【一駅日記】"自分のことが一番可愛い"のか? ー 2024.10.30(木)
「結局、自分のことが一番可愛いじゃないか」
この言葉に対して一度、「そりゃそうだよね」と答えた私。
それなのに、今、頭の中でずっと「本当に自分のことが一番可愛いのか…?」と疑問がグルグルしている。
私は器用貧乏だ。
今日だって、後輩の仕事の進め方を何時間も一緒に考えていたり、ミスした後輩と一緒に謝る準備をしていたり、先輩の仕事を手伝ったり。
そんなことばっかりしているから、私の仕事に取り掛かれるのはこんな時間になってから。
そういう言葉は、耳にタコができるぐらい何度も聞いてきたし、他人に対して、私もその言葉をかけてきたけれど、
なんかそんな世界に魅力を感じない自分がいる。
自分のことをお節介と自称して生きてきたが、
ルールとか効率とかそういうことが優先される世界に生きていたいと私は思わない。
効率が悪かろうが、自分が損をしようが、温度感のある会話をしていたいと思う。
そんな自分のことを、否定せずに、自分のやりたいように振る舞うことを結局
「自分のことが一番可愛い」という言葉に帰結するのだろうか。
別れた彼女と会話をしていて、彼女の口からそんな言葉が出てきた。
一人称が「わたしたち」になれていなかったふたりを象徴する出来事だと思う。
上長と上期の面談をしていて、上司の口からそんな言葉が出てきた。
上司の仕事を拭っているのはいつも下っ端だけどな、と思いながら口を閉ざした。
年々、嫌いな言葉とニュアンスが増えていく。
「どんなこともやってみないと分からない」
「結局、自分のことが一番可愛い」
この言葉たちが、現実逃避や問題に気がついていない当事者の口から出てくることがとてもとても嫌いだ。
自分のこと、可愛いって思えるほどできた人間じゃないんで。
自分のプライドをかなぐり捨ててでも、傷を負ってでも、20年以上の経験と知識を全て覆してでも、這いつくばってでも。
それでも、自分のこと以上に可愛く思えるモノや人を見つけていきたい。
私の中でぷかぷか浮いた疑問であり、一種の決意表明。
可愛く思える自分を、認めて、愛してもらえる環境や関係を私は愛したい。
明日はいい日になる、明日はいい日になる。
そんなことを毎日願いながら過ごしている。
明日は10月最後の日。
朝イチで、後輩がやらかしたミスの謝罪で先方に出向く。
なんて最高な1日の始まりだろう。
楽しまないとね。
帰り道は、ずっと真夜中でいいのに。「クズリ念」