#6 お産の記憶は扁桃体に刻み込まれる
こんにちは。助産師のHiroです。
先日書き始めたnoteが思い入れが強すぎてなかなかまとまらないので、別のテーマで書いてみます。私が助産師をするうえで大切にしていること。
お産のケアでしあわせに包まれる
私は長男の妊娠出産をきっかけに、自然なお産や自然な育児の大切さに気づき、自分の生き方を変化させていくなかで助産師になった。
長男の出産は自分の人生を変えた出来事であったし、最も記憶に残っている出来事でもある。
助産師は自分にとって天職だと感じ、「死ぬまで現役で働きたい」と思っている。出産した直後の赤ちゃんをみつめるお母さんの表情や、母乳のにおい、おっぱいに一生懸命吸いつく赤ちゃんの息遣い。お産やおっぱいのケアをしていると、色んなことがトリガーとなって自分のお産の記憶が鮮やかに蘇ってくる。
赤ちゃんを産みだすために陣痛を起こすのはオキシトシンというホルモン。オキシトシンは別名ラブホルモンとかしあわせホルモンと呼ばれることもある。オキシトシンには、安らぎやしあわせを感じる効果や、信頼感や共感が高まる効果、痛みを感じにくくなる効果がある。
お産を怖がらずに、リラックスしていいお産ができると、たくさんオキシトシンが出る。生きる喜びや赤ちゃんやパートナーに対する愛情があふれてきて、しあわせオーラに包まれる。
私は3人の子どもを出産した。特に2人目からは陣痛をまったく痛いと思わずに、宇宙とつながっているような自分が解放される感覚、多幸感に包まれる経験ができた。毎日助産師として仕事をしていると、自分のお産の記憶が蘇り、そのたびに幸せな気持ちで満たされる。
大脳辺縁系扁桃体のはたらき
お産の記憶は大脳辺縁系の扁桃体という場所に刻み込まれる。
大脳辺縁系は、哺乳動物が本能的に生きるために必要な役割を担っていて、大脳の内側にある古い脳と言われている。人間の喜怒哀楽といった情動や、性欲、睡眠や夢などをつかさどり、記憶にも関与している。
中でも大脳辺縁系の扁桃体といわれる場所は、情動反応の処理という大切な役割をもっており、快不快や好き嫌いといった情動・強い感情の処理、直観力、恐怖、記憶形成、痛み、ストレス反応、特に不安や緊張、恐怖反応において重要な役割も担っている。
自分の喜怒哀楽といった感情が大きく動いたり、身体に強い快感や、強い痛みや不快を感じると、その出来事に関する情報は、記憶固定と呼ばれるメカニズムによって半永久的な状態へと変化し、生涯に渡って消えない記憶となる。
私にとって出産体験は、強い喜びや快の体験であり、消えない記憶となって扁桃体に刻み込まれている。
お産をトラウマにしないように
私のケースは、幸運にも快楽の経験が一生消えない記憶となって固定されている。けれど、扁桃体にはポジティブなことだけでなく、強い怒りや悲しみ、不快や痛みといったネガティブなことも一生消えない記憶となって固定される。
レイプや虐待といった「その人の生命や存在に強い衝撃をもたらす体験」は心の傷であるトラウマ(心的外傷)となる。その時の辛い記憶は、後になって無意識に急激にかつ非常に鮮明に思い出されるフラッシュバックを起こしてしまう。
お産は心も身体もその人にとってプライベートなところをさらけ出す行為。例えば、陣痛で苦しい間にそばに誰もいなくて心細い思いをしたり、分娩台の上で半裸の状態でほおっておかれたり、赤ちゃんの状態が悪くなった時に何の説明もされずに赤ちゃんが処置のために遠くに連れていかれたり。
ケアがきちんとできていないと、お産をする女性にとってレイプを受けていると感じるようなつらい思いをさせてしまうことがある。
ほんとうなら女性にとって人生で最もしあわせな瞬間になるはずの経験が、医療者の対応ひとつでその人にとってつらいトラウマ体験になってしまう。このことを意識してケアができている人はどのくらいきるんだろうか。
ここ数年コロナの影響で日常生活でも人と人とのつながりが希薄になった。お産に対する不安や悩みを相談する機会が減っているのだろうか。助産師外来を受け持つとメンタルが不安定で気がかりな妊婦さんが増えている。お産の際にも立ち会いや面会が制限されて、妊婦さんが安心してお産をできる環境をつくるのが難しい。
助産師である前に「ドゥーラ」でありたい
「ドゥーラ」という言葉を知っていますか?
「ドゥーラ」(Doula)とはギリシャ語を語源とした、お産を助ける女性のこと。医療者ではなくて、だからこそ同じ産む立場の目線から、お母さんと赤ちゃんに寄り添える存在。私が出産したころは一部のマニアしか知らない言葉だったけど、最近はアメリカやイギリスなど先進地でのドゥーラの活躍が取り上げられて、産後うつの対策としても「産後ドゥーラ」という新しい職業が誕生したりしている。
私は3人出産してから助産師になった。
長男を妊娠した時、転職直後のまさかの妊娠で受け入れられず、自分はちゃんと子どもを育てられるだろうかと自信がもてなかった。何も医学的な知識がなくて、陣痛ってどんなに痛いのかと、ちゃんと耐えられるのかと思うと不安で仕方がなかった。慣れない家事をしながら、育児をして、仕事に復帰できるのか焦りや苛立ちでいっぱいだった。
そんな時「ドゥーラ」の存在を知り、そんな風にそばで支えてくれる人がいたらなあと思った。その気持ちをわかるのが、自分の強みだと思っている。
「助産師」である前に、私は「ドゥーラ」として、まずそばにいる人でありたい。心に寄り添い、思いを受け止め、その人らしいお産ができるように、その人の産む力を最大限に引き出せるように。私のようにお産の記憶が蘇るたびにその人が幸せに包まれてほしいと思う。それが、私が助産師として仕事をするうえで大切にしていること。
2388字 159分