見出し画像

INTJなおじいちゃんとINFPな孫の話

 今は亡き祖父がINTJだったのがほぼ確定したため、あの人との思い出を再び掘り下げてみます。
 
 私のおじいちゃんがどんな人物だったかというと、
大の人間嫌い」で「共産主義者」で「普段は寡黙なインテリだが喋ると色んな人と揉め事を起こす」が「身内には甘い」人でした。
 
特徴が多すぎる。
 祖母はどこにでもいる大人しいおばあちゃんだったのに、なぜ祖父はこんなにキャラが濃いのか。
 やはりそれは、彼が希少なINTJだったからでしょう。死の直前まで知的好奇心が絶えず、小難しい本を読み漁り、よくわからない機械を作り出し、自分を理解しようとしない近隣住民を軽蔑していました。
 その一方でお盆に私が遊びに行くといつも冷蔵庫をアイスと炭酸飲料でパンパンにして歓迎してくれたし、クリスマスになると無表情のまま赤い靴下に玩具が詰まったお土産を持ってきたこともあります。
 きょ、共産主義者のサンタさん……確かにどっちもイメージカラーは赤だけど。似合わなすぎでしょ。

 祖父には二人の娘がおり、そのうちの一人が私の母。もう一人が私の叔母です。
 私、弟、妹、二人の従姉妹。合計五人の孫が夏休みになると祖父の家に遊びに行きました。
 自惚れでなければ五人の中で一番可愛がられていた孫は私だったと思います。私の見た目は祖父とは全然似てないんですけどね~。なんでだろうと不思議だったんですが、MBTIの知識がついた今だと、
「孫の中で私だけがN型だったから」
 
な気がしてなりません。祖父が口にする共産主義や宗教の話、小屋に置いてある謎めいた機械の図面などに一番興味を示したのは私でした。幼すぎて祖父の言っていることは殆ど理解できなかったのですが、「なんか面白そう」だとは感じていました。他の四人の孫は外を走り回ったり宿題をこなすのに夢中で、祖父の言動には無関心だったように思います。
 従姉妹は成績が良かったのでその気になれば祖父の話を理解できたはずなのですが、浮世離れしたものには全く興味を持たない子でしたからね。おそらく従姉妹は「勉強のできるS型」だったのでしょう。

 きっと祖父も私にうっすら同族臭というか、「こいつは俺の話に食いついてくるな」というのは感じ取ってたんだと思います。
 なので私の前でだけチェンソーを使って木を切り刻んで謎の機械を組み立ててくれたことがあります。途中でうっかり自分の親指の腹を切って出血したのはご愛敬ですね。

「ふん。切ったか」

 とつまらなそうに吐き捨てて指を舐めて、何事もなかったかのように作業を続けてたのは凄いんですが絶対痛かったと思います。孫が見てるから泣き言なんて言えなかったんだろうな……。
 祖父は誰の前でも弱みを見せまいとしていた節があります。なんでも若い頃、仕事中にお腹を下してパンツを汚してしまったことがあるそうなのですが、それを家族に見せるのはプライドが許さなかったため川にパンツを投げ捨てて新品のパンツを買い、帰宅したという逸話もあります。
(パンツがなぜか新品になっているのに気付いた祖母が浮気を疑って問い詰めたところ、祖父は上記の出来事を白状したそうです。浮気より下痢の方がよほどありうるということで納得されたみたいです)
 祖父は別にブ男ではなかったのですが、かといって女性が寄って来る雰囲気でもなかったですからね。見た目はなんだろう……戦国時代を題材にしたゲームに出てくる柴田勝家みたいな感じです。ひたすらごつくて強そうでした。
 祖父はなにせ貧しい農家に生まれたので、少年時代から肉体労働ばかりの毎日だったようです。だから老後も筋肉質なままで、服の上からでもわかるほど肩の肉が盛り上がっていました。昔は祖父のそんな体型を「よそのお爺ちゃんより強そうで格好いい」と思っていたのですが、今は違う見方をしています。
 インテリ気質なNT型が全身を筋肉で覆わねばならぬほどの力仕事をやらされる毎日というのは、大変な屈辱だったのではないでしょうか。
 どこの現場に行っても全く同僚と話が合わなかったみたいですし。周りは「酒と女があればそれでいい」という荒くれ者ばかりですから、難解な本を読むのが好きな祖父が馴染めるはずがありません。

「なぜ俺のような人間がこんな仕事をせねばならんのだ」

 という恨みつらみを抱いた少年が、富の平等な分配を唱える共産主義と出会ったらそりゃのめり込むというものです。
 祖父は工事現場で働きながら様々な副業に手を出し、そのほとんどが上手くいきました。日本経済が右肩上がりの時代に働けた幸運もあるのでしょうが、間違いなく商才はあったと思います。
 おかげで祖父のお屋敷はあたり一帯で一番大きく、庭は広く、小屋は三つも建っていました。食事はいつも風変わりな御馳走ばかりで、とても舌が肥えていました。家の中は上質な品で溢れ、娘や孫には経済的な援助を惜しみませんでした。
 祖父はたった一代で中流より上の暮らしを実現したのです。
 INTJは全タイプでも一、二を争うほど賢いとされていますが、祖父の生き様を見ればその通りかもしれないと思えてきます。細い実家と低学歴というハンデを抱えた状態で社会に出ても、実力で這い上がって見せたのですから。
 もしも彼がもっと裕福な家に生まれて、高度な教育を受けていたらどうなっていただろう……と想像することがあります。まあ、もしそうなっていたら遺産争いが激化するほどの家柄になっていたかもしれないので、これで良かったのかもしれませんが。お金なんかより家族仲の方が大事ですからね。
 
 ちょっとうちのおじいちゃん凄いエピソードに熱が入り過ぎて脱線した感があるので本題に戻ります。孫である私との交流を語るつもりでしたからね。
 母は弟や妹を妊娠するたびに私を祖父の家に預けたので、私は他の孫よりも祖父と付き合いが長かったんですね。N型同士の共鳴だけでなく、こういう理由もあって可愛がられていたのかもしれません。なんか二歳の頃にふざけて祖父の肩に嚙みついたこともあるらしいのですが、祖父は「好きにしろ」という感じで放置していたそうです。
 自分に議論をしかけてきた人間は容赦なく怒鳴り、掴みかかってきた人間は鉄拳制裁、自民党を侮辱させれば天下一品のあの祖父がです。孫にかじられて無抵抗。これは凄いことです。INTJは人間嫌いとされていますが孫は例外なようです。
 幼い私が新聞に挟まっていたチラシをちぎって花吹雪ごっこをしていると、無言で追加のチラシを持ってきてくれたこともありました。確か赤や黄色のチラシをちぎって「桜吹雪~」などと言っていたのですが、祖父は地響きのような声で言いました。

「そんな色の桜があるか。ピンクだろう!」

 私は「そっか~」と祖父のアドバイスに従ってチラシからピンク色の部分を選び抜き、より再現度の高まった桜吹雪ごっこで散々に居間を散らかした覚えがあります。
 タイプごとの平均知能指数ランキングではTOP2に食い込んでくるINTJの知性が、孫の無軌道な遊びのサポートに費やされたのです。スパコンでソシャゲをするような無駄使い感があります。

 さすがにおままごとに巻き込もうとしたらそそくさと別の部屋に移動されましたが、祖父は隣で私がどんなに変なことをしていても黙認してくれた記憶があります。
 そうですね、あくまで「黙認」という関係性でした。
 静かに本を読んでいる祖父の横で、私が黙々と一人遊びをしている感じです。で、面白いことを思いついた時だけぽつりと話しかけると。
 IN型同士なのでこのような空気になるのです。
 ああ、こうして文章にしてみると口数の少ない者同士なのも相性が良かったのかもしれませんね。私はお喋りが好きな人が傍にいれば相手に合わせますが、無口な人と二人きりの時はちっとも喋らなくなります。そしてそれを苦痛には感じません。なぜ人々は沈黙を恐れるのでしょうね? 誰かが黙り込んでいる時は、頭の中で楽しい想像を膨らませているだけかもしれないのに。
 祖父が共産主義に思いを馳せている間、私はメルヘンな空想を繰り広げている。
 それでよかったのです。
 
 しかし時には祖父も自分から重い口を開くことがあります。どうも共産主義の次に仏教に関心を持っていたようでした。私も死後の世界にはある程度興味があったので……確か十歳か十一歳の頃、祖父が振ってきた輪廻転生の話に食いついて、いくつか質問をしたんだったかな。
 そしたら他にも孫がいる前で、祖父は私だけを車に乗せて山の中にあるお寺に連れていってくれました。露骨に贔屓されてますね。
 祖父の後を付いて建物の中に入ると、住職に案内されて地獄絵図を見せてもらうことになりました。その絵のおどろおどろしさと、祖父の解説は今でも頭に残っています。
 大きな背中を揺らしながらのしのしと歩き、

「これが血の池地獄」
「これが針山地獄」
「嘘を付いた人間は、舌を抜かれる」
 
 と断定口調で説明してくれたのをうっすら覚えています。文字にするとクールに見えますが、実際の祖父の声はものすごくビリビリ響いて怒鳴るような感じです。なんだろう……雷を落とすというか、何かの説法というか、ぴしゃりと言い放つ。そういう喋り方をする人でした。普段は無口なのに、いざ喋ると物凄い声量が出るので不思議でなりませんでした。
 ちなみにこの時に地獄絵図を見せてくれたお寺が檀家だったのですが、祖父は数年後にここの住職さんと揉めます。

「あの生臭坊主が! たかが戒名の文字を弄り回すのにやたら金を取って来る! 大体、俺はまだ生きているのに死んだ後の話ばかりしてくる!」

 と、こんな風なことを言って怒鳴り散らしていたと聞いています。
 なぜあの人は喋るたびに敵を作るのでしょうか。
 孫には本当に優しかったのに、身内以外とは戦わずにいられないのです。最後の方はもう親戚中が呆れかえって、「死ぬまで誰かと戦う男だ」と笑って面白がってましたね。
 なんだろう、根本的に他人を信用してなかったんでしょうね祖父は。とにかくドライで冷たい世界観で生きている人でした。見た目が柴田勝家なだけでなく、メンタルも荒んだ戦国時代を生きていた感があります。
 
「世の中は馬鹿ばかりで、どいつもこいつも何も考えちゃいない。そのくせ無駄に嫉妬深く、俺を利用しようとする。敵しかいない。だが俺は決して騙されない。共産主義によってなんちゃらかんちゃら~」

 酔っぱらうとよく私の母や父に向かってこんな感じの持論をまくし立てていました。実際はすさまじく訛っていたのですが、標準語に翻訳するとこういう内容になったはずです。
 誰にも利用されるもんか、と警戒してる割に孫にねだられたらバニラアイスを買わずにはいられなかったみたいですけどね……。

「おじいちゃん、私バニラとチョコのシマウマみたいな模様のアイス好き」

 と私が言ったのを覚えていて、欠かさずゼブラ模様のアイスを冷蔵庫に入れておいてくれましたからね。
 それともこれは共産主義に基づいたアイスの再分配だったんでしょうか……? INFPな私ではそれくらいしか思いつかないけど、おじいちゃんの冴え渡る知能を考えれば何か高度な目的があったに違いないんですよ。
 まさかあのおじいちゃんが孫が可愛くて仕方なかっただけだなんてそんな……ねえ?(わかってて弄ってる)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?