やっぱり今夜も飲んじゃいます(ただの戯言)
日経新聞の夕刊文化面に、「こころの玉手箱」という欄がある。
今週は森進一の大切なものが連載されている。
今日の一品は「おふくろさん」のレコードと、お母さんの思い出。
昔の芸能人は苦労人が多い。
というか、家族に楽をさせたい一心で芸能界に身を投じたというエピソードは多く聞かれた。
森進一もしかり。
「歌手としての道が開けて、鹿児島の母と兄弟を東京に呼び寄せた時は言葉にならないくらい、うれしかった」
「しかし幸せはすぐに幕を閉じた。1973年、母は自ら命を絶ってしまう。」
「おふくろさん」が世に出たのは1971年。
そのあと、頭のおかしいファンとのゴタゴタにより、責任を感じてお母さんが亡くなってしまったのだ。
お母さんは、この歌を聴いていた。
そのことは慰めである。
が、森進一としては、「自分が歌手にならなければ母も死なずに済んだのか」というやりきれなさで、しばらくはこの歌が歌えなかったという。
当然のことである。
その後この悲しみをどう昇華して、「おふくろさん」を歌唱していたのか。
わたしなら一生封印してしまいたいと思うかもしれない。
というか一度「おふくろさん騒動」という歌詞のゴタゴタで封印していた時期がありましたね。。。
又聞きでしかないのでなんとも言えないが、森進一が付け加えた一行のセリフに激昂した作詞家の気持ちがわからない。
昭和の国民的歌手の立場とプレッシャーは、想像がつかないほど大きいものであったろうし、なにか事件があった時の騒がれ方は、相当なものであったろう。
この心労を慮ると、たいていの仕事上での失敗も乗り切れる気がする。
あと何回紅白で「おふくろさん」を聴けるかわからないが、その時は絶対に泣くであろう。
ということを想像しただけで、今夜も涙酒。