ビットコイン通貨論
ビットコイン通貨論とは
ビットコインについては賛成(擁護)論者と反対論者がいます。「どっちでもいい派」もいるでしょう。
私はその何れであるとも言い難いです。賛成論者は現状のビットコインの在り方をよしとし、ビットコインを擁護します。私は現状のビットコインの在り方をよしと思っていないので多くの賛成論者と意見が異なります。一方の反対論者はビットコインについて「あんなものは禁止・廃止すべき」と言っていますが、私は基本的にビットコイン支持者なので禁止・廃止すべきとは思っていません。その点で反対論者とも異なります。
私はビットコイン支持者ですが、ビットコイン原理主義者とも違います。ビットコイン原理主義者は英語では「ビットコインマキシマリスト」などと呼ばれたりしますが、私はビットコインマキシマリストではなく、言うなれば「ビットコインカレンシスト(Bitcoin currencist / ビットコイン通貨論者)」です。ビットコイン通貨論者とは何かと言えば、ビットコインを通貨にしよう、ビットコインは通貨であるべき、という考え方を持っている人のことです。ただし、ドルや円に代えて、ではありません。ドルや円に加えて、です。
以下にビットコインに対して寄せられる、よくある批判を紹介します。そしてビットコイン通貨論の立場からは、それらの批判のほとんどに反論できることを示します。
ビットコインに対するよくある七つの批判
一、価値の根拠がない
二、脱税やマネーロンダリングなどの不正に使われる
三、あんなのただの投機じゃないか
四、何の役にも立っていない
五、電力を消費しすぎ、環境に悪い
六、ボラティリティが大きすぎるので通貨には適さない
七、「分散化された」と言いながら結局中央集権的になっている。一握りの人間が大半のビットコインを所有している
一、「価値の根拠がない」
価値の根拠とは何でしょうか。円には日本銀行という後ろ盾がある、と言う。それは価値の根拠と言えるのでしょうか? 突き詰めれば、それは日本銀行、日本政府を信用しているかどうかという問題になります。日本政府を信用できなくなれば日本円の価値はなくなります。それはビットコインでも同じことです。それを信じている者が多ければ価値はある。ビットコイン支持者は、政府の代わりに技術、暗号、数学に信頼を置いているというだけの話です。
二、「脱税やマネーロンダリングなどの不正に使われる」
脱税やマネーロンダリングに使われているのは、ドルや円も同じです。「デジタルになったことで、より犯罪に使われやすくなった」と言う人がいるかもしれませんが、ドルや円もとっくの昔からデジタルです。あなたは会社から給料を貰う時に、紙幣が入った給料袋を受け取っていないでしょう。会社の銀行からあなたの銀行に紙幣がトラックで運ばれているわけでもありません。あなたはPCやスマホの銀行アプリで数字が増えているのを確認するだけ。これはデジタルです。
三、「あんなのただの投機じゃないか」
この批判は同意です。今は投機・投資の対象にしかなっていません。ビットコイン反対論者は「だから禁止・廃止すべきだ」と言います。私は「だから正しい方向に持って行くべきだ」と言います。正しい方向とは「通貨」として使うことです。だから私はビットコインのことを「暗号資産」と呼ぶのも反対です。「暗号通貨」です。「資産」とは何でしょう。1BTCを持ってる人がいたとして、それが何でしょう。私はたくさんのビットコインを持っています…持っています…持っていました…。人生最期の瞬間までビットコインを持っていたら何か良いことがあるのでしょうか?人生最期の瞬間まで持っていることに何の意味があるのか私には解りません。ビットコインは使ってこそ、です。「ビットコインを持っていればいざという時に円に換えられる」? だとしたらそれは円の価値があるのであってビットコインの価値ではありません。
四、「何の役にも立っていない」
そう、ビットコインは現状では何の役にも立っていません。だから役に立てるべきです。どうやったら私たちの役に立つかというと、それは通貨として使うことです。ビットコインを「通貨」にすれば、私たちの日常の買い物、食料品や生活用品を買う時の日々の支払いに使えます。
五、「電力を消費しすぎ、環境に悪い」
これはビットコインに対する批判の中でもよく聞く批判です。ビットコインはマイニングで莫大な電力を消費している、環境に悪い、だから禁止すべきだ、という意見です。以前、ビットコインは銀行などの従来の金融システムの三分の一もの電力を消費している、というような記事をどこかで読んだ気がします。これは計算の仕方次第でどうにでもなる数字なので「三分の一」というのはあまり意味のない数字だと思いますが、大きな電力を消費しているのは確かです。その記事に対してどのようなコメントがたくさん付いていたかと言うと、「ビットコインって私たちの生活に何の役にも立ってないのに、従来の金融システムの三分の一も電力を消費してるの!?」「ひどい!こんなものは禁止すべきだ」というものでした。仮にその記事の数字を信頼するなら、従来の金融システムはビットコインの三倍もの電力を消費しているのです。なぜそっちを批判しないのでしょうか。「だって従来の金融システムはちゃんと私たちの生活に役立っているじゃないですか。それに引き換えビットコインは…」。だからこそ、ビットコイン通貨論なのです。人々はビットコインが “何の役にも立っていないにもかかわらず” 大量の電力を消費していることを批判しているのです。であるならば、ビットコインが従来の金融システムと同等かそれ以上に役に立つように持って行けば批判の矛も収まるでしょう。
六、「ボラティリティが大きすぎるので通貨には適さない」
これもまたよく聞く批判です。しかしこれは考え方がまったく逆なのです。「ボラティリティが大きいから通貨として使えない」のではなく、「通貨として使っていないから(投機対象として使っているから)ボラティリティが大きくなる」のです。ビットコインを現状のように投機対象として扱っているとなぜボラティリティが大きくなるか。それは「貯め込む」という行為が発生するからです。儲けるために「HODL(ガチホ)」などと言って貯め込み、ある時点で一斉に放出したりします。世界中の人がこんなことをしていたらボラティリティは大きくなって当然です。ドルや円にもボラティリティはありますが、それがビットコインに比べて小さいのは、人々が毎日手放しているからです。円高局面のときに「このまま円を持っていたら値上がりしそうだから今月は円を使わずに来月まで取っておこう」と言う人はいません。日本で暮らしている人は皆、昨日も円を使ったし今日も使った。そして明日も使う。少額であれ、全員が毎日手放すということがドルや円のボラティリティを小さくしているのです。今月の1BTCは先月も1BTCだし来月も1BTCです。このことを解っていない人が多いと感じます。
七、「“分散化された”と言いながら結局中央集権的になっている。一握りの人間が大半のビットコインを所有している」
この批判も現状はその通り。で、これもやはりビットコインを投機・投資の対象として扱っていることからそうなっています。投機・投資は、基本的に「金持ちほどますます金持ちに」という性質を持っています。裕福な人と貧しい人の格差はどんどん拡がっていきます。ビットコインを投機・投資の対象ではなく通貨として扱うようにすれば、少なくとも今よりは分散されます。ドルや円も投資に回すより消費に回した方が富裕層と貧困層の格差が小さくなるのと同じ理屈です。
どうやったらビットコインを通貨にできるか
というわけで、ビットコイン通貨論すなわちビットコインを通貨にすることで、今あるビットコイン批判にはほとんど反論することができます。「ビットコインには具体的なユースケースがない」などと言う人も時々見かけますが、具体的なユースケースはあります。「日常の買い物の支払い」です。食料、衣類、生活雑貨、薬の購入費、光熱費、医療費、住居費、そうした生きていくために必要な支払いをすべてビットコインで支払えるようにすること、これこそがビットコインの具体的なユースケースです。このような道こそ人の道に沿った道であると私は思います。「儲かった/損した」「上がった/下がった」などという醜く汚い世界からビットコインを引き離し、正しい道で使うべきです。
ビットコインは正しい道で使えば良いツールです。正しい道とは、投機・投資のようなマネーゲームの対象として扱うのではなく、通貨として使うことです。今は、世界では金持ちのおもちゃとして扱われ、日本では国の「税金ホイホイ」になっています。こんな不道徳な現状は改めなければいけません。ドイツやシンガポールのように、ビットコインを使った買い物に税を課さないことでビットコイン通貨化の道は拓けます。アメリカのように短期保有に関しては課税し、長期保有に対しては課税しない、というのでもよいでしょう。
ビットコインは貧しく弱い者のためのコインにしなければなりません。
Satoshi Nakamotoの誕生日(と思われる日)に。
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