【MBTI】INTJなおじいちゃんのネタを仕入れてきたよ
私の母方の祖父はINTJで8w7だと思われるのですが、あまりにもキャラが濃いので過去に二回ほど記事にしています。
そして先日、また新たにネタを仕入れたので記事にしようってわけですよ!
でもその前に、過去の記事を読むのはめんどくさいって人向けに簡単に祖父の紹介をしようと思います。
おじいちゃんは既に病気で亡くなっているのですが、死の数年前まで強そうな風貌を保っていた人でした。大柄で筋肉質で目つきが悪く、この記事のヘッダー画像とは真逆の外見です。あんな穏やかな好々爺じゃないです。
おじいちゃんと見た目が似ているのは、
柴田勝家
金剛力士像
閻魔大王
このへんです。おまけに筋金入りの共産主義者で、常に何かに怒っているような話し方をする人でした。
人間不信と与党への憎悪と共産主義をミックスさせたドライな世界観を持っており、
「自民党に投票する農民どもは馬鹿の極みだ! 資本家の親玉が労働者の暮らしなど考えているものか! お前らは自分を屠殺したがっている飼い主に餌を与えている豚だ! これを思考停止と言うんだ!」
大体こんな感じの喋り方をする人でした。
よりによって近所の農家と公民館に集まっている時にこういう演説をするので、怒った農家と取っ組み合いの喧嘩になったこともあるそうです。若い頃は何度か返り血を浴びて家に帰ってきたこともあると聞いています。昭和だから許された蛮行ですね……。
でもおじいちゃんは自分から殴りかかるタイプではなく、あくまで「先に手を出してきたら返り討ちにする」というスタンスだったらしいです。普段は口数が少なくて穏やかな読書家でしたからね。その割にやたら色んな人と揉め事を起こすのは、ぶっちゃけコミュ障だったからだと思います。
祖父としては「真面目に日本の将来を考えて持論を語ったら、何故か周りの農家が逆上して掴みかかってきたから殴り倒してやったわ」ぐらいの感覚だったんじゃないでしょうか。
まあ……不器用な人だったんでしょうね。孫には本当に優しかったですし。
いや、孫どころか身内の女性全般にそういう感情を抱いてたと思うんですけどね。見た目と話し方に迫力があるせいで誤解されがちだったのでしょう。
私の母はどうも祖父とは折り合いが悪かったらしく、「あの人は小難しいことばかり言ってて暗いし、すぐ人と揉めるから家の空気が悪くなる」とボヤくことが多かったです。
さてそんな祖父との相性がイマイチだった母ですが、最近になって私に電話をかけてきました。内容は職場の愚痴です。
何やら仕事でミスをしたら警備員のおじさんに怒鳴りつけられたらしく、それが気に入らなかったようです。
「男の人にあんな風に怒鳴られるの慣れてないからビックリした! 私は夫にも父親にもあんな扱いされたことないのに……!」
と大変イライラしておりました。
その時私はふと、
「父親にもあんな扱いされたことない? じゃあおじいちゃんに怒鳴られたことがないんだ?」
とたずねてみたんですね。そしたら母は昔のことを思い出したようで、
「……ああ、そうね。父さんは私を怒鳴ったり殴ったりしたことは一度もなかったわ」
しみじみとした口調で語り始めました。
なんだ、割とおじいちゃんに甘やかされてるじゃないのお母さん。
面白くなった私はそれをきっかけに祖父の昔話をあれこれ聞いてみました。
するとまー出るわ出るわ、濃い目のエピソードがいっぱい出てきましたね!
免許取得に至る道
まず一つ目は祖父が車の免許を取るきっかけになったお話です。
なんでも母が小さかった頃、祖父は車を保有していなかったそうです。ド田舎の山奥に住んでてこれは珍しいですよね。ただここまで田舎すぎると自治体の移動販売車が来てくれるので、日用品を揃えるだけならなんとかなってたみたいです。
そして祖父は自転車で駅に向かってから電車通勤をしていたそうなので、特に生活に不便は感じてなかったらしいですね。
祖父の趣味は読書と散歩と機械工作と政府批判で、自分の敷地を遠く離れて遊びに行くことには興味がない人でした。だからマイカーに必要性を感じていなかったのかもしれません。このへんはSe劣勢も絡んでそうです。
そんな車のない山奥の屋敷で、事件は起こりました。
当時小学生だった母は夏休みの真っただ中。やることがないので昼間から畳の上に寝そべり、十円玉を舐めて暇つぶしをしていたそうです。
いきなり嫌な予感がしますね。
案の定、寝返りを打った途端に誤飲して息ができなくなったみたいです。何をやってるんでしょうかロリ時代の母は。
たまたま仕事が休みだった祖父は窒息しかけている娘を見つけると、おんぶして家を飛び出しました。病院に連れて行こうにも車がない。平日の昼間だったので近所の車も出払っている。タクシーを呼んでも駆けつけるまでに時間がかかる、なんたってここは山奥なのだ。
一体どうすればいいのか?
祖父は娘を背中にくくりつけると、自転車に跨って鬼の脚力で病院に向かったそうです。
そのへんの車より絶対スピードが出てた、と母は懐かしそうに語っていました。
祖父が三十代だった頃の写真を見たことがあるのですが、肩と胸の筋肉が盛り上がって腹筋が綺麗に割れてましたからね。あの体つきで、しかも死にかけの娘を助けるためにアドレナリンがドバドバ出てる状態ですから想像を絶する速度が出ていたはずです。
おかげで母は一命を取り止め、気道を切開することもなく呼吸を確保できたそうです。なんかお医者さんに背中をバンバン叩かれたら、十円玉が胃に落ちて呼吸ができるようになったとか。
これだけならクールなINTJも親子愛が絡めば必死になるのね~。という微笑ましい話で終わるのですが、それから数ヵ月後に母は飴玉を誤飲して再び窒息しかけます。
今度の祖父は自転車で爆走したりせず、お医者さんの真似をして背中を叩く処置を行ったところ、飴玉が胃に落ちて事なきを得たようです。
でもさすがの祖父も思うところがあったんでしょうね。二回目の誤飲騒動が終わったあと自動車教習所に通い始め、免許を取得して車を買ったそうです。
母よ、もう何も口に含むな
それから数ヵ月後。
小学生時代の母はかなりのお転婆だったようで、三度目の誤飲騒ぎを引き起こします。
今度は友達の家で遊んでる最中、庭に置いてあった殺鼠剤入りの団子を興味本位で食べちゃったらしいんですね。ほんと何でも口に入れる癖を直した方がいいと思います、少女時代の母は。ここで死んでたら私が産まれてこなかったじゃないですか!
「私ねずみ年だから殺鼠入り団子に引っかかったのかもね~」
などと笑い話にしてましたが、確実にそういう問題じゃないと思います……まず人ん家に置いてあるものを勝手に食べちゃダメでしょ!
でまあ、当然ながら毒入り団子を食べた母は具合が悪くなり、嘔吐して病院に運ばれることとなりました。
無論、祖父は怒り心頭です。
「子供に見える場所に毒入りの菓子を置く奴が悪い。そんなもの口に含むに決まってるだろう。他の子供達も危ないから撤去させてやる」
と憤ってその家に怒鳴り込み、殺鼠剤入り団子を全て撤去させたそうです。
……ん? うん?
この怒り方は正しいんだろうか……いえ、もちろん人様の家の団子を勝手に食べた母のことも叱ったらしいのですが、それはそれとして子供の目につくところに毒物を置くなという理屈だったみたいですね。
見た目も喋り方も怖すぎる祖父に猛抗議された結果、近隣で毒入り団子を置く習慣は消失したとのことです。
あとやっぱ祖父は娘に甘い気がします。この話を初めて聞いた時、美談なのかダメな甘やかしなのか判断に困りましたからね。
獣相手に小細工は用いない
娘が毒物を誤飲するという事件が起きて以来、祖父は敷地内に子供が飲んだら危ない薬品はまず置かないようになりました。
そうなると今度は害獣対策が難しくなってきます。殺鼠剤を設置する家があったくらいには、鼠の被害に悩まされてた地域ってことですからね。やむを得ず祖父は猫を飼い始めたそうですが、それでも抜本的な解決策にはならなかったようです。
なんせ山奥の農業地帯ですからね。あたり一帯に田んぼと畑が広がっていて、野生動物からするとレストランに見えてたと思います。
おまけに祖父は建設業の傍ら、庭で養鶏を営んでいたので害獣対策は必須です。ヘビや獣が鶏を狙って侵入してくることが頻繁にあったみたいですからね。
うーん……毒の入った罠は使えない、となると鉄条網やトラバサミを設置したのでしょうか?
「おじいちゃんはどうやって害獣駆除をしてたの?」と母にたずねたところ、
「殴り殺してたよ」
というフィジカルな答えが返ってきました。
……動物愛護な人達、どうか怒らないでください……おじいちゃんも生活がかかっていたのです……。それに近所の子供達を心配して、危険な毒物や罠は封印したがゆえにこの方法になったのです……子供にも環境にも優しいエコな駆除法なのです……。
あとおじいちゃんは別に、経済的な利益のためだけに害獣を駆除していたわけではないのです。私怨もあったようです。
母がまだ小さかった頃、祖父の屋敷にツバメが巣を作ったことがあるらしいんですね。若いつがいが一生懸命を雛を育てるのを、一家そろって微笑ましく見守っていたそうです。
ところがある日、巨大なアオダイショウがするすると柱を登り、軒下にあったツバメの巣に頭を突っ込んで次々に雛を丸飲みにしていったという事件が起きたそうです。当然母はギャン泣きです。頭に来た祖父はそのアオダイショウを八つ裂きにしたと聞いております。
どうもその一件があったせいか、自分の敷地内で悪さをする野生動物には一切の手加減をしなくなったようですね。
娘への愛情やツバメの仇討ちが絡んでるということで、大目に見てあげてくれませんかね……。
共産圏ツアー
ここから時系列は一気に飛んで、祖父が高齢になってからの思い出話になります。
建設現場での仕事や様々な副業で財を成したおじいちゃんは、老後は裕福な暮らしをしておりました。
すると「若い頃できなかった海外旅行をやろう」という気分になったらしく、祖母と一緒に世界中を旅することになったのです。新婚旅行もしていなかったので、青春を取り戻したかったのかもしれませんね。
ただ行き先が旧共産圏とエジプトだったので、祖父の趣味が丸出しでした。この時既にソ連が崩壊して二十年近く経っていたのですが、東側陣営の復活を諦めきれない祖父は現地に行って悪あがきがしたかったのかもしれません。エジプトに関しては古代文明への興味が抑えきれなかったようです。
ゴリゴリにNT型の感性全開な旅行プランだと思うのですが、ISFPの祖母はちゃんと楽しめたんでしょうか……?
なお旅行の感想を祖父に聞くと、地元住民の教育レベルとか現地の政治情勢とかそんなことばかり語ってきたのを覚えています。
祖母はひたすらガイドの接客態度と現地の食事について文句を言ってましたね。
晩年
強くて頭の切れるおじいちゃんでしたが、さすがに寄る年波には勝てません。七十を過ぎたあたりで体のあちこちに腫瘍ができ、脳出血まで起こしてしまいました。しかも軽度のアルツハイマーまで発症していたそうです。
もはや自力での生活は困難になり、ついには入院することとなります。
苛烈なINTJのおじいちゃんが痴呆になるとどうなるのか?
はい、皆さんも想像している通り信じられない変貌を遂げます。そのあまりの変わりように親戚一同が驚きを隠せませんでした。
なんと脳細胞が委縮したおじいちゃんは、
別人のように人懐こい性格になって入院先で人気者になっておりました。
いつもニコニコ笑いながら歌ったり冗談を飛ばしたりするので、看護師さんからとても可愛がられていたそうです。セクハラめいたこともしないので随分扱いやすい患者だったようですね。
その様子を見た祖母は「私にはあんな風に愛想良くしてくれたことないのに、若い看護婦相手だとおべっか使うんだから!」と年甲斐もなく嫉妬の炎を燃やしておりました。どんなに年老いても女は女なのですね。
そうして人生最後のモテ期を堪能したあと、祖父は眠るように世を去りました。平均寿命より早い最後でしたが、濃い目のエピソードが多いので未だに親族の間で話題になります。
特に母は死んだ先祖が守護霊になるという考えが好きならしく、
「私の後ろに亡くなった父さんが立ってるなら、変な悪霊は寄ってこないでしょ。あの人ならオバケは全部殺すと思うし」
と定期的に口にしています。こういうことを言ってる時の母はなんだか嬉しそうです。
生前に強すぎたせいで死後も子孫に安心感を与えてるんですから、とんでもないことですね。肉体を失ったあとも全然存在感が絶えてないですよ、おじいちゃん!