見出し画像

高校演劇に触れていて2022

高校演劇のシーズンが始まった。


多くの演劇部にとって、9月~10月は地区大会シーズンになる。
11月12月に都道府県大会があって、年末~年明けに関東・東北などのブロック大会。そして3月に春季全国、次年度8月に全国大会。

10月半ばを迎えた、この季節。
大半の学校にとっては"シーズン"はもう終わってしまったのかもしれない。
世間的には"秋"と呼ばれる季節も、演劇部にとっては地区大会が終わるまでが"夏"だったりする中で、10月半ばにもなれば、大体の地区は結果が出揃っている。

今は、そんな季節。

今年も私は高校演劇に関わっている。
高校演劇に関わり始めて11年。
私は教員でもなければ、コーチでもない。生徒でもなければ、プロの演劇スタッフでもないし、劇場関係者でもない。
だけど今年も高校演劇に関わっている。
私の高校演劇への関わり方としては主に2つの関わり方。

①ドラマトゥルク、ファシリテーター、カメラマンとして
②地区大会出場校のリハ・上演を円滑に進めるための舞台スタッフ

正直、私みたいな関わり方をしている人は出会ったこともなければ聞いたこともない。
日本の高校演劇で私のポジションの人間は、正直私一人しかいないと思っているのだけれども、
この話をすると、数時間ないしはnote数本分になりそうなので今回は割愛をするとして。

今回は②の後者の立場からの話。


地区大会をみていて。

今年も、とある地区の舞台スタッフとして地区大会を見届けた。
私が関わるのは4日程のうち3日程。
リハも含めれば6日間。高校生たちが演劇を上演する様子を間近で見届ける。

名作と呼ばれる既成作品を、顧問の演出で上演する学校。
生徒が自ら作品を書き起こして、自分たちの手で舞台の形に整える学校。
自分たちの手と頭で舞台美術を必死に作って、劇場に持ち込む学校。
時間と人手に余裕がないからと教員が照明・音響も担当する学校。
当日に発熱者が出てしまって、泣く泣く出場辞退する学校。
初めての地区大会に緊張しながらも、堂々と上演しきる学校。
……色々な学校で溢れている地区大会。

こんなことを言ってしまっては身も蓋もないのだけれど
私は、各校の上演の内容よりもリハや各校がどうやって演劇部を組織して運営しているかという方に興味がある。
語弊を恐れずに言葉にしてみると
どんなに素敵な作品をつくっていても、組織として機能していない演劇部には魅力を感じないし、
舞台上でどんなにいい表現をしていたとしても、自分たちのチームのメンバーやスタッフをないがしろにしていたり、舞台スタッフとのコミュニケーションをとろうとしていないリハを観てしまうと、陳腐な表現だなと見えてしまう。
裏側から見ているから、なんですけどね。
演劇は生ものであり、舞台上で起きていることが全てではあるのだけれども、私は舞台上の表現よりも、稽古場が好きな人間だったりもしていて、
この地区大会という舞台に、各学校がどう向き合っていて、どう表現を届けようとしてくるのか、そこにとてもとても興味がある。

今回の地区大会で印象に残ったことが2つとプラスαが1つ。

演劇部の伝統と文化。

イヤホンをする理由

地区大会前日のリハーサルで、スタッフが全員、イヤホンをしている演劇部があった。
何か、イヤホンをしなければいけない理由があるのだろう。
安心するため?それとも補聴器だったりするんだろうか。
リハを見ていると、そんなことはないらしい。

私が指示や説明をしていても、目の前にいるスタッフの子は何一つ聞いているそぶりを見せない。
そりゃそうだ、聞こえてないんだから。
どうやら、舞台袖にいるスタッフ、客席にいるスタッフ、照明・音響ブースにいるスタッフがそれぞれコミュニケーションをとるために演劇部のグループLINEでグループ通話をしているらしい。
これは賢い。よく考えた。
なんて、褒めてあげたい気持ちは、ちょっと、ほんのちょっとだけある。
そりゃ距離あるもんね。複数人で同時に話したいよね。
一生懸命考えて来てくれたんだろう。

だけどね。
もし彼らのリハ中ないしは上演中に地震が起きたら、彼らの舞台を止めるのは私の仕事。
もし機材との事故があった場合に、生徒の命を守るのは私の仕事。
機材のことを守るのも私の仕事。

それに安全な上演を行うのは私だけの仕事じゃないはず。
リハーサルは自分たちの確認だけできたら良い、っていうワケじゃない。
私たち舞台スタッフがみんなの上演を確認して、安全な上演ができるかを見届けないといけない。
高校生が悩んでいるところがあれば、リハの時間で解決策を見つけてあげることだってできる。
だから、自分たちだけの世界に入り込んでしまうことは危険なんだ。
一緒に上演の成功に向けて確認をするための時間がリハーサルなんだよ。
そもそも、舞台スタッフに言えないような演出ならしちゃいけない。
それはネタバレでもなんでもない。

みんなの作品を壊さないために、一緒に舞台をつくりたいからこそ。
イヤホンをしてこっちの声が聞こえない状態はやめてほしい。
イヤホンコードが機材に引っかかるような危険性は排除してほしい。

そんなことを伝えた演劇部がありました。
リハを見ていると、舞台上にいた生徒が「いま何の確認をする時間なのかがこっちに分からないからもっと分かるようになんとかして!」って声を荒げる瞬間もあって。そうだよね、舞台の子たちが一番不安だし、一番疎外感を感じているよね。

いま思えば、この学校は去年のリハでもイヤホンをしている子がいた。
その前のリハでもイヤホンをしている子がいた。
でもその子はずっとは耳にはめておらず、必要な時だけ耳にはめていた。
だから注意をせずに、やり過ごしてしまった。

イヤホンをしている子への注意は、ちょっと難しい。
学校現場にいると、イヤホンをいつでもつけている子が少なからずいる。
音楽が好きな訳でも、No Music, No Life!な訳でもなく。
イヤホンをつけて自分の世界にくっついていないと、安心感を得ることができずに落ち着かないらしい。
だからと言って、他人とのコミュニケーションを遮断している訳でもない。
殻に閉じこもってしまうのではなく、イヤホンをつけながらも外の声や音には反応をする。
ただ、ただ、イヤホンをして自分の世界との距離を遠ざけないようにしている。
そんな生徒を何人も知っている。だからこそ、やり過ごしてしまった。

その時に危険性だけでも何となく伝えておけばよかったのだろう。
きっと、今年の子たちは、引退していったその先輩の姿を見て育ったのだろうに。
部活を引っ張っていたその先輩にあこがれて、イヤホンをしてきたんだろうに。
演劇部の中の1つの文化になっていたイヤホン。
もっと早く注意しておけばよかったね、ごめんね、なんてことを思いながらも、みんなにダメだよ、と伝えた話でした。
アイデアは面白い。面白いからこそ、本質まで踏み入れてくれたらもっとおもしろかった。

※後日談
注意した翌日の公演当日。
私の「イヤホンは危ないから駄目だからね」の注意を受けたこの演劇部。
みんなBluetoothイヤホンとヘッドフォンをしてきました。
こりゃ一本取られました。
(舞台責任者の学校の先生がブチギレました)(そりゃそうだ)


伝統を壊す勇気

毎年、同じような作風の作品を上演する学校がある。
ここは伝統的に同じ作品を数年おきに作り替えて上演を続けている。
何十年もずっと。
それは顧問の先生によってつくられた作品ということもあり。

ただ、ちょっと特殊なのが、毎年、リハの時に過呼吸になる生徒がいる。
なぜか毎年、音響の子が過呼吸になる。
先生に厳しい指導を受けているようで、失敗することがとにかく怖いらしく、失敗を恐れる恐怖心から自分を追い込みすぎて過呼吸になる。
世代が変わっても、音響の子が過呼吸になる。

役者とスタッフの評価軸は異なっていて、
役者は100点満点中5000点の舞台表現ができることもある加点方式。
でも音響や照明などのスタッフは100点から始まる減点方式。
つまり間違えないことが普通の世界。
いかに減点を少なくして、100点に近い状態で上演を終えられるかが肝心。

だからこそ、失敗した時の代償が大きい。
プロの世界ならまだしも。自分たちの手で作品をつくっている学校ならまだしも。先生がつくっている作品だから、失敗した時に取り返しがつかない。
というより、失敗しても取り返せるような稽古をしていないのだろう。
この学校の作品を観ていると、役者も減点方式のように見えてくる。
だからこそ、1つ何かトラブルが起きてしまうと、連鎖反応のように崩れていく。

数年前の地区大会の講評の場。
演劇を生業にしている審査員からこの学校が言われていたことは、「もうこのスタイルは辞めたほうが良い」という内容。
それでもずっと続いてきたこの"伝統"を守り抜いてきたこの学校。
先生が定年退職してからもコーチという立場で関わることで、年々濃淡は薄くなってきたものの、ずっとずっと続いてきた伝統。
それを無邪気に笑う女の子たちが壊した2022年。

リハーサルの段取りが悪い。
これまでキビキビ動いていたのに、すごい緩い2022年。
挨拶が緩い。
これまで軍隊のように挨拶をしっかりしていたのに、挨拶が緩いぞ2022年。

これは何かが違う。何かが変わった。
そんな姿を観ていて、不安な気持ちより、好奇心の方が上回ってしまった(ごめん)

顧問の先生に話を聞いてみたら「生徒たちが『自分たちで作品をつくりたいんだ』と言って、コーチ(元 顧問)に来ないようにしてもらったんです…」。
退職後、段々、関わりは弱まっていったようだけれど、ついにこの子たちが伝統を断ち切るという決断をしたのか。

リハーサルで何かに追われているかのように過呼吸になる生徒がいない。
上演後、震えながら搬出をしている生徒がいない。
拙く、緩い、演劇部になっている。
この学校の部員たちが、こんな笑顔で笑っている姿を観ることができる日が来るとは思っていなかった。
きっとこの生徒たちは伝統がどうこうとかは考えてないだろうし、ただ自分でやりたいんだ!って主張しただけなんだろうけれど。
それがすごい大きな一歩なんだよ。
上演しきって、満足そうなその笑顔。それが観たかった。


声を荒げる必要性

久しぶりに、心がモヤモヤした。正確にはモヤァァァってした。
これがプラスα。
舞台袖でお手伝いをしていると、色々な学校の姿が目に入る。
先生と仲良く笑いながら準備をしている学校とか、心配性な部長が「あれって持ってきてる!?」って慌てて確認してる学校とか。

「同じことを2回も言わせるな!!!」って高校1年生の女の子に先生が怒鳴りつけている姿を観たりもする。
今年、一番見たくない光景だった。

前述のとおり、舞台には多くの危険がある。
機材が壊れてしまうリスク、舞台美術が壊れてしまうリスク、他校に迷惑をかけてしまうリスク、教育上推奨できないリスク…
それでもやっぱり、一番はどこの舞台にも、命の危険があるということ。
だからほう・れん・そうはとにかく重要。
一度言ったことを何度も確認をしていたら、キリがない。
各自がリスクを認識して、共通言語をつくったうえで舞台に立たねばならない。

その上で、初めて演劇作品の確認を進めることができる。
リハーサルは時間が限られている。
だからこそ、1分1秒がとにかく重要。
だから、同じことは二回言わない。

その考えは、分からなくもない。
だがしかし。だが、しかしだ。
そこで生徒を怒鳴りつけることにどんな効果があるというのだろう。
同じことを二度聞かざるを得ない環境になってしまったならば、それはその場を取り仕切る責任者、つまり声を荒げた主の監督責任ではないのだろうか。
そもそも、同じことを二度聞いてはいけない環境を舞台上に持ち込むというのは果たして、本当に効果的で効率的なのだろうか。

演劇をつくる上で、舞台からの視点など、幕が開いてしまえばどうでもいいものだ(言い過ぎなのはわかってるけど)
演劇を客席から・社会から見つめ直し、自分たちに問い続けることで演劇と社会との接点をつくり、"作品"としてカタチどられていくのではないか。
であれば、問うことのできない関係は演劇をつくる組織として健全なのだろうか。
複数回問われている状況に問題が発生していないか、このまま上演をすることでその問題は上演中も確実に再発しないのか、そっちを確認してほしかった。

っていうか、そもそも生徒に声を荒げる必要あんの????????
私の説明なら一度で理解できる、って思考で教壇立ってる?????
不安なところ聞いてもらえる社会の方が安心できませんか?????

これは将来的に教員を目指している私の心の中にでてきた疑問。


怒鳴られた生徒。そのままその日を過ごし、上演やり切ってたよ。
メンタルコントロール大変だろうに。その子に脱帽。お疲れ様。



2022年の地区大会。

コロナ禍で迎える3回目の地区大会。
少しずつ、コロナの影響は弱まってきていて、上演校関係者であれば客席に入れるようになった。ようやく、ようやく。
伝統を壊した学校の生徒たちに比べたら、小さな一歩かもしれないけど、ようやく。
ただ、この3年で失ってしまったものは大きいように感じる。

部活として、引継ぎができていない学校が増えた。
そりゃそうだよ。今の3年生たちは2020年入学。
つまり、公演がちゃんとできていた世代の生徒たちは大学生になってる。
バミテをどう貼るかとか、リハをどう回していくかなんてわかりゃしないよ。

そして、上演を観合う文化が完全に途切れてしまった。
これまで上演校は、上演する日の他校の上演を観ることが慣例だった。
ルール、というわけではないし、そんな決まりはなかったから、学校によっては観ずに帰ったり、ギリギリまで楽屋や学校で稽古をしてくる演劇部もあった。
けど、多くの学校は上演を観合って、感想を送り合っていた。
高校生たちは意外と貧困で、インフレを起こしている演劇なんて滅多に劇場まで観に行けない。
それに興味や関心からしても、演劇部に入っていても、演劇は観に行かない。
だって、何を観たらいいのか分からないもの。それが現実。
高校生招待のチケットでも来ない限りいかない。それが現実。
あってもいかない。それが現実。

だからこそ、演劇部の地区大会は色々な作風に触れることのできる絶好の機会だった。
無料で、1日6~8校の上演が観れる。
上演がない日も、わざわざ観に行く生徒だってたくさんいた。
それがコロナ禍で無観客が続いたこの3年間。
完全に、観合う文化は途切れてしまった。

大会後の講評で審査員は口にしていた。
「皆さん、もっと色々な演劇を観てください。少し値段はしてしまいますが、たくさんの演劇で溢れています。もっともっと、たくさんの演劇を知ってください。」
大変正論。ド正論。だけど、観に行かない理由が高校生にもある。
この言葉を聞いて先生たちが頭を悩ませていた。

全日程でちゃんと他校の芝居を観に来ていた学校は1校のみ。
それと「もう稽古したところで!!」って自分たちの上演日に他校の上演を全部見て、たくさん笑って、いい客席を作ってくれた学校も1つ。
たくさん観て、たくさん感想書いてくれてありがとう。

引き継がれる文化、引き継がれない文化。
紡いでいく伝統、壊していく伝統。
2022年の地区大会もお疲れ様でした。

#高校演劇 #地区大会 #高校生 #考え方

いいなと思ったら応援しよう!