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山が美しい
ダムの周りをぐるりと
巡って紅葉した様を
みてきた….眼福だった。
ついでに
念願だったお好み焼き屋に
立ち寄って
広島風お好み焼き
関西風お好み焼きを
二人で分けて食べる
私は生ビールも飲んで
とても嬉しい。
デザートは
抹茶アイスを半分こして
"あぁ美味しかった"と
店を後にした。
福岡は
ラーメンにうどんが
日常に定着していて
いわゆる
粉もの文化の街ではない。
生まれ育った高知は
関西文化圏からか
お好み焼き屋が色々
あって美味しい….
スポイルされた子ども
だった
私は偏食が酷くて
小学4年生の時には
栄養失調で
目に星がでる…..
驚いた両親が
近くの医師に相談して
毎日
栄養注射を打ちに行く事に
なった。
当時
田舎の学校では
学校給食はなくて各自
弁当持参だった…
お手伝いさん任せで
好きな物しか入ってない
弁当を母が作るようになり
嫌いな野菜が沢山入った
苦手な弁当を食べて
先生に確認して貰う
システムが構築された。
そんな日々の中
田舎の村に
大阪帰り人が
お好み焼き屋さんを
開業した。
たちまち虜になった
私は毎日せっせと通い
キャベツに親しみ
豚肉に親しみ
少しずつ食べ物の領域を
広げていった。
福岡に来てからは
旨い物好きな夫と
知り合い
青魚や鶏肉等々を
食べられるようになった。
飛躍的な進歩….
今や
瓜科以外は大概のものが
食べられる。
威張っていう話でもないが
私なりに克服した事実。
そうなこんなで
家庭を持ち
母になってからは息子は
何でも食べる人にと
工夫する毎日だった。
何も出来なかった私も
料理の腕を上げていった。
婦人雑誌の付録のレシピが
私の家庭の味になり
家族と笑顔で囲む食卓が
何よりも嬉しい時間だった。
『おでん鍋
おしくらまんじゅう
鍋の中』
読み人知らず
ラブ&ピース