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神様に泣きついていた頃の話

 皆さんご存知のように、私は何度も昔のことを思い出しては記事にしています。いえ、作り話じゃないんですよ? 確かにプライバシー配慮の観点から改変するとか、酷すぎて逆に作り話と思われそうだから無難な方向に改変するといったことはありますが、大部分はちゃんと実体験です。
 自分でも不思議なくらい過去の記憶が鮮明に浮かび上がってくるんですよね~。
 ところがそんな色々思い出せるモードに突入しつつある私ですら、記憶が定かではない時期がいくつかある。
 具体的には、ストレスがヤバすぎて錯乱していた時とか……。
 なので今回書くエピソードはかなり曖昧な記憶に頼っており、想像力で補っている部分が多数あります。簡単に言うと「全体的にうろ覚えな描写になるけどごめんね~」という言い訳です。
 一体どういうことかというと、一時期あまりにも病んで自分でも何をやっているかわからない状態になり、宗教にすがりついたことがあったんですね。
 
 ええと……あれは私が会社員を辞めた直後の頃でした。
 当時私は初めて自分が書いた文章でお金を貰うことができ、有頂天になっていたのですが、その浮かれムードに水を差すような出来事が起こったのです。

 突如として弟が重病にかかり、発作を起こしながら病院に担ぎ込まれちゃったんですね。

 苦しんでいる弟を見ていると、可哀想すぎて泣くことしかできません。
 だが私の涙が何の役に立つというのでしょう?
 入院中の弟に文庫本を差し入れしたのは覚えてるんですが、その後はほんとに記憶が飛んでて、まあどうせ私のことですから自室に引きこもって泣いてたんだと思います。
 そんなある日、ふと頭の中にこんなアイディアが湧いてきました。

「そうだ、宗教を頼ろう」

 って。
 もう、なんでもいいから万能の存在にすがりついて、心の支えにしたくなったのです。私一人では抱えきれなくなったのです。もちろん私には科学の知識があるので、神や仏を心の底から信じていたわけではありませんでした。どっちかというと「多分いないんだろうな」とすら思っていました。
 けど、そんなのはどうでも良かったのです。とにかく強くて優しくて何でも受け止めてくれる存在に甘えたかったのです。
 
 さて神仏にすがりつきたくなった私は、フラフラと歩いて色んな神社に出向きました。 
 お稲荷さんに天照様、たくさんの神様にお祈りしましたね。
 最後は確か……港町にある神社に入った覚えがあります。
 泣き腫らした目で金毘羅? だかそんな名前の神様にお祈りを捧げました。読み方はこんぴらでいいのかな? きんぴらごぼうみたいで可愛い名前だなあ、この神様に祈って弟の病気が治るのかなあ、治るわけないなあ、でも祈る以外に何をすればいいのかわかんないなあ。
 そんなことを考えながらお賽銭を投げ入れ、ベンチに腰かけてうなだれていたはずです。私が過去を思い出せないってことはどうせ泣いてヘラってたんですよ。
 で、その神社は第二次世界大戦の戦没者が奉られてるんですね。
 結構大きな建物が敷地内にあるんですが、遺骨が回収されていない兵隊さんの慰霊施設らしく、骨を埋めるためのお墓とは性質が違います。あくまで彼らの霊と遺族感情を慰めるための建物と言えます。まさに宗教が果たすべき役割の象徴かもしれません。
 私はその慰霊施設をぼんやり眺めながら、家族の骨すら帰ってこないってどんな気分なんだろうと悲しくなり、余計にヘラり、えーと家に帰ったのかどうかは覚えてないんですが、多分帰ったと思います。

 それから数日後、私は教会に顔を出していました。なんか支離滅裂なことを言いながら泣きついたはずですが、そこにいたおじさんは大変気の毒なものを見る目で話を聞いてくれて、緑色の表紙の聖書をくれました。

「悲しい時はこれを読んで、もしも神様に興味が出て来たらまたおいで」

 そんなことを言って家に帰るよう諭してきました。実に良心的な対応だったと思います。その気になれば精神的に錯乱してる私なんて簡単に丸め込んで入信させることができたはずですからね。さすがは地元のちゃんとした穏健派の教会です。この一件があるので私は結構キリスト教が好きです。
 そういうわけでしばらくは聖書を読んで過ごしていたのですが、イエス様はいい人そうだなぁ、でも人名に被りが多くて覚え辛いなぁ、といった頭の悪い感想しか出てこなくて、結局入信するには至りませんでした。
 キリスト教徒の優しいところは好きなのですが、肝心の聖書に興味が持てないのです。これではクリスチャンになる資格がないでしょう。
 ……今思い出したんですが、確か当時の鍵垢で「教会に行って慰めてもらったよ~」みたいなツイートをした記憶があります。
 そしたらフォロワーが一斉に私を心配してリプライやDMを送ってきて、

「大丈夫か」
「まともな教会なのか」
「お願いだから変な宗教にハマらないで」

 
とあれこれ声をかけてきましたね。私ってどういう目で見られてるんでしょうか。
 あと変な宗教にハマるも何も、しばらくしたら私もストレス性の胃腸炎になって入院して物理的に隔離されたので、身の安全は確保されたんですよね。
 精神的に不安定なままフラフラ歩き回って宗教施設を訪問する生活とはこれでおさらばというわけです。やったね!
 思えばあれが人生初の入院だったなぁ……。
 で、病院にいる間は看護師さんがとても良くしてくださり、徐々に私は心の平穏を取り戻していき、弟も薬の力で退院できるようになりました。
 科学の力って凄いなーとしか言いようがありません。
 それともひょっとして、神様に祈りが通じたんでしょうか?

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