和牛① M-1を通じて知った芸人

以下、ネットソースを基にした情報の寄せ集めメモです。

和牛結成前のお話し

彼らは、同期に比べて結成が遅いんですね。そのわけはコンビが長続きしなかったから。このときの芸人変遷は、2009年06月20日に行われた和牛初単独ライブのレポートで書かれていたりするので、それを抜粋。

・水田[芸人時代]
 ジョーカー結成
  ↓1ヶ月
 ジョーカー解散
 ハングアップ結成
  ↓
 ピーナツタンクに改名 
  ↓半年
 ピーナツタンク解散
 ジェニジェニ結成
 ↓2ヶ月
ジェニジェニ解散
 ロージー結成
  ↓4ヶ月
 ロージー解散
ピーナツタンク再結成
  ↓3ヶ月
 ピーナツタンク解散
 喧嘩上等結成
  ↓5ヶ月
 喧嘩上等解散
 ピーナツタンク再々結成 (川西「やめとけや!!w合わんかってんて!!」
  ↓3ヶ月
 ピーナツタンク解散 
・川西[芸人時代]
 川西・関結成
  ↓5ヶ月
 川西・関解散
 川西・桜井結成(水田「コンビ名つけろや!!ピーナツタンクあげよか??w」 川西「縁起悪いから嫌やわ!!w」)
  ↓1ヶ月
川西・桜井解散
川西・森下結成
  ↓1ヶ月
川西・森下解散 (ケンシロウ:川西・森下の後何してたんかなあ?) 

川西さんの名前をつけないこだわりも、水田さんの容赦なく変え続けやっぱり再結成しちゃうところも、なんかわかると言いたくなってしまいます。


コンビ相手を探していた水田さん川西さんは、各々とある芸人へ「誰かいい人いない?」と連絡を取ります。その相手とは、同期のバイク川崎バイクさん。

彼のおかげで二人は出会い、前に進みます。その結成前の様子を、和牛インフォさんもエピソードとして書いています。

2006年6月に試し打ちをした『川西水田』は一度離れるも、再度M-1グランプリのエントリーをするために結成したと言われています。
M-1があったから組んだという話に、今の彼らを知ってる自分たちすらいろいろと感じることがあります。


和牛結成直後、インディーズライブでの下積み時代

同期と2年遅れてスタートを切った和牛ですが、彼らは同期の活躍を後目に劇場のオーディションを受かることを目指し、インディーズ時代を過ごしたそうです。その期間は1年半とも言われてます。NSC卒業から2年、そして1年半…長い下積みです。

インディーズライブに出ていたころの貴重映像(現在も若手登竜門的にライブを開催しているコメディスタジアムより)

その中、和牛はインディーズライブで準優勝という結果を出します。

画像1

無冠の帝王伝説は、インディーズ時代からだったことに驚きです。

賞レースに出はじめるまで

下剋上システムに変わった吉本の舞台で和牛はオーディションに合格。準レギュラーみたいな形を経て、ワラbメンバーの仲間入りを果たします。

画像2

入れ替え制のランキングシステムで上位15組がメインでbaseよしもとに出られるという仕組みでした。

それと同時期に、結成5年目までが出られるABC新人お笑いグランプリでも、見事決勝進出という結果を残します。

芸人をやっていることを黙っていた和牛水田さんでしたが、この賞レースが地元愛媛でも放送されてたことで、親御さんにバレたそうです。


しかし、サドンデス・ランキング系で最後しっかりあがってくる和牛。このあたりの蓄積が、今につながってるのかもしれないですね。

【和牛の賞レースメモ】
2008年 コメディスタジアム90回目記念ネタバトル!準優勝(結成2年)
2009年 第30回ABCお笑い新人グランプリ決勝進出(結成3年)
2010年 第31回ABCお笑い新人グランプリ決勝進出(結成4年)

続きを読みたい方は②をどうぞ。