大竹伸朗展(愛媛県美術館) 鑑賞レポ
This is 愛媛県美術館で開催された大竹伸朗展の鑑賞レポです。久しぶりにレポるんで、なんかキモかったらごめんなさい。
5/3〜7/2(月曜休館)の会期で、大人1500円、高大生900円。
なお会期中の「道後温泉本館の熱景コラボの半券」か「パフィオうわじまの大竹文庫スタンプの押されたブックリスト」提示で200円OFFらしいです。宇和島は遠いから道後温泉行けばよかった。
交通
松山市駅行きの路面電車に乗り、南堀端駅で降りる。どこから乗っても180円。
橋を渡ってすぐのところには愛媛県美術館(南館)があり、それを通り過ぎて右に曲がると愛媛県美術館(新館)が。新館の方です。
一階
大竹伸朗展は「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「層」「音」というセクションで構成されており、まずは「自/他」が出迎えてくれる。
「自/他」は大竹伸朗を形成した数々が並べられたセクションで、「何もないところから何かをつくり出すことに昔から興味がなかった」というフレーズが頭に残る。
次に、「記憶」というセクション。多くの大竹伸朗の作品の中でも「記憶」は重要な視点になっていると感じさせられるセクションである。
ノートの切れ端や木の端が幾度か用いられており、大竹伸朗の「記憶」の象徴なのではないだろうか。「大竹伸朗自身の記憶」というよりも、「記憶」を表すもの。物質が持つ「記憶」というのを、以前針工場(香川県豊島 大竹伸朗)で強く感じた覚えがある。その、「記憶」を持つ物質として大竹伸朗はノートと木の端を思い浮かべたのではないだろうか。
進むと、「時間」というセクション。「記憶」には「時間」も伴うものね。
「時憶/フィードバック」の作品がかなり印象的で、レコードのような部分がくるくる周り、上に乗っている針金の人間の足が真ん中部分に引っかかって、止まるかと思えば、急に引っかかりが取れて、勢い良くくるくると回る。そんなことを繰り返す作品。
記憶を辿ることはまるで足を取られたように止まることと等しいけれど、少しすればそれによって勢いがつくこともある、なんてことを考えてみたりする。
進むと、「自/他」のセクションの続きが。1つ目の目玉作品「モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像」とご対面。
圧巻。屋根から床までどこを見ても「記憶」が詰まっているように感じられる。なるほど、小屋がまるまるスクラップされているのか。大竹伸朗の作品自体が「スクラップだ」と言われることもあるように、スクラップは彼のスタイルともいえる。
スクラップ小屋にはたくさんの窓がついており、覗く場所によってまた違った顔を見せる。
また、所々、特に窓からまっすぐ見られるような位置に小さなモニターが置かれており、風景だとか、エンタメ映像のようなものが流れていた。
正面とは反対の窓から見て、ようやく「スクラップ」を認識した。
デカいスクラップブックだ。大竹伸朗の作品の中にはスクラップブック自体が数多くあり、彼を表す代名詞の1つでもあるわけで、自画像としてスクラップブックを持ってきたとするととても納得がいった。
あ!宇和島駅!
後ろの小さなトレーラーのような部分の内側には先程の内部とは打って変わって色が減り、大竹伸朗のモノクロのイメージも頭に浮かぶ。
ちなみに、宇和島駅の看板も美術館の屋上に展示されている。
進むと「移行」のセクションへ。大竹伸朗は宇和島駅の看板のように、どこかからの「移行」というスタイルで作品を展開している。
大竹伸朗の訪れた場所からの移行。時間の移行。このセクションではスクラップブックも数多く展示されている。
第二の目玉作品、「ニューシャネル」!!!俺はこれを見に来たと言っても過言ではありません。大竹伸朗のアイコンとなる作品でもあります。
新しいを表すはずの「ニュー」がつくことで、むしろ古さが際立っていますよね。こういうの、「ニュータウン」とか、日本には結構ある印象。
ニューシャネルって文字、さっきのトレーラー的なやつにも付いてたよね!ね?
一階はこの「移行」のセクションで終了。一度展示会場の外へ。
二階
階段を上がり、二階の展示室へ。
出迎えてくれるのは「夢/網膜」のセクションである。
先程までの展示の中でも「網膜」というタイトルの付いた作品は幾度か出てきており、このセクションでは多く展示される。
網膜というタイトルの作品は物質的ではなく、質感も色彩も異なる、なにかおぼろげで漠然としたような作品である。だが、絵画と立体作品との差異とで、その印象もどこか変わる。
進むと「層」のセクション。これまた、大竹伸朗作品のキーになっていると感じるワードである。立体的にする際には必ず「層」が生まれる。「層」そのものが時間と記憶をと言ってもいいし、さらにその「層」にする材料、ものが時間と記憶を孕んでいることだってあるだろう。
このセクションには小さな展示も沢山あり、これが下層部になっているのではないか、と思うようなものもいくつかある。
進むと、愛媛会場追加作品が。
現在工事中の道後温泉本館を覆う「熱景ーNETSUKEIー」という作品の原画と模型が並べられている。
もうこれだけで愛媛で見る価値あるよ。最高。でっかいのも道後で見れるし。最高。
他にも大竹伸朗の出身地である宇和島のホールに飾られている「のぞき岩」という作品の原画なんかもあったりした。
「層」のセクションの続きを経て、「音」のセクションへ。大竹伸朗の手掛けたレコードやアルバムが並び、実際にアプリでも聞くことができる。(会場外でも聞けるよ!)
そして、3つめの目玉作品、「ダブ平&ニューシャネル」がおでまし。
この作品はラッセル・ミルズらと行ったサウンドパフォーマンス、ステージそのものを作品化した大作でステージとコントロールブースに分かれている。
音楽とアートの融合。今日は見れなかったけど、動いて演奏することがあるらしいとかなんとか。
ステージの裏側には「ケルン」が。ニューシャネルもケルンもあって、てんこもりだな。
「ダブ平&ニューシャネル」の横には最後の目玉作品、「残景 0」がラストを締めくくってくれます。
一番新しい作品で、ポスターにもなっていた作品。
活動があって、残った景色なんだとすぐに感じられる一方、0というワードに引っかかりを覚える。しかし、人間が0人だとすればわからなくもない。
たとえここにいた人が0になったとしても、景色は残り続ける、その記憶はモノに残り続ける、なんてことを考えていた。
ミュージアムショップ
ミュージアムショップには大竹伸朗の「ニューシャネル」「ケルン」「ナニカトナニカ」のような文字のTシャツやトートバッグ、ファイルなんかもありますが、直島のグッズや熱景のタオルなんかも売ってました。
俺は熱景タオルと坂本龍一さんの追悼特集をしていた芸術新潮を買いました。芸術新潮、表紙が大竹伸朗なんすよね。
締め
今まで目玉昨品ばかり見ていたので、思ってたよりゴテゴテカラーじゃないものもあるんだなあと感じましたし、層とか記憶とか、俺大好きなんす。
今回は特に「この作品がこの展示の中でどんな位置を占めているか」ということを意識して鑑賞できたと実感しています。
ノートの切れ端、木の端、ティーバッグをかけていたであろう紐(このティーバッグはTバックでもないし紐もそういう意味ではありませんすみません)、ボールペンで書かれた血管のような線、写真、チラシの切れ端。この辺は結構色んな作品にリンクしているっぽい。
いや〜よかった。東京国立近代美術館で見れてないから、今回見れて大満足。愛媛に来ることを知ってからずっと行くって決めてたので、もうずっとワクワクしっぱなしだった。ようやく、ようやく…。
道後オンセナートのプロジェクトともリンクしてて最高ですね。
恒例の美術館→カフェは「Number2」でイチゴクリームソーダでした。