短編小説「バレンタインデー」中編
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3「夏休み合宿」
咲江の大学の軽音楽部では、夏休みの8月上旬に、大学のセミナーハウスを借りて、3泊4日の合宿を行うことになっている。
基本的には昼間は各バンドで練習して、夜は各バンドの発表会になっている。
大学のセミナーハウスと言っても、箱根にある結構立派な宿舎で、ほかの音楽系サークルも利用できるよう、防音の広いスタジオルームも完備されている他、箱根の観光名所を割引で利用出来る券が常備されている。
そのため合宿最終日には、ユネッサンという水着で入れる温泉施設で遊ぶというのが、軽音楽部の合宿の定番だった。
(えーっ、伊藤先輩にアタシの水着姿見られちゃうんだ、どうしよう…)
咲江が合宿説明会の後、1人で顔を真っ赤にさせてモジモジしていたら、グリーンズのリーダー、4年生の大谷が咲江に声を掛けてきた。
「どうしたの?サキちゃん」
咲江は、すっかりサークルに馴染み、女子からは学年問わずサキちゃんと呼ばれるようになっていた。
「あっ、大谷先輩。あの~、合宿最後の日のユネッサンって…」
「ユネッサンのこと?もうね、帰りたくなくなるくらい面白くて楽しい所だよ!サキちゃんはまだ行ったことなかった?いい機会だから、合宿を利用して、みんなで楽しもうよ!」
大谷はそう言うと、そのまま立ち去って行った。行動はバンドごと?自由?水着はどんなのを着たらいいの?等々疑問を抱えたままになってしまった。
その合宿までの夏休み中は、咲江の所属するグリーンズは週に1回、月曜日に夜の発表会のためのバンド練習があり、それ以外の練習日は担当楽器ごとで自由に決めてよいことになっていた。
大学生ともなれば、アルバイトの都合もあったり、あるいは県外から来ていたら実家に帰るという場合もあるだろうから、という理由とのことだ。
特別な理由があれば、その週1の合奏日も事前に届けておけば休んでも大丈夫らしい。
「サキちゃんは、サックスの練習日は何曜日が良いとか、希望ある?」
伊藤が聞いてきた。
「ハッ!す、すいません、ちょっと頭が違うことを考えてまして…」
「ハハッ、サキちゃんらしいな。じゃあもう一回。月曜が全体練習だから、俺とサキちゃんでサックスの練習をコツコツとしていかなきゃいけないけど、サキちゃんが都合の悪い曜日とか、ある?」
伊藤も、男子の中で唯一咲江のことをいつの間にかサキちゃんと呼ぶようになっていた。
「アタシは特にバイトもしてないし、家も地元だし、都合の悪い曜日はないです」
「そっか、じゃあ俺の都合で練習日程決めちゃってもいいかな?」
「はいっ、お任せいたします!アタシは伊藤先輩の召使いですから!」
「またまたサキちゃんってば、一言一言が楽しいんだから」
伊藤は微笑みながら言った。そんな伊藤の笑顔を見ると、咲江は伊藤に「好きだ」と言われた場面を思い出し、ポーッとなってしまう。伊藤は咲江の喋り方が好きだと言っただけなのに。
「じゃあ合宿まで、基本的に2日に1回、午後に練習しようか?俺、夜のバイトを掛け持ちしてるから、午後早めがいいんだけど、いいかな?」
「も、もちろんですっ!」
「じゃあ、水曜、金曜、日曜の午後1時から5時まで練習しようね」
「分かりました!とっ、ところで、い、伊藤先輩は、あの、その、どんなアルバイトをされておられるのでありますか?」
「あー、まだそこまではサキちゃんに言ってなかったね。木曜から日曜までは居酒屋でアルバイトしてるんだ。そして火曜日は、家庭教師してるんだよ」
「ひゃー、伊藤先輩、凄過ぎますっ!ますます尊敬しちゃうじゃないですか!」
咲江は目を輝かせて、伊藤のことを見た。
「そ、尊敬だなんて、照れるなぁ…」
伊藤はちょっと顔を赤くして、頭を掻いた。
「俺、秋から一人暮らししなきゃいけないからお金が掛かるじゃん?少しでも親の負担を減らしたいから、アパートの家賃と光熱水費くらいは自分で稼がなきゃ、と思ってね。居酒屋でバイトしてるから、食事も賄いとかもらえて節約出来るし、自炊する料理も働きながら覚えられるんだよ」
「先輩、なんてカッコいいんですか!先輩と結婚する女の子は幸せになりますね」
咲江は目をハートにしたような状態で話していた。
「けっ、結婚?そんなこと考えたこともないよ、まだ。サキちゃんは、結婚とか意識してるの?」
「あうっ、そ、そ、そうですね、あのぉ…。女として生まれたからには、究極の幸せは、素敵な旦那様と結婚して温かい家庭を築き、子供も2人か3人はほしいです」
咲江は顔が火照っていくのを自分でも感じていた。
「サキちゃん、偉いよ!今の女子大生、特に1年生でそこまで将来のことを考えてる子はなかなかいないから。今が楽しければいい、そんな女子ばかりじゃない?周りの女の子って」
「えっ、そ、そうですね、合コンに行きたいだとか、彼氏がほしいとか、そんな話はよく聞きます」
「サキちゃんは誰か好きな人はいるの?」
「キャー、アタシですか?」
咲江は顔を真っ赤にしてしまった。
「いやいや、答えたくなかったら、無理にとは言わないよ。でもこの時期、誰か好きな異性がいるってことは、健全だと思うし、結婚願望が強いサキちゃんならもう誰か将来を見据えた好きな人とか、彼氏がいるのかな?と思ってね」
咲江はその瞬間、伊藤先輩が大好きです!と言いたくなったが、グッと飲み込んだ。もしかしたら伊藤に彼女がいたり、別に好きな女子がいるかもしれないし…。
中学高校とフラれ続けてばかりだった咲江は、2人でサックスの練習をしている内に伊藤のことが好きになった今も、拙速に告白してはならない、確実に伊藤も咲江のことを気に入ってくれたと確信が持てるまでは、告白しないようにと決めていた。
4-1「箱根にて」
3泊4日の箱根セミナーハウスでの合宿は、8月のお盆直前に実施された。
合宿までの夏休み期間中、伊藤と咲江はサックスの練習をしていたが、伊藤から見た咲江は、グングンとサックスが上達していくのが分かるほど、練習熱心だった。
咲江は、合宿中に少しでも伊藤に認めてもらいたい、その一心で練習に励んでいた面が大きい。
ただ告白することまでは、考えていなかった。
まだまだ伊藤のことを知りたいし、咲江のことももっと伊藤に知ってもらいたかった。
今の段階では、ちょっと楽しい女の子としか思われてないだろうな、という咲江自身の分析があったからである。
伊藤はと言うと、これまた高校時代の恋愛経験が邪魔して、ちょっとオクテ気味なところがあった。
2年生の時にバレー部の女子の先輩と初めてのキスを交わし、1年ほど付き合ったが、先輩が合格した大学名も告げずに引っ越してしまい、連絡も取れなくなって自然消滅してしまったのだ。
そのトラウマが伊藤には残っている。
だから元気で明るい咲江みたいな女の子が彼女なら…という思いを持ち始めているものの、勇気が出ない状態なのであった。
さて箱根合宿は、楽器は軽トラを2台借りてそれで運搬することとし、他の部員は小田急で移動することになった。
豪華な特急、ロマンスカー…に追い抜かれる度に、みんなして「いつかはロマンスカー」が合言葉になっていた。
箱根セミナーハウスは、箱根湯本からバスで20分ほどの小涌谷にあり、他にも企業の保養所とか、観光ホテルが林立した一角にあった。
寝室は2人部屋となっていたが、規模の大きいサークルが利用してもよいように、部屋数が沢山あったため、軽音楽部のような中規模のサークルでは、ほぼ個室として使える。
もっとも同時に他のサークルの合宿が重なっていたら寝室を譲り合わねばならないが、今回は事前の調整が上手くいったのか、軽音楽部の合宿期間中は他のサークルは全く利用予定が入っていない。
お盆直前にしたのも功を奏したのかもしれない。
風呂も流石に箱根だけあって、各部屋にも風呂があり、温泉の出る大浴場も別途備わっている。
「す、すごい…」
咲江はセミナーハウスに到着した時から、感動していた。
同じグリーンズの1年生の友達、丸山千恵も咲江に、軽音楽部入って良かったね~と声を掛けていた。
「はい、皆さん!一旦玄関前に集まって下さい」
軽音楽部の代表、山本功が話し始めた。
咲江は山本の顔をほとんど知らない。別のバンドなこともあるが、練習ではすれ違ってばかりだったからだ。
「今日から3泊4日、セミナーハウスにお世話になりながら、皆さんの技術向上と親睦を深めてもらいたいと思います。夜の発表会は、事前に各リーダーにクジを引いてもらっています」
ここでどよめきが起きた。既にバンド別に夜の発表順番が決まっているなんて!ということだろう。
咲江は伊藤の斜め後ろに立って、話を聞いていた。
「まずいきなりですが、今夜、演奏してもらうバンドは…」
みんな固唾を飲んで耳を傾けている。
「グリーンズです!」
えーっ、参ったー、マジかー、そんな声が飛び交っている。リーダーの大谷は、みんなに対して手を合わせていた。
その後も、明日の夜、明後日の夜と発表のバンド名が読み上げられたが、グリーンズのみんなはもう既に、どうしよう…という会話で一杯だった。
伊藤も参ったなーと呟きながら、ふと斜め後ろにいた咲江を見た。
「サキちゃん、俺の後ろに隠れてたの?」
「えへへ、すいません」
「俺たち、トップバッターだよ。どうしようか?」
「いや、初日にとっとと課題を終わらせてしまえば、後は気楽に過ごせるじゃないですか!前向きにいきましょうよ、伊藤先輩」
「まっ、まあ、そうだよね。初日に課題を終わらせておけば、明日以降は自由練習になるしね。」
そこへ大谷がやって来て、グリーンズの今日の予定を説明し始めた。
「みんな、アタシのくじ運が悪くてごめんね!でも初日に面倒な宿題を終わらせておけば、残りは気楽に合宿に参加できると思って、前向きに許してね」
伊藤は、咲江が同じようなことを先に言っていたことに、軽く驚いた。
「ということで今日は午後から、発表曲の練習を食堂のステージで行います。それで、1年生のみんなは初めてだから知らないと思うけど、夕ご飯は、私たちの演奏が終わって、他の部員の感想を一通り聞いた後に、全員で食べます。ただしお風呂は、夜の発表会に当たってないバンドメンバーは夕方5時から7時まで、夜の発表会のメンバーは、7時まで練習して、7時から本番、そのあと夕ご飯を食べて、ご飯後にお風呂になります。これはね、多分あたしの想像だけど、演奏して緊張から解放されて、お疲れさん!みたいな意味で、お風呂の時間が別々になってるんだと思います。だから逆に言えば、ご飯の後はお風呂入り放題です。でも!男子は女子の風呂を覗かないように!」
最後は笑いが起きた。
咲江も伊藤に、
「先輩、アタシのお風呂の時、覗いちゃダメですよ」
と言って、からかっていた。
ただ咲江が驚いたのは、こんな時は
「お前の裸なんか誰が見るかよ!」
とワザと悪態をつく男子がほとんどだが、伊藤は
「大丈夫。逆にサキちゃんがお風呂に入っている時は、俺は入らないようにするか、万一被ったとしても、覗くような奴がいないように見張ってるから」
と答えたことだ。
(伊藤先輩、なんてカッコいいの…)
ますます咲江の中で、伊藤に対する好感度が上がった。
4-2
合宿初日の夜の演奏に、グリーンズが選んだ曲は、「イン・ザ・ムード」と「茶色の小瓶」の2曲だった。
どちらもグレン・ミラー作曲の、ジャズ入門的な曲だった。
咲江は本番直前まで何度も繰り返された通しの練習では、ほぼ練習の成果を出せたのだが、本番では初めての演奏で、とてつもなく緊張してしまい、頭が真っ白になった。肝心な所で音が出なかったり、汗で指が滑って指が動かなかったりして、練習が100点なら本番は10点位の出来だと思った。
2曲演奏して、他のバンドからはブラボーの声も飛んだが、咲江はあまりの出来の悪さに、いつものどんな時も前向きな気持ちが吹っ飛び、その場から逃げ出したくなっていた。
伊藤も、隣の咲江の異変に気が付いていた。
「はい、合宿初日の夜を飾る、グリーンズの演奏でした!皆さん、お疲れ様でした。明日と明後日のバンドも、グリーンズに負けないような演奏、期待してますよ。じゃあグリーンズの皆さんは楽器を片付けて、一緒に夕飯を食べましょう」
部長の山本がそう言うと、グリーンズは片付けに入った。
伊藤は咲江の動きを気にしていたが、ちょっと目を離したスキに、サックスを持ったまま姿を消していた。
(やっぱり…。サキちゃん、何処行くんだよ)
咲江が姿を消したとしても、行き先はせいぜいで咲江の寝室だろう。
伊藤はサックスを食堂の椅子に置いて、咲江を追い掛けた。
「伊藤、どうした?」
グリーンズの伊藤の同期、徳田が思わず声を掛けた。
「ちょっと後輩がな、詳しくはまた後で」
伊藤は女子の寝室がある3階へと駆け上がった。
すると、サックスを持ったままトボトボ歩いている咲江らしき後ろ姿が見えた。
「サキちゃん!」
咲江は伊藤の声に、ハッと立ち止まり、伊藤の方を振り返った。
「せ、先輩…」
その場で立ちすくむ咲江に、伊藤は駆け寄った。
「サキちゃん、どうして?何も逃げなくても…」
「先輩、アタシは本番で全然吹けなかった…。あんなに練習したのに…。皆さんに申し訳なくて、恥ずかしくて…」
伊藤は咲江の目を見つめた。咲江も伊藤に見つめられ、目を逸らせなくなった。見る見るうちに咲江の目には涙が溢れてきた。
「せっ、先輩に、一生懸命、教えて頂いたのに、全然吹けなくて、先輩の足を引っ張っちゃって、悔しかったです!」
咲江は涙を堪えながら喋っていたが、遂にワーンと声を上げて泣いてしまった。
伊藤はこんな時、どうして接してやれば良いのか、あまり処方箋が豊富では無い。
だがそのままにしておけるはずもなく、そっと咲江の肩を抱き寄せた。
「え?せ、先輩…」
咲江は伊藤を見上げた。
「俺もさ、恋愛偏差値が低いから、こんな時に気の利いた言葉がスムーズに出てこないんだけど…」
「…はい」
「サキちゃん、俺も去年の合宿では、初めての演奏、本番でド緊張して、途中から楽譜が分からなくなって、最後は楽器持って吹いてる真似しか出来なかったんだ」
「えっ、先輩が、ですか?」
「そう。それでやっぱり悔しくってさ。練習の時は結構吹けてたのに。初めて、同じサークルの仲間の前とはいえ、本番の怖さってのを知ったよ。それで落ち込んでたら、去年4年生で、俺の指導をしてくれた先輩が、『緊張したよね。でも最初はみんなそうだよ。アタシだって偉そうにしてるけど、1年の時は酷かったんだから。同じ失敗しないようにすれば良いだけだよ。気にしないで頑張って!』って声を掛けてくれてね。それ以降も全然変わらない明るさで俺に接してくれて、お陰で俺もすぐ立ち直れたんだ。だから俺もサキちゃんに、同じようなことを言うね。最初だから、もう気にしない!もう終わったこと!次の本番で頑張ろうぜ!」
「うぅっ、伊藤先輩…」
咲江は、伊藤の肩に顔を埋め、泣いた。
「いいよ。サキちゃんの気が済むまで、俺の肩で泣きな」
咲江は今は、本番で失敗した悔しさより、なんて素敵な先輩と知り合えたんだろうと、感激して泣いていた。
「落ち着いたら、夕飯食べようよ。俺とサキちゃんの席、取ってあるから」
「はい、ありがとうございます。実は…お腹が空いてるのも事実でして…」
「ハハッ、素直でよろしい。じゃ、サックス片付けておいで。一緒に夕飯食べよう。待ってるから」
伊藤はそう言うと、食堂へ向かった。咲江は伊藤の後ろ姿に向かって、コッソリと「伊藤先輩、本気で好きになって良いですか?」と問いかけた。
4-3「ユネッサン」
3泊4日の合宿は順調に日程をこなし、伊藤と咲江は、昼間はサックスの練習を続けていた。
そして4日目を迎え、遂に軽音楽部恒例の、ユネッサンの日となった。
箱根セミナーハウスからユネッサンまでは歩いてすぐということで、開館時間の朝9時に合わせ、玄関に8時50分集合になっていた。
朝食後、部長から一応注意事項が話されていたが、殆ど、特に女子部員は聞いてない程、早くユネッサンに行きたくてたまらないようだった。
男子も男子で、女子の水着姿を見たいからか浮足立っているのが分かった。
そんな周りの様子を、偶々目が合った伊藤と咲江は、苦笑いし合ってアイコンタクトしていた。
たが咲江は結局中高と、夏に友達と海やプールへ遊びに行ったことが無く、持っている水着は高校の体育で使った競泳用水着をちょっとダサくしたようなもの1枚だけだった。
軽音楽部で出来た友達、丸山知恵は、この日の為に水着を買いに行ったと言っていて、咲江は驚いたが、知恵いわく、ユネッサンで水着レンタルもしてるよ〜とのことだったので、入館後にちょっとレンタル水着コーナーを見てみようかな?とも思っていた。
そして集合時間になり、セミナーハウスの玄関先は、軽音楽部のメンバーの異様な熱気が渦巻いていた。
山本部長が最後の注意事項を叫んでいた。
「ユネッサンですが、最初に俺が団体受付の申請します。その後団体の入場口から中へ入ります。そこで腕時計みたいなバンドを渡しますから、必ず身に付けて行動して下さい。後は夕方4時まで自由です!」
キャーッ!!
「思い切り楽しんで下さい、ただ帰りの集合時間は必ず守って下さいね!」
ハーイ!!!!
もう物凄い状態になっている。
山本が手続きを終わらせて中に入ると、腕バンドを受け取った部員から走り出していた。
伊藤はグリーンズの男子と、その様子を苦笑いしながらゆっくり歩いていた。
「伊藤はどう過ごす予定?」
同期の男子、小野が聞いてきた。
「まあ彼女がいないメンズで集まって、酒風呂にでも入ってようかなと…」
「いや、お前さ、サキちゃんがきっとお前のこと好きなはずだぜ」
「え?サキちゃんが?」
「練習とか見てても、完全にお前に恋する乙女の目になってるし。初日の夜、ステージでちゃんと演奏出来なかったサキちゃんを、お前がフォローしたんだろ?」
「まあ、勝手に部屋に戻ろうとしてたからな。励ましてやらなきゃと思ってさ」
「その様子を他の女子部員が遠くから見掛けて、まるでカップルだったって言ってたぞ」
「そうか…。確かに泣きじゃくるサキちゃんをなだめるのに必死だったから、俺の肩で泣くだけ泣けってやったけど」
「そりゃもう、カップルだよ。サキちゃんを誘って、1日過ごせばいいんじゃないか?伊藤は」
「ハハッ、まあサキちゃんさえ良ければな」
一方その咲江は、レンタル水着コーナーで、何か似合いそうな水着はないか、丸山知恵にアドバイスを受けながら探していた。
「サキちゃんは本当に高校の時のスクール水着しか持ってないの?」
「う、うん」
「じゃあいきなり派手なビキニってのも恥ずかしいかな?」
「そうだね〜。これなんかどうかな?」
咲江が手にしたのは、競泳選手が1秒でもタイムを縮める為に着るような、色気も全く無い、ほぼ全身を覆うような水着だった。
「サキちゃん、そんな水着にしたら、幻滅されちゃうよ。高校のスクール水着の方がマシだよ」
「やっぱり…。でも、ビキニなんて下着みたいで着たことないから、恥ずかしいよぉ」
咲江は照れながら知恵に訴えた。
「でもサキちゃん、伊藤先輩のこと、好きなんでしょ?」
「えーっ?な、なんで知ってるの?」
「もう、グリーンズのみんなは、そうじゃないかって思ってるよ。で、みんなサキちゃんのことを応援してるよ」
「そ、そんなバレバレなの?これまた恥ずかしいーっ」
咲江は両手で、真っ赤になった顔を覆った。
「だから、伊藤先輩の心に残る水着にしなきゃ!アタシが、選んで上げるよ」
知恵はレンタル水着コーナーの中に入っていき、しばらく何着か見定めていたが、一つビキニを選んで咲江に持ってきた。
「サキちゃん、どうかな、これ」
「あ、これなら何とかイケるかな…」
知恵が持ってきたビキニは、白地にブルーのストライプが入った、シンプルなデザインだった。
「じゃあコレにして、早く着替えて、伊藤先輩の所に行こうよ!」
「…うん!ありがとね、チエちゃん」
咲江はレンタル手続きを済ませて、知恵と一緒に更衣室へ急いだ。途中で先輩女子とすれ違ったが、まるで水着ファッションショーを見ているような気持ちになるほど、カラフルでセクシーな水着を身に纏った先輩ばかりだった。
「ねえチエちゃん、先輩達も好きな男の先輩とかいるのかな?」
「そうかもしれないよね。それよりも、既に付き合ってる先輩達もいるよ、きっと。だから大胆な水着も着れるんじゃないかな?」
「そ、そんなものなのかな」
「サキちゃんも伊藤先輩と付き合えたら、変わるかもね?」
「もうチエちゃん、それは秘密!」
2人は笑いながら更衣室へ向かっていた。
その頃、伊藤はセミナーハウスから海パンを穿いていたのもあって、とっくにユネッサンの中へ入っていた。
「女子はまだみたいだな」
伊藤と一緒に行動していた小野が言った。
「俺ら、多分今日のユネッサンの一番乗りじゃないか?」
「じゃあ、まあノンビリとしてようぜ」
と言って、男2人して中央の大浴場に座り込んだ。
「小野は誰か一緒に過ごす相手はいないの?」
「本当なら、ワイジャンプのメンバーになった1年生の女の子を狙ってたんだけど、合宿には来たけど、ユネッサンは休むって言っててさ。あんまりこんな想像はしたくないけど、もしかしたら女性が月イチで苦しむアレなのかな、なんて…」
「ま、まあそれは仕方ないよな。又のチャンスを狙えよ」
そう話している内に、少しずつ水着に着替えた軽音楽部のメンバーがやって来た。
グリーンズのリーダー、大谷先輩もやって来たが、緑色のビキニを着ていた。流石に高校時代、レスリング部だったらしい、引き締まった体をしていた。
「あ、伊藤くんに小野くん、早いね。誰か女の子待ってるの?」
「いや〜、特に誰を待ってるってことはないです」
「じゃあ、もし誰もいない時は、アタシを誘ってね。どっかに座ってるから」
そう言って大谷先輩は、綺麗な背筋と引き締まったヒップを見せ付けるように、2人から去っていった。
「大谷先輩も綺麗だよなぁ…。俺、お目当ての子が欠場しちゃったから、大谷先輩のお供しようかな」
小野はそう言った。
「いいんじゃない?他に小野に声を掛けそうな女子はいる?」
「いないよ!伊藤とは違うから、俺は」
「え?」
「まーた惚けやがって。サキちゃんを誘えよ。絶対にサキちゃん、お前と一緒に1日過ごしてくれるぞ」
「そうかなぁ。俺、ちょっと恋愛恐怖症だから、先輩、後輩としてなら上手く付き合えてると思うけど、恋愛対象としてサキちゃんを見れるかどうか、サキちゃんがそんな俺に付いて来てくれるか…」
「何をそんな哲学問答してんだよ。じゃ、俺は大谷先輩の所へ行くから、頑張れよ!」
「へ?」
小野は立ち上がると、大谷先輩がいる方へ向かったが、入れ替わりに見えたのが、白地にブルーのストライプ柄のビキニを着た咲江と、黒に白い水玉模様のビキニを着た丸山知恵だった。
「あ、伊藤先輩…」
「サキちゃん、どうしたの?もしかして、俺を探してたとか?」
「はい!あっ、いえ、あのー」
咲江は照れてモジモジしていたので、横にいる知恵が代わりに伊藤に言った。
「伊藤先輩、今日は空いてますか?」
「あっ、うん。空いてるよ」
「じゃあ、このサキちゃんと一緒に過ごしてあげてくれませんか?」
「う、うん。俺は構わないよ。サキちゃんはどう?」
「あの、その…」
咲江はまだ照れてシドロモドロになっていたので、知恵が咲江の頭を掴み、よろしくお願いしますと、無理矢理頭を下げさせた。
伊藤は思わず噴き出した。
「じゃあアタシはいい男を探しに行って来ますので、サキちゃんのこと、よろしくお願いしますね」
知恵はそう言うと、咲江の肩をポンと叩いて、別の方向へと立ち去った。
「…あの、伊藤先輩…」
「サキちゃん、立ってないで、横においでよ。とりあえず座って」
咲江は照れながら伊藤の横へと進み、しゃがみこんだ。
その頃には、軽音楽部メンバーと思われる多彩な水着姿の男女が増えていた。
「サキちゃん、こういう所は初めて?」
「あっ、はい!アタシは中学も高校も、水とは関係ない部活だったので、プールや海に行ったのは小学校の時以来です」
「確か、水着がないって言ってたもんね。今日の水着はどうしたの?買ったの?」
「あの、チエちゃんに教えてもらって、レンタルしたんです。アタシ、ビキニなんて初めて着たんですが、似合ってますか?チエちゃんはお世辞で似合ってると言ってくれたんですけど…」
「うん、凄い爽やかでいいよ!しいて言えば…」
「えっ、しいて言えば、なんですか?」
「去年まで女子高生だったのがよく分かるよ。太腿の日焼け跡、陸上部時代のが残ってるよ」
「えーっ?」
咲江が思わず足の付け根辺りを見たら、確かに陸上部時代の短パンに沿った日焼け跡が残っていた。
「キャッ、なんて恥ずかしい」
「いいじゃん、青春の証で」
「そうですか?こんな日焼け跡してるアタシ、嫌いになりませんか?」
「なんで日焼け跡を理由にサキちゃんを嫌いにならなくちゃいけないのさ。サキちゃんはやっぱり面白いね。そんなサキちゃんに戻ってくれて嬉しいよ」
「わあ、嬉しいです!ありがとうございます!」
「じゃあ、2人で色々回ってみようか。俺、去年来てるから、なんとなく何処に何があるとか分かるし」
「はい!お願いします。楽しい風呂があるんですよね?」
「そうそう。まずは…ドクターフィッシュでも行ってみようか」
「あ、分かりますよ。お魚さんがやって来て、足の汚い所をかじってくれるんですよね?」
「ハハッ、足の汚い所って。まあ、行ってみようよ」
2人は立ち上がり、ドクターフィッシュのコーナーへ向かった。
その様子を、グリーンズリーダーの大谷と小野が、眺めていた。
「いいですね〜、あの2人」
「グリーンズは、カップルが誕生しやすいのでも有名なんだよ。アタシを除いて。アハッ」
「そんな自虐しないで下さいよ。今日は俺が彼氏代行を務めますから」
「そう?じゃあ早速、アイス食べたいな、アタシ」
と言って大谷は小野の腕に腕を絡ませてきた。
(わっ、先輩の胸が、腕に当たる!)
小野は興奮を押さえるのに必死だった。
一方、伊藤と咲江は園内のアチコチをはしゃぎながら回っていた。
ワイン風呂や酒風呂、コーヒー風呂等、立て続けに一緒に入っては風呂のお湯を掛け合ったりして遊んだ。
「先輩、次はアッチに行こうよ!」
「はいはい、分かったよ」
すっかり咲江の方がリーダーシップを握って、伊藤を引っ張っていた。
その姿はもうカップルと言っても大袈裟ではなかった。
だが伊藤も咲江も、恋人同士になるためにはまだ関門があるような気がしていた。
確実に2人の距離はこの合宿で縮んだが、お互いにこれまでの経験が足枷になっている。
伊藤は、自然消滅した一つ年上の女性との苦い思い出を引き摺っていたし、咲江は一度も告白が成功したことがなかった中高時代を引き摺っていた。
だから、告白に踏み出すことで、楽しく遊べるようになった現状を壊したくない、そのように2人共考えているのだった…。
〈次回へ続く〉