見出し画像

40年前のこと

 今年2025年は、太平洋戦争の終戦から80年、ビルゲイツがマイクロソフトを立ち上げてから50年の節目である。私にとっては、40年前が大学に入学、医療界への一歩を踏み出した年にあたる。

 この年になっても、「なんで医師になったの?」と聞かれることがある。野口英世に憧れて、と答えている。腑に落ちないような、満足のいかないような顔をされるが、私にはそれ以上の理由が思い当たらない。家族に医療関係者はいない。人付き合いが苦手なのに人間相手のお医者様というサービス業は無理だろうと自己判断していた。
 高校に入った時は医学部志望でなかった。定期考査や模試を受けて、自分の学力の限界を知り、第一志望を諦めた。理系だったから、それなら医学部と希望し、進路先に選んだ。子供のころ、野口英世の伝記を読んで、医師という職業への憧憬はあったが、成長するにしたがって、忘れてしまっていた。

 医学部は、医師になるための養成所であり、卒業後はみな、医師になると思っていた。人の命を預かるという医師という職業を選ぶことが、高校卒業時すなわち大学に入学時に要求される。まっとうな考え、意志を持っていなければと思っていくつかの書を手に取った。
 医学部入試では、小論文や面接を果たす大学が当時は多かった。私の受験した群馬大学も、小論文は無いが面接があった。熱意で負けるわけにはいかない、と医学部受験者へのお勧め本を探した。
 高校1年の初冬に「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」を読んだ。病苦と闘いながら生きる作者の文章は、心に響く。そしてこの本が医学部進学の拠り所となった。文中に「釣りをしてはいけない、サカナが苦しんでもがくのを楽しむのは良くない」といった内容が記述されていた。井村医師の教えに従って、以後、私は釣りをしていない。小学生の頃に私は、利根川などで釣りをするのが好きだったし、楽しかった。釣りキチ三平も全巻、読破した。釣り人を否定はしないが、私自身はもう釣りをしないと決めた。

 大学入試の面接は、試験官3名と受験生3名で質問が順繰りになされる。二人の発する言葉が、同級生とは思えないようなレベルで、田舎から出てきた私はトホホと落ち込んでしまった事を、昨日のように想い出す。それから40年という月日が流れてしまった。
 医師は患者によって育てられる、医師免許を取って臨床経験を積むことにより医者になると感じている。40年たってもまだ足りていないと、痛感する日々である。


いいなと思ったら応援しよう!