七夕と、3日後に『誕生』する私。
今日は七夕さま。
だれかのたくさんの願い事が、宙にあがる日だ。
どういう心境の変化か知らないが、今年の七夕は、なぜか、意味もなく、ワクワクしている。
去年まで特に願うわけでもない、平日である七夕。そして3日後には、20代後半になるにつれワクワクを失いつつあった私の誕生日。
七夕は、自分がひとつ老けるまでの残り3日のカウントダウンを告げるものだった。
だけど、今年の私はどうやら一味違う様子───。
その理由は、昨年2022年の11月に、
最近では進撃の巨人のED「悪魔の子」などの楽曲で知られる、ヒグチアイ氏のライブに参加したことにある。
最前席を獲得した私は、ピアノ一つ、彼女の身一つだけで、その時間を、空間を、「ヒグチアイ」という世界に引き込んでしまうパフォーマンスに酔いしれていた。
途中、演奏の合間に、彼女がアーティストとしてデビューするときの話をし始めた。要約になってしまうが、今でもその話が印象的で覚えている。
「メジャーデビューが決定したときは、ちょうど27歳になる直前で、 リリースの日を、どうしても(11月の)誕生日前までにしたくて、事務所と掛け合っていた。
なんてかというと、、、
『26歳の自分』に、なにかプレゼントを残してあげたくて。」
私は、その考え方に、まさに生まれ変わるような心地がした。
(あ、そうか。誕生日は、ただ何となく老けていくためのものじゃない。
それはその歳ひとつの自分という存在の終わりであって、そして次の歳の新しく生まれる自分のための日なんだ。)
その瞬間を生きている自分に対して、成長を喜んであげる、ねぎらって褒めてあげる、そしてそれは即ち自分を愛してあげるという、ヒグチアイ氏のような観点の誕生日を、私はいつ忘れてしまったのだろう、と。
子供の頃はもっと、次の歳になるのが楽しみで、それは純粋に、新たな自分がやってくるという区切りに対する喜びだったはずだ。
ああ、「おめでとう」って、
最初から自分に対するものだったんだ───。
そして彼女はその話を終えたあと、“Danny Boy”という元はアイルランド民謡のカバーの流れのまま、
アレンジを加えた“Happy Birthday to You”をしっとりと弾き、
わたしはその遠く幸せな記憶から呼び起こされた旋律と、久々に自分にプレゼントをあげられたような喜びで、
声が出そうになるのをグッと堪えて涙を流した。
(今、新しく誕生した私、おめでとう。)
彼女は「誕生」という名のライブにて、
その名の通り、自分自身が誕生するその瞬間を、私に説いてくれた。
話は戻り、私は七夕の今日、3日後に27歳の誕生日を目前にしている。
しかもちょうど、話によるところのヒグチアイ氏がデビューするときと同じく、26歳の終わりを迎える。
私は、その話を聞いていたからこそ、
26歳の自分に「ここまでお疲れ様。どうかゆっくりしてね。」と送り出し、
ついでに、なんてこともないとある些細な挑戦のきっかけをプレゼントした。
ヒグチアイ氏のような、多くの人の感動の場所に立つための挑戦だ。
そしてたぶん、だめだったらこれからも何度でも挑戦するだろう。
結果がどうあれ、これをしてあげたから、今のわたしはもう、『26歳の自分』が3日後に死んでも満足している。
そして、27歳のこれから産まれる新しい自分にも、「誕生、おめでとう。26歳の君にきっかけを渡したから、27歳の君はそれを続けるだけだよ。」と、手を広げてお祝いする準備ができている。
もう、去年までの老けるための誕生日も、切羽つまっていたカウントダウンのための七夕も、彼女のおかげで消え去っていたことに、
願いよりも感謝の気持ちを、私なりの短冊として今ここへ書き記した。
《参照》
(余談)
このマインドで七夕のことを想っていたら、
「七夕の3日後に産まれた私は、私自身は産まれてないから願えなかったし、七夕に降る星のような輝く存在でもないけど、
七夕で宙にあがった、だれかの多くの夢や願いを背負って地上に来たと思えば、
私はそれに応えるために産まれたのだ。」
と、すっごいキラキラした考え方にまで至ってしまったのはここだけの話。
(でも、そういう存在に、どうかなれますように。願いは、それだけ。)