自分を好きでいられる人生を生きる
『グッバイ、リチャード!』を観た。(『Richard Says Goodbye』)
余命半年を宣告された大学教授の物語。
家族に打ち明けようとしたら娘が同性愛をカミングアウトし、妻がそれに対してそっけない対応をして娘怒って退席、リチャードと口論になった妻が勢いで自分の不倫をカミングアウト。家族には病気を知らせないまま。
リチャードは最初は自暴自棄になりながら、でも自分を慕う生徒と関わっていく中で、自分の残された人生を”生きて”いく。
そんな話でした。よかった。
本心を隠していい格好しようとしたりしない、ルールや立場にとらわれたりしない生き方を貫く。
死を前にしたからこそ、やることとやらないことの取捨選択が明確になっているのが見えた。
お酒飲んだり破天荒さがあるんだけど、どこか闇があって優しい。かっこいい。
授業を切り上げて学生たちとバーで飲んでたときの言葉↓
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いつかは死ぬ
そこで疑問
なぜこの人生という奇妙なものの中を漂い 生きようとしないのか
生きなければダメだ
存在するだけじゃなく生きるんだ
もがいて 失敗して 正面から ぶち当たれ
私が目指すのは 人生を豊かにすることだ
生きるための英知を引き出したい
我々は一瞬ごとに 人生の物語を紡いでる
有意義な読み物にしよう
せめて面白いものにしてくれ
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映画終盤にぐっとくる長いセリフがあって涙が止まらなかったのだけど。
覚えておきたいからまた改めて書こう。
リチャードが英文学の教授だからというのもあるのか、娘や学生たち、親友や妻や大人たちに選んで搾り出すように送った言葉に重みがあった。それは自身に言い聞かせるようにでもあったのかもしれない。
私にも、3人の子どもたちに対して送れる言葉に限りがあるとするならば、いや、それは必ずあって、その残された言葉の数はいくつなのかはわからないけれど、文字数が限られているのなら、丁寧に言葉を選んでいこうと思った。
「明日死ぬように生きろ」のような言葉があるけど、私がそういう言葉から受ける印象は、「明日死ぬなら会いたい人に会いに行く」とか「悔いなくやりたいことをやる」という、行動を起こして目標達成に向かう前向きなことだった。
でもそれは実際に余命宣告をされているわけでもない自分にとっては、「子ども置いて今から東京行くのは難しいし」というように、現実のいろんなことを切り離して行動に移せるものではなく、明日死ぬなんて絶対いやだと思っている。
この映画を観て今改めて「明日死ぬように生きる」というのは、「自分の人生を好きでいられる、自分を好きでいられる選択をする」というシンプルな考え方がしっくりくるなぁと思った。
自分に嘘をついたり、大切な誰かを傷つけたら自分を好きではいられない。
やらなきゃいけないことを避けていてもそんな自分を好きではいられない。
自分で選択して、”生きて”いこう。
だから今日は朝からのんびりして、久しぶりにパーマをかける。笑
と思っていたら大切な友人から体を診てほしいとの依頼。
子どもたちが帰ってくるまでやろう。無理せず。有意義だなぁ。