…その面があるのは否定できない。簡単に言えば、嫉妬だよなぁ…」
「嫉妬か…」
「何をやっても上手くいく神戸って女子と、何か空回りしてばかりの俺。元々世界が違ってて、好きになっちゃいけない存在の女子だったのかもしれない。だって小学校時代に、既に彼氏がいたんじゃろ?」
「ああ、アイツのことね。頭が良くてスポーツ万能で、広大付属中に行ったんよ。神戸がソイツから小学校6年の時に告白されて、一応付き合った…ことになるんかな?」
「そんな、俺が100人束になっても敵わないような男子が初彼だったら、俺なんて格下も格下、やっぱり世界が違うんよ。それに悔しいけど大村はイケてる顔だし、勉強も体育も得意。ホルンも嫌だっただろうけど、初心者の割には上達が早いし。むしろ俺なんかが神戸の元カレ歴にいちゃ、迷惑なんじゃないか、とすら思うよ」
「そんなに自分を否定するなって。ネガティブ満載じゃのう。中学の吹奏楽部じゃ、結構女子からモテてたんじゃろ?特に後輩の女子から…」
「そういう噂だけはいまだに聞くけど、バレンタインにチョコくれた後輩がいたわけでもないし、ラブレターをもらったこともないし、噂が独り歩きしとるだけだって」
「でもブラスの引退式では、お前が引退するのを寂しがる後輩の女の子が、なかなかお前を離さなかったって聞いたけど」
「幻だよ。唯一、卒業式の時にボタンをもらいに来てくれた1年生の女の子はいたけどね」
そこへ列車がやって来て、2人は話しながら乗り込んだ。
その2人の後を追うように、神戸千賀子も2人に見付からないように乗り込んでいたのだった。
3
神戸千賀子は、玖波駅で上井が列車から降りた後、村山に話しかけた。
「村山君…」
「え?おわっ!ビックリした~。まさか、もしかして、俺らの話、聞いてた?」
「う、うん」
列車はドアを閉め、次の駅へと動き出した。
「どの辺から聞いてた?」
「上井君が、アタシとは住む世界が違うとか言ってた辺り」
「あー、あの辺の話からかぁ。そうなんじゃ。で、俺らに気付かれんように、背後におったんじゃね」
「うん」
「アイツ、精神的になんか乱れとるんよ。話しててもネガティブだし、かと思えば…これは黙っといてね、アイツ、伊野さんのことを好きになろうとしてるんよ」
「サオリちゃんを?」
「で、たまーに2人で喋ってるのを見ると、まあまあいい感じではあるんだけど、上井が伊野さんと付き合おうとしとる理由が、大村と神戸さんの2人を見返してやるためだとか言ってるし」
「アタシと大村君を、見返す…かぁ…」
「そんな考えで彼女を作ろうとしても、上手くいかないって思ってるんじゃけどね」
「でも上井君は、クラスとか部活とか、表では明るく振る舞ってるけど、村山君に見せる本音はあんなにネガティブなんだね…。全部アタシのせいだよね」
「まあ、それも否定できない、かな。でも前にも言ったけどさ、もう船は進みだしたんじゃけぇ、神戸さんは大村と気にせず付き合えばええんよ。俺は上井が伊野さんを、変な意味じゃなくて本当に好きになって付き合いたいって思うようになったら、上井を応援して、何とかネガティブループから脱出させるようにするし、神戸さんとの関係も改善させたいと思うし」
列車はそのうち、2人が利用する大竹駅へ到着した。2人は話しながら降りた。
「アタシは大村君と付き合っちゃったけど、本音では…前にも言ったよね、上井君のことが忘れられないの。2人の話だと、アタシの小学校時代の彼が、上井君が100人束になっても敵わないとか、大村君は上井君より何もかも上回ってるとか、凄い自分を卑下しちゃってたけど、アタシは小学校時代の彼が100人束になっても、上井君には敵わないって思うし。第一、そんな子供みたいな頃の恋愛と去年のことを比較しても…」
「なのになぁ…。現実は上手くいかないよね」
2人は今日は、一緒に歩きながら改札へと向かっていた。
改札には、村山の彼女、船木典子がいた。
「村山くーん。こっちこっち。あっ、神戸ちゃんも一緒なんだ?久しぶり~」
「あっ、船木ちゃんじゃん!久しぶりだねー!」
女子2人が久しぶりに会うと、話が止まらない。村山は置いてけぼりだ。だが船木の発した次の言葉で会話が止まった
「そうそう、上井君とは順調?」
「えっ…それは…」
神戸は村山を見た。村山は船木に告白されて付き合い始めた時点で、上井と神戸は別れていたから、その件については全く船木には話していなかった。
「あっ、あのね…。別れたの」
「えっ?ホンマに?あんなお似合いな2人だったのに。村山くーん、そういう情報はちゃんと教えてよー」
「いや、あの、上井と神戸さんが別れたのは、結構前なんよ。だから船木さんも知っとるかと思ってて…」
「そうなん?だってさ、アタシ副部長やってて、話し合いとかあったら上井君の横におったじゃん。というか、おったのよ。その時に上井君を見る神戸ちゃんの顔が、祈るような顔だったのが印象的でさ。無事に終わりますようにって顔で…。それだけ上井君のことが好きなんだなぁって思ったんよね」
「…そうよね。アタシ、去年の今頃は上井君に夢中で、毎日楽しかったんだよね…」
「でも別れちゃったんでしょ?上井君が浮気したとか?いやでも彼はそんなこと出来そうな性格じゃないし。まさか神戸ちゃんが浮気したとか?」
「そうかも…浮気…になるのかな…」
「えっ?神戸ちゃんが?」
神戸は、上井をフッて真崎に乗り換えたこと、そして真崎と別れた後、今は大村と付き合ってる事を、淡々と船木に話した。
「そうなんだ…。神戸ちゃんには悪いけど、上井君、ちょっと可哀想かも。上井君とは話せてるの?」
「ううん、全然。話すどころか、目も合わせてくれないから」
「それって上井君が根に持ってるってことだよね。逆に言えば、すごい意識してる…。難しいね。別々の高校ならともかく、同じ高校で同じ部活で、さらに同じクラスなんでしょ」
「そうなの。だから本当は仲直りしたいんだけど、無理だと思ってるの」
「そうかぁ。アタシが副部長として仕えた上井部長だから、何とかしてあげたいな。ねっ、村山君!」
ちょっと暗くなった雰囲気を明るくしようと、船木は村山に声を掛けた。
「そ、そうだね」
「ねぇ、上井君には好きな女の子とか、いるの?それとも神戸ちゃんを恨むのに熱心で、好きな子はいないの?」
「まあ、1人おるよ。あ、船木さんも同じクラスだったから分かるよね、伊野沙織」
「サオリちゃん?へー、上井君がサオリちゃんを?何でだろう?」
「伊野さん、高校で吹奏楽部に入ったんよ。それで話すキッカケが出来たんじゃろうね」
「サオリちゃん、高校で吹奏楽始めたんだー。楽器は?」
「クラリネット」
「そうなんだ、頑張ってるんだね。あっ、そしたらさ、アタシと村山君が今度デートに行く時に、上井君とサオリちゃんも一緒に誘おうよ。ダブルデートすれば、2人の仲も上手くいくんじゃない?」
「ダブル?うーん、そうだね。一度計画立ててみようか…」
「そうしようよ!アタシなら、サオリちゃんも上井君も共通項があるから懐かしいって思ってくれるでしょ?村山君、プランニングしてみてよ」
村山は船木のお陰で、なんとなく上井を助けてやれるような気がしてきた。
「じゃあその線で。神戸ちゃん、上井君のことはアタシ達に任せて、気にせず今の彼、えーっと、村田?田村?君と付き合ってね」
「う、うん。ありがと」
村山と船木は何やら話し合いながら、帰って行った。
神戸は不思議な気持ちになっていた。
(…でもアタシは、上井君のことが忘れられない。どれだけ嫌われても…。いつか仲直りしたい。だけど今は、大村君と上手く付き合わなくちゃ…)
船木の打ち出したダブルデート構想は、上手くいくのだろうか。神戸は上手くいってほしいという思いと、壊れればいいという思いの、相反する気持ちが同時に頭の中でぐるぐると回り始めた。
(でもそんなにアタシと上井君って、お似合いだったのかな。やっぱり上井君をフッたりしなきゃ良かったんだ、あの時…)
神戸も自宅へと向かいながら、涙が一筋、頬を伝った。
(次回へ続く)