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お母さんへ - 死んだ母の日展 手紙

これは、「死んだ母の日展」へ投稿するはずだった、私の超個人的な、亡き母への手紙です。
せめて生きている誰かへ、僅かながらでもなにかのヒントになればと思います。

以下記事の続きになります。
https://note.com/mik_musik/n/n523eef1cf38f

死んだ母と、死んだ母の日展さんに感謝をこめて。





親愛なるお母さんへ

そちらでは楽しく過ごしていますか?

さきほど、たまたま「死んだ母の日展」のニュース記事が私のもとへ飛び込んできて、
それを見つけたレストランで、

洋楽好きなあなたが一番大好きだった
ABBAの"Dancing Queen"が
偶然にもBGMで流れました。

サイン、だったのでしょうか。
私は、この手紙を必ず書かなくてはいけないな、と感じました。

あれから早いものです。亡くなってから12年経ちましたね。

この手紙を書こうと思ったとき、
私/俺の1人称は、もうあの頃みたいに「僕」じゃなくなっていて、
あの頃みたいに書いたほうがいいかどうかも迷ってしまってます。

今回は、慣れないかもしれないけど、「私」でいかせてください。

お母さんが亡くなってから、
正直言ってしまえば、
家庭はとても大変でした。

父と一人っ子の私だけの家族は、
お母さんがいなくなったことで
二人で精神を病んだりして、
物理的な大変さよりも、
お母さんがいなくなったことの重みを知ったことのほうが、何よりも苦しかった。

余談ですが、
あなたと私が同じく好きな占いにおいて、
お母さんが亡くなったあと、何気なく占い師の方に会った時、
父と私は「全く同じ性質の岩山」のような気質で、
お母さんはそれを支える「大地」のような気質と言われて、
ああ、本当に、そうだったのだろうと妙に納得したのを覚えています。

お母さんならわかるでしょう。
きっと四柱推命の話だね。

その大地という土台をなくした家族バランスが、
本当に一気に崩れてしまったんだな、と思いました。

きっと、あなたはそちらで見ていて、
二人の様子は気が気でなかったんじゃないかなと思います。

だけれど、
私は今に至るまで、徐々に喪失を克服し、
お母さんに対して、お母さん自身は少し寂しく思うかもしれませんが、常々こんな言葉をあなたに贈りたいと思っています。

「お母さん、亡くなってくれて、ありがとう。」

誤解なきように。悪い意味じゃないからね。

お母さんがいなくなってから、
私は初めて、病んでしまった父との紆余曲折で、家族というものの形や、父と息子という関係性、そしてなにより自身の未熟さに立ち向かうきっかけとなったのです。

私は、本当に、お母さんとお父さんに大切に育てられました。
もっと言えば甘やかされすぎた部分も大いにあります。笑
(でも、そのおかげで、不自由なくのびのび育つことができたのは本当に感謝しています。)

だからこそ、あなたが亡くなったことは、
この家族、そして私自身のために、成長しなくてはならない過程のひとつだったのだと、今になって思います。

お母さんが亡くなったおかげで、
お父さんは、自身でも扱いづらかった難しい性格を、自ら少しずつ変えていく努力をするようになり、紆余曲折を経てだいぶ昔より丸くなって、
昔も仲が悪いわけではなかったけど、父と息子が、今では真の友達のように話し合える関係性になりました。

同じく私も、自分から環境を変えていく努力をするようになって、考え方もひとつひとつ改めていくようになり、

どんなに病んでて辛くて、本当に死にたくなっても、

(そちらにはまだいかない。
お母さんにできなかったことを、今生きている大事な人のためにして生きる。死んだらそっちで会えなくなるかもしれない。)

と、あなたを思っては、あなたの死を原動力にして、ここまで頑張って来れました。

今ではそうもがいていたのが、嘘のように落ち着いたけどね。

なんだかここまで、皮肉のように聞こえるかもしれないけれど、
本当に素直に、今ではお母さんが亡くなったことを、「過程」と認められるようになって、
何事にも後悔せずに生きることができるようになったことは、お母さんのおかげで、本当に感謝しています。

そもそも「後悔」なんて名前のもの、お母さんの亡くなったこと自体の過去や、お母さんとの大事な思い出に、わざわざ塗りつけたくないもんね。

お母さんが、大好きだからね。

あなたのジョークやユーモア、テレビっ子らしいバラエティ魂あふれる日々が、ただただ楽しかった。

今はもうそれだけです。

だから、亡くなってくれて、ありがとう。
生きてた日々に、たくさんありがとう。

産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
守ってくれてありがとう。

振り返るより、今を見て、生きていこうって思えるくらい、
今の私は、もう精神的に悪いところもなくなったし、大丈夫だよ。
心配かけてごめんね。
これもお母さんやみんなのおかげ。

でも、ひとつだけ、「後悔」というものがあるとすれば、
直接ちゃんと、お母さんが大好きって、おとなになってから真正面から言いたかったなぁ。
昔、ちゃんと、そうやって言ってたのかなぁ。


結びに、

今年は、十三回忌ですね。9月に供養しに参ります。
もう、リウマチは痛くないのでしょうから、
そちらでどうか、親戚のみんなとゆっくり見守っていてください。

私の周りには、大事な人がいるから今はとても幸せです。

あなたが名付けた犬のラン君も、もう亡くなってから7年経つけど、一緒にいて、噛まれずに、仲良くして欲しいものです。

ランにも大好きだって言っといてください。

見えなくても、離れてても、私はいつもお母さんと繋がってるつもりだからね。

またお墓に雑談しに行きます。

p.s.

電子レンジの前で、楽しみに待つお母さんが、ハエのように手をこする癖、俗称「ハエスリ」が、
昔から相変わらず遺伝してしまっていて、
私も無意識に同じようにしてて、
気づいた瞬間いつも笑ってしまいます。
なんとかしてください。

いや、やっぱそのままでもいいかぁ。

せかいいちかわいいだいじな息子より


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