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政治ビギナーな1人の音楽家が、選挙を終えて感じていること。

全ての人が分かり合える世界線なんてない。

地球とか、社会っていうのは、色んな人が
『ふーん。まあそういう考えもあるよね』
とお互いをジロジロ見ながら、時にその声を
聴きながら、共存していくような場所。

『みんなわかり合おう』はあり得ない。
それを目指すというのも、違和感はある。


でも、だからこそなんだか、

国家というものの限界を本当に感じる。
こんなにもわかりあえない人たちが混ざって
半強制的にひとつの"国"の中で生きるって、
ちょっと難しすぎないか...と頭が痛くなる。


選挙で何も変わらないという絶望は、
何度か感じてきたけど、どうしたらいい?
自分はこんなに少数派なんだと突きつけられる。


でもね、

別に自民党でも、維新でも、共産党でも
どの政党が指揮を取ったって本当はいいんだ。


一人一人の尊厳や声が大切にされていて、
排他的でなくて、軍国主義に近づかず、

自然や動植物も含めた全てのいのちを
同等に大切に扱える平和な社会であれば、


細かい所はどの政党が担ってくれても
嬉しいんだ、ほんとうに。


結局はその手段でぶつかってる
だけなんだからさ、手段ではなくて
"何を願うか"という所からもっと
創造的な発想や意見交換、寄り添いが
生まれないのかなあ。


もう選挙の仕方も国会の質疑もなんか
ほんと、"論破する"がベースにあるのは
なんだかなあとがっかりしてしまう。


意見と意見を調和的に取り繋ぐ媒介と
なる人とかを入れたりってできないのかな。
ファシリテーターじゃないけども。


そして、政党ごとで政治を回すという
やり方がそろそろ限界な気もする。

政策ごとに関心の高い人たちがオープンに
集まって、政党とか超えてプロジェクト
単位で進めるみたいな事って難しいの?
それともそういう仕組みはもうあるんかな?


色々思うことがいっぱいある...


***


さらに、

安倍さんの事も、1人の人の死を悼みたい、
という気持ちは溢れてくるのですが、

それと国葬とは、全く別の話だと思っていて。
しかもそれが民意で決めてるわけでもなく、
国葬が即決されていくこととか見てると

憲法改正もこのまま押し進められてくのかと
絶望を感じているけど、みんなはどうですか?


『徴兵なんてされないよ、大袈裟だよ』
とか言ってた人たち、本当に大丈夫かな。


私は昔、"茶色の朝"という本を読んで、
少しずつ少しずつ、見えないところで社会が
変わっていくことの怖さを知ったよ。


みんなが忙しい、それどころじゃない、
とせかせかしてる間にも色んなことが
変わっていってるけど、大丈夫かな。


香港で起こってたデモも、
ウクライナで起こってる戦争も、
学ぶべきことは、


"自由に言葉を出し合えることの大切さ"
なんじゃないかな。賛成も反対もそうだし、
もっと奥にある、"何を願ってるか"とかを
ちゃんと声に出せるような社会づくり
なんじゃないかな。

声を抑えるのではなく、
論破して塞ぐことでもない。


私は、毎日自分の人生に向き合うのに必死で
本当はずっと、音楽の事に向き合っていたい。

でも、音楽ができるのは、自由な言葉を
発信することが許されている社会だからだし

今日本では戦争が起こっていないからだし、

生きていられるのは地球が存続してるから。


だから、、、
音楽を続けるために、社会のこととか
政治のこととか、環境のこともわからない
なりに考え続けているつもり。


こういう事、実は頭にあるけど声に
出せなかったなっていう人いないかな。


みんなは、安心して暮らせてるんかなあ?
よかったら何かしらで声を聞かせて下さい。

わたしも、まだまだ問い続けたり、
周りの人と声を交わし続けようと思う!

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