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家庭教師 富山編

私が大学3年生の時の話です。
年号で言えば平成3年、西暦では1991年。
ひょんなことから、大学に通うために一人暮らししていた広島と、父母が最後の転勤で呼び戻された生まれ故郷の富山という2つの県で、家庭教師を務めることとなりました。

どちらも条件が似ていて、英語が大嫌いな中学3年生の女の子。

このままだと高校受験が危ないから英語を教えてと、何故か大学受験では1勝4敗に終わった私に依頼が舞い込みました。

広島で教えることになった子は、なんと中学時代からの親友の妹さん!

それこそ小学校1年生の頃からパンツ丸出しで遊んでいたのを見ていた、自分にとっても義理の妹のような感覚の子です💦

対して富山で教えることとなった子は、私の母親の旧友の娘さん。
私が富山に帰省することがある時だけでいいから、英語を教えてやってと頼まれたから、富山に来る時はその子を教えてやってくれとのことでした。

その年の中学3年生と言えば、昭和51年生まれ、私とは6歳の年の差。

この年(50歳)になると、6歳の年の差なんてそんなに気にならないですが、その頃の6歳差ってのは大きいですよ!

部活とかでは1歳違いだけでも、廊下ですれ違った時に挨拶しなかったと凹られる時代ですY(>_<、)Y =3

そのため、あわよくばグフフッ💛(* ̄m ̄)V

みたいな下心は全く持つことなく、自分のわかる範囲で…と家庭教師を引き受けました。

とはいえ、受験のための英語なんて、平成元年3月に脳の奥底に仕舞い込んでしまいましたから、2年以上のブランクを経て脳の奥から「英語」を引っ張り出し、他人様に教えるためにまずは自分自身が勉強せねば…と、高校受験用の英語の問題集と単語、熟語、構文等がカラフルに乗っている参考書を買いに行きました。

そしてバイトの無い日に高校受験の英語を勉強し直したんですが、自分では少しずつ思い出しても、これをどう教えるか?が大変だなぁ…と痛感しました。学校の先生は偉大です!

いざ富山へ

さて大学が夏休みに入りました。大学の夏休みは約2か月あるので、私は広島での予定もあるので、7月一杯と、8月のお盆明け以降という、2度の富山帰省を計画し、規制するや否や、母経由で依頼のあった女の子を教えに行きました。

その子のお母さんは、母と友達といってもかなり若くて、なんでも私が赤ちゃんの頃、オムツを替えたことがあるとか(;゚▽゚)
なので最初に訪問した時は、
「あれ~、○○ちゃん(←私の本名)、大きくなったね~。もう大学生なんだね~、アタシのこととか覚えとる?」
と、フランクに話し掛けてくれましたが、当然覚えちゃいません(苦笑)
最初はそのお母さんとしばし雑談していました。
まだ生徒となるべき3年生の女の子は、部活から帰ってなかったのもありますが。
そのうち、玄関先でガチャンと自転車の音がします。
「あ、やっと帰って来たわ。お待たせ、○○ちゃん(←私の本名)、ウチの娘、よろしくね」
そしていよいよご対面…。

ヘルメットを被り、ジャージ姿で私の前に現れた女の子(Kちゃんと呼びます)は、明らかに私に警戒感を剥き出しにしていますr(・_・;)
Kちゃん側から見ると、母の知り合いの子で大学3年生の男、になる訳です。そりゃあ最初は見知らぬ男には警戒しますよね。

私「はじめまして。○○(←私の本名)です。よろしくね」
K「部屋片付けて着替えてくるから」

Kちゃんとの最初の会話はこれでした(苦笑)

お母さんも大慌てで、ちゃんと先生に挨拶しなさい!と怒っておられましたが、相当な難敵ですs(・・;)
更にKちゃんには2歳下の中1の妹(Sちゃんと呼びます)がいるので、時間に余裕があるときはそのSちゃんも教えてねということになっていました。
そのSちゃんも、Kちゃんに数分遅れて帰宅しました。
私はKちゃんを待ってる状態だったので、Sちゃんにも自動的に会うことになりました。
(Sちゃんも気難しい感じかな・・・)
と警戒していたら、姉のKちゃんとは違う感じでした。

私「はじめまして、Sちゃんだよね?これからKちゃんを教えることになった○○(←私の本名)です。よろしくね」
S「こんにちは!はじめまして!先生、アタシも英語苦手なんで、たまに教えてください!」

え、えらい違いやがな(;´・ω・)
中1と中3って、こんなに違ったっけ?
各々の性格か?

部屋はKちゃんとSちゃんで一緒の部屋なんですが、とりあえず私がKちゃんを教えてる間は、Sちゃんは別の部屋で勉強なりして過ごすこととなりました。

そのうち、Kちゃんが私服に着替えて、部屋から出てきました。

「お母さーん、先生を部屋に連れてけばいいの?」

「Kちゃん、そんな言い方すると、先生怒って帰っちゃうよ!ちゃんと挨拶しなさい!」
と、Kちゃんのお母さんは怒っておられましたが、改めて私がKちゃんの顔を見ましたら、思春期にとりあえず年上に反抗してみる、その上でアタシなりの基準に到達すれば認める、そんな雰囲気なのを察知しました。

「いいですよ、お母さん。まあ今日は雑談でもしながらやってみます」
「ごめんなさいね。K!ちゃんとしなさいよ!」
「はーい」

という感じで、まずはKちゃんの部屋へ連れてってもらったんですが、見事に女の子の部屋でした!
妹と2人部屋ですから、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、男の一人っ子だった私には、なかなか味わえない空間でした(^_^;)

初対決?

私「改めて自己紹介するね。去年、自転車乗ってたらカーブの踏切で思い切りコケて前歯を折ったり、豆腐を切ろうとして指を切ったり…あ、これは事故だった!」
と、馴染みのない方に対する時に私がよくやる渾身のネタを披露したところ、硬かったKちゃんの表情が和らいでいくのが分かりました。
私「えーっと真面目にいうと、広島のある大学の3年生で、上に『ア』が付く法学部で勉強してます」
更にKちゃんの表情が、笑いたいのを堪えているように変わりました。
よし、第一関門突破だ!
私「というわけで、Kちゃんの苦手な英語を少しでも助けてあげようと、広島からやってきたミエハルと言います。どう、似てるでしょ?」
K「先生、面白ーい♬ホントだ、見栄晴に似てるね、先生」

いや~、かなり緊張&苦労しましたが、Kちゃんの心に届きましたよ!

次はKちゃんの趣味とか部活とか、教えてと言ったら、まず好きな歌手は「B’z」だとのこと。私は、「あ~、あの洗濯機の洗剤だね!って、そりゃニュービーズやがな!」と一人突っ込み(笑)
これでもかと親父ギャグを繰り出し、Kちゃんの心を解しに掛かりました。
Kちゃんも多分、大学3年生の男が来ると聞かされて、相当警戒&緊張していたのでしょう。それが蓋を開けたらダジャレやら親父ギャグを連発するおかしな男だったので、警戒心もほどけたようです。次は私に対して質問攻めの時間となりました。

「先生、好きなテレビ番組は何?」
「先生、付き合ったこととかある?」
「先生、彼女っている?」
「先生は何部だったの?」

やっぱり思春期の女の子、恋愛には興味津々です。
恋愛系は、モテない人生なんだよ~と交わし、部活は吹奏楽部だったと言うと、目を輝かせて
「先生も吹奏楽部だったの?ねえ先生は何を吹いてたの?アタシも今吹奏楽部で、ホルン吹いてるの」
私はバリトンサックスからの打楽器移籍の話をしたのですが、思わぬ共通点があり、親近感を持ってくれたようです。吹奏楽経験が、ここでも生きました♫

他にもKちゃんは月9大好きで、その時は「101回目のプロポーズ」にドはまりしていましたが、一番好きなのは「東京ラブストーリー」だとのこと(゚ー゚〃)
私は「東京ラブストーリー」の歌(小田和正の曲)は好きでしたが、ドラマは見てなかったのでそう申告すると、
「先生、アレは絶対見て!面白いから!」
と力説されました(;・∀・)

初日は勉強はせず、関係構築が最大の目的でしたから、これでヨシです。
初日の最後には、先生、プールに行こうよ!とまで言われました(/ω\)
これは流石に冗談かと思いきや、7月のこの日…と日程も決められたので、私は慌てて海パンを買いに行ったほどです(^▽^;)
ただ残念ながら、その日の前日にKちゃんは女性が50代くらいまで毎月やって来るお客様がお出でになってしまい、直前に話が流れたんですが、それくらい仲良くさせてもらいました。

私はバイトの関係で、7月一杯で一旦富山から広島へ戻ることにしていましたので、広島へ戻る前日には、先生、本当に戻ってきてねと、何度も念を押されました。
肝心の英語も、ちょっとは読み方とか和訳の方法とか、覚えてくれたかな?という感じまで進みましたので、次回の約束をして、私は富山から広島へ戻りました。

富山再び

さてお盆明けには、広島での所要を済ませ、再び富山へと帰省した私。
大学の夏休みが9月上旬まであるので、ギリギリまで富山に滞在することにしました。
1日休息の日を挟んで、約3週間ぶりにKちゃんの家へと向かいました。

K「わー、本当に先生が帰ってきた!良かった~」
私「ありがとうね、手紙までくれて」
K「うん、なんかね、突然先生が消えて、不安になったから。Sと一緒に書いたんだよ」

実は広島に戻っている間に、KちゃんとSちゃんから一人暮らししているアパートに手紙が届いたんです!早く富山に戻ってきてね、というような内容でした。
よく本当の先生が、教え子の手紙に感激すると聞きますが、私みたいなちょっと英語を教えてるだけの者でも、こんな手紙をもらうと感激しますね!

初日はKちゃんのお父様の計らいで、みんな揃ってドライブしようということになり、富山県内を巡って、夕飯まで頂き、私はビールまでご馳走になってしまいました🍻
お父様が、「先生、結構イケる方でしょ?」と仰るので、私も「ええ、それこそKちゃんの年から飲んでますから」等と会話を交わし、楽しい富山での家庭教師再開初日となりました♪

さてその手紙には、私の高校生活を見てみたいので、卒アルを見せてくれ、と書いてありました。重たいので事前に実家へ送っておいたのですが、その依頼のあった卒アルは、次の日に持って行きました。
姉妹で興味深そうに眺めていて、私を見付けると先生若ーい!とはしゃいでました(笑)O(≧∇≦)O
次には質問されたんですが、
K「先生の高校って、女子はみんなバレーボール部なの?」
でした。
私「ん?なんで?」
K「だってブルマが赤いから!」
私の母校は私が4期生という、割と新設校だったため、制服がお洒落と評判でした。特に女子の制服が可愛いと、女子人気が高く、男女比も4.5vs5.5で女子が多かったんです。
その女子が言うには、「制服に憧れ、体操服に騙される」だそうで(;^ω^)
女子のブルマの色がエンジなんです(*ノωノ)
勿論、男子の短パンもエンジですが、男子は誰も色について文句を言う生徒はいませんでした。
しかし女子はこの色に抵抗があったようで、今でも同窓会とかでは、あのブルマの色は無かった…というネタが、必ず飛び出します(苦笑)

私は、スクールカラーがエンジだったからだよと説明したのですが、それでも黒や紺色ではない赤系のエンジブルマを、テレビの全日本女子バレー中継以外で初めて見たのは衝撃だったのでしょう。

この日も含めて、しばらくはKちゃんと何故かブルマの話をすることが多く、私はその度に大いに照れてしまったのを思い出します。

「アタシが行く高校のブルマがエンジだったらどうしよう」
「いっそブルマじゃなくて、女子も短パンの高校を探そうかな」

私も照れつつも、ブルマって確かに特有な形だし、色まで変わった色だと嫌だよね、とか言ってたら、
「そうなの!時々パンツがはみ出るし…あっ、ハミパンって言うんだよ。友達がハミパンしてたら教えてあげるの」
この純真無垢なKちゃんのブルマ話、女子には縁のない人生を歩む大学3年生の私には色々な意味で強烈でした(〃ノωノ)(苦笑)

2学期

ありがたいことに私はKちゃん一家に気に入って頂けたようで、たまにお父様から、Kを教えるのも早めに切り上げて、一杯やりましょうよ!とお誘いを受ける日もありました。
そんな日は逆にKちゃんが、先生に飲ませたりしちゃダメーッとお父様に怒るようなこともありました。

そんな折、9月を迎えて2学期が始まったのですが、まだ私が富山に滞在している期間中に、KちゃんとSちゃんの中学校の体育祭があるとのこと。
私は、勿論(?)招待されました。
でも迷いました(;´∀`)
上記のとおり、書いたように、散々ブルマがどうのこうのという話を、時にはSちゃんまで交えてしていたものですから、体育祭となれば、KちゃんとSちゃんのブルマ姿を見ることになります。

は、恥ずかしい・・・(*ノωノ)

女の子が照れるなら分かりますが、私が2人のブルマ姿を見るのが、なんとも恥ずかしく思えて仕方なかったんです。
そのため涙を呑んで(?)その日は「行けたら行く」ことにしました。

大人なら分かりますよね、これは「行かない」という意味です(・_・;)

でも最後までKちゃんは、先生に見に来てほしいな~と言ってくれ、これは今思い出してもちょっと胸が痛いです。

ですが体育祭の翌日、Kちゃんの家に行ったら、
「先生、体育祭のビデオ見てやって下さい、結構KもSも頑張ったんですよ」
と、お母様から体育祭のビデオを見せてもらうことになりました。
KちゃんとSちゃんも一緒にビデオ鑑賞となったんですが、あーっここでアタシをもっとアップに撮ってほしかった!とか、姉妹で感想を言いながら楽しんでいます。
やっぱり私は、行かなくて正解だったんだろうな、と思います。

その体育祭のビデオを見せて頂いた日を最後に、私の富山での家庭教師は終わりを迎えます。
KちゃんもSちゃんも、ちょっと涙ぐんで見送ってくれました。
「先生、手紙書くからね。先生に合格ってお知らせ出来るように頑張るからね」
私も昔から涙腺が弱いものですから、ウルウル来てたんですが、
「教えてあげたことを守って、あとは単語を覚えたり、構文を覚えたりすれば大丈夫だからね」
最後はお父様が私を最寄り駅まで車で送ってくれたんですが、いつまでも手を振り続けてくれたKちゃんとSちゃん、こんな純粋な子に出会えたことは一生忘れません。

そして今でもこの2人、しっかり元日に届くように毎年年賀状をくれるんです(n*´ω`*n)
書き出しは「先生、お元気ですか?」で、いつまで経っても私みたいなポンコツを先生と呼んでくれるんです。本当に心の温かい大人になったな~。
2人とももうママさんになり、町で会っても分からないかもしれませんが、末永く元気でいてほしいなと思います。


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ミエハル
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