失恋黒歴史・after1987
三角関係
前回、人間不信に陥るほどの失恋を経験した記事を書かせていただいたのですが…(^_^;)
末尾に書かせて頂いた、後輩男子達。
彼らには、本当に今でも感謝しています。
私の精神状態を心配してくれ、いつになったらY先輩や、Wと話せるようになりますか?とか、気を使ってくれる優しい後輩でした。
私は
「まあ、時期が来たら・・・」
としか言えませんでしたが、彼らの気遣いのお陰で、吹奏楽部を最後まで逃げずに頑張れたと思っています。
さていよいよ最高学年になり、私も吹奏楽部長職を後輩に譲り、吹奏楽部においてはちょっと身軽な立場になりました。
大学受験に向け、早々に引退した同期生もいましたが、私はもしかするとこの先の人生で夏の吹奏楽コンクールなんて、二度と出られないかもしれないと思い、コンクールまで居座ることを決めました。
私が部長になった時に苦しんだような、後輩への圧力というのは絶対にしないようにして、気楽な立場で、部活には隠居の身分で参加していました。
そんな折、親友Yが、どうだ俺は落ち込んでるんだ!と言わんばかりの態度で、音楽室手前の廊下に佇んでいました。
Yは悩んだり落ち込んだりすると、すぐ態度で表すので、分かりやすい人間でした。
この時、落ち込んでいた態度を、絶対に私に見つかるような場所で表していたのは、理由はもう一つしかないと思いまして、私も絶縁宣言してから数ヶ月経ち多少は怒りも静まっていたので、声を掛けてみるかとYに話し掛けました。
私「どうした、Y。まさか、Wと別れたとか言うんじゃないよな?」
Y「その、まさかなんよ・・・」
やっぱり、です。
私という中学からの親友を切り捨ててのWさんとのお付き合いは、Y自身にも後味が悪かったようで、デートしててもWさんに対しての態度が煮え切らないようだったらしいです(周囲からの情報による)。
そのため、Wさんにフラれてしまったと、落ち込んでいた訳です。
みんなに後味の悪い三角関係ですねぇ(;・∀・)
ですがこの一件をキッカケに、私はYとの友人関係を復活させ、以後は以前と変わらないようになりました。
Wさんとも、気づかぬ内に喋るようになっていましたので、個人的には何とか元に戻ったような感じでした。
逆に親友YとWさんが、部内で喋らなくなりましたが、その辺はもはや私の関知する所ではないので、見守るしかありませんでした。
高校最後の片思い
吹奏楽部ではご隠居みたいな感じになり、精神的にも楽になったのですが、逆に生徒会役員では単なるヒラ役員から、風紀委員長なるものになってしまい、6月半ばに開催される文化祭の準備も忙しくなってきました。
一応全学年の各クラスから風紀委員を選んでもらっているので、各クラスの文化祭での出し物の時間に応じて、学校内を見回るよう、委員の予定表みたいなのも作らなきゃいけなかったり、また自分のクラスでの出し物も考えて準備しなくてはならなかったり、もちろん文化祭での吹奏楽部のステージもありますので、その練習にも出ねばなりませんでしたし、この頃は始発電車で登校し、終電近くで帰宅するという、猛烈サラリーマンみたいな毎日を過ごしていました(^▽^;)
今この時と同じスケジュールをこなせと言われても、絶対無理です(笑)
若かったんですねぇ( ̄∀ ̄*).。oOシミジミ
さてその文化祭の吹奏楽部のステージでは、昨年末のアンサンブルコンテストが終わるや否や、再び打楽器担当に戻っていましたので、私はティンパニーの他、ドラムも数曲叩くことになっていました。
いざ本番でドラムを叩いたところ、クラスのみんながビックリして、ザワザワしていたのを思い出します(*ノωノ)
私はクラスでは目立たない存在だったので、あのミエハルがドラムなんか叩けるのか!という感じで、驚かれたみたいです。
吹奏楽部のステージが終わり、文化祭も終わったところで、生徒会役員の後輩の女の子が、目をキラキラさせながら、
「ミエハル先輩!素敵でした!」
と声を掛けてくれたため、もしかしたらもう諦めていた高校時代に彼女を作るという夢が奇跡的に叶うかな?なんて思ったりもしましたが、幻~~~に終わりました┏(x_x;)┓(苦笑)
高校3年生でのビッグイベントは、体育祭が残っていましたが、その前に私には、最後の吹奏楽コンクールがありました。
昭和63年の夏の吹奏楽コンクールには、最初は打楽器で出るつもりだったのですが、昨年と違い、今度はサックスのメンバーがちょっと足りない事態に陥りました。
そこで顧問の先生から、バリトンサックスに戻って最後のコンクールに出てくれないか?と言われ、ちょうど1年前とは逆の展開だな~と思いつつ、高校の吹奏楽生活の締めは、私の原点、バリトンサックスで出場することになりました。この時点でWさんとは、以前と変わらぬように喋れていましたので、その点も問題なしでした。
打楽器のメンバーも、新1年生が沢山入ってくれ、コンクールの自由曲では1人座ったままの部員も出るほどだったので、バランス的には丁度よくなりました。
ただ1年間、苦楽を共にした唯一の2年生の打楽器の後輩女子が、
「なんで先輩、サックスに戻っちゃうんですか?課題曲のティンパニ、アタシには叩けないです」
と、私が打楽器に残留するよう、強く求めてくれました。
とても嬉しかったです!
この打楽器唯一の2年生女子、Mさんが、私の高校時代の最後の片思いの相手になります。
物凄く私のことを慕ってくれ、私が落ち込んでいたら
「せーんぱい!元気出さんにゃあ」
と、バシッと背中を叩いて来たり(笑)
高校野球の予選に、最初は行く予定にしていなかったんですが、やっぱり行きたいなと思って、試合前日の練習に顔を出し、バスドラム叩くよ~と言ったらメッチャ喜んでくれたり。
練習熱心で、反面ユーモアもあり、陰で私をサポートしてくれたMさん、もう女性不信だから恋愛なんてしないと決めていた私の心の隙間を、Mさんが埋めてくれていたことに、最後のコンクール直前に気が付きました。
私はMさんのことが好きになっていました。
でももう、告白はしないと決めました。
下手に告白して、これまでの楽しい関係が崩れるのが嫌だったんです。
また心のどこかに、どうせ自分なんかフラれるだけだ、という思いが強く根付いてしまって、恋愛に臆病になっていたんです。
傷付くくらいなら、楽しい先輩後輩のままでいたい、もう恋愛で傷付きたくない、このまま卒業したいと思っていましたし、実際そうなりました。
四半世紀後のドラマ
時は経ち、平成26年の冬、高校の吹奏楽部のOB会がありました。
すっかり私も富山に染まりまして、オッサンになってしまいましたが、広島を第2の故郷と思っている私、富山から広島へ行くと、瞬時に心が高校生時代に戻ります。
そのOB会にもMさんは来てくれました。
1次会ではあまり絡まなかったんですが、2次会では私の隣に座ってくれ、
「先輩、超久しぶりじゃね!」
あの頃と変わらない喋り方で、話し掛けてくれました。
そこからはもう、2人だけのマシンガントーク(笑)
アルコールも入って、とても楽しかったです♬
最後に、
「先輩、アタシのこと好きじゃったよね?」
と、ど真ん中ストレートに聞かれましたが、もう隠す必要もないので、
「そうだったよ。高校生活で最後に好きになったのはMさんだった」
と返しましたが、続けて私が
「もし高校の時、告白したら受けてくれた?」
と聞いたら、
「ううん、多分お断りしたと思う。先輩とは楽しい兄と妹みたいな感じでおりたかったから」
とのこと。
告白しないでよかった!(苦笑)
結局私は高校の吹奏楽部では、面白いお兄さんっていうキャラが確立されていて、恋愛というフィールドには入れなかったんだなぁ・・・。
ですが、2次会も終わり、いよいよ解散という時です。
テレビドラマみたいな感じですが、Mさんがみんなが見ている中で突然、
「ミエハル先輩!アタシ、本当は・・・」
と言って、泣きながら抱き付いてきたんです。
周囲もビックリ!
私は
「分かったよ、Mさん。その言葉だけで十分だから」
と抱き締めて、泣きじゃくるMさんの頭を撫で、落ち着くまでしばらく待ちました。
周りはキスしろ、キス!と囃し立てましたが、こんな状況でキスなんかしちゃいけませんよね。
抱き合ってるだけで、互いの気持ちは十分に通じ合ったと思います。
それ以降、時代の発達のお陰で、MさんとはLINEで相談に乗ったりして、良い交流が続いてます。
抱き合った時に周囲からの圧に負けてキスしてたら、多分、今は断絶状態になっていたでしょうね~(;^_^A