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末期がん患者との会話

先日、携帯に知らない番号から着信があった。
またどこかの光回線業者からの勧誘電話だろう、と思いスルーしたところ
そのあと直ぐにショートメッセージが届いた。

「〇〇おばさんです。電話くださいね。」
ありゃ、叔母(母の妹・70代)だったのか、と折り返し電話を入れると、
「わたしね、今入院してるんだけど、大事な話があるから退院する前に面会に来てくれない?」とのこと。
叔母は数年前からがんを患っていて、手術をしたあとも入退院を繰り返している。

さっそく翌日、病院まで会いに行くと、いきなり本題から話し出した。
「私ね、余命宣告を受けたのよ。」
「だから、自分のお葬式の段取りを自分で決めようと思ってるの。」

そこから、葬式は自由葬にするつもりであること、式場に飾る親族名の花環はすべて自分で用意するから私たち親戚は何もしなくていいこと、香典を持参してくれる場合は上限〇千円にしてね(あとで改めてお返しをする必要のない金額)、などと細かい指定を受けた。

残される親族の手を出来るだけ煩わせない、という配慮だ。
確かに事前に言っておいてもらえば、こちらとしてもいざその時になっていろいろと悩まずに済むわけで。

余命の話しを聞いて驚く間もなく、叔母の合理的な考え方に感動してしまった。
家族(子供や孫)に対しては、家や土地の名義、預金をどうすべきかという話もしているのだろう。
彼女は余命宣告にショックを受けて落ち込む家族や親戚たちよりも一歩も二歩も先の事を考えていた。

余命がわかった方がよいのは、その人による。
叔母は「人生に悔いはないよ」と言う。
おそらく本心だと思う、と言うか、そう思わなければやってられないだろう。

不謹慎かもしれないが、正直言って叔母を羨ましく思った。
万が一私が同じ立場になった時には、冷静な思考で家族に今後のことを託したいが、実際どうなるか想像もつかない。

あっけらかんと話す叔母といると、すごく悲しいのになぜか元気をもらっている。

自分があとわずかしか生きられないというドン底から気を奮い立たせ、今を全力で生きている彼女の前で、私が落ち込むなんて許されない。

「退院したら自宅に会いに来てもいいよ。見舞いの品はいらないから。あと、おかまいできないから自分の飲み物は自分で持ってきてねー」

退院したらまた会いに行こう。


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