②阿部栄子さん(ひまわりグループ・こんにゃく農家)
こんにちは。
今回は村のお母さんが運営する、饅頭・じり焼きなどの惣菜をつくる「ひまわりグループ」のメンバーの阿部栄子さんにお話を伺いました。
普段はこんにゃく農家の奥さんとして、畑でも働いています。
「今から孫がやってくるのー」
とバタバタしている中でしたが取材に応じてくれました。
個人的に思う栄子さんの魅力は、田舎のお母さんの味を引き継ごうという思い。そして、超パワフル(動き・段取り・頭の回転の速さ)なところです。
そんな栄子さんに、色々語っていただきました。
高山村に嫁に来た時のこと
栄子さんは、高山村のすぐ南に位置する渋川市横堀地区の出身。
結婚を機に高山村に住み始めました。
栄子さん:村外から一番先に高山に来た時に感動したのは、うちの方(ご実家の横堀地区)はお米が取れないので、自分のうちで取れたお米を食べられたこと。
うちの地域は水がなかったん。だから「おかぼ(田んぼではなく畑で育てるお米)」とかお蚕だった。買わなくても、お米がお家にいっぱいあるってことは一番感動だよ。
あと、来て山がすごく近くて綺麗だったのと、うちから見える三並山が綺麗だった。
ー 高山村に来る前は高山は知っていたんですか?
いやいや、全く。
みどりの村キャンプ場(高山村の山にあるキャンプ場)があるでしょう。そこが小学校5・6年生のころの遠足の場所だった。それ以上先の高山村の盆地の底の平らなところを知らなかった。だから、高山ってところはすごい山なんだなと思っていた。人家があるとも思っていなかった。
だから来た時はびっくりだったよ。
ひまわりグループについて
続けて、ひまわりグループの成り立ちを教えてくれました。
高山村には各地区に若妻会があって、私達の頃は38歳で抜けたんだ。抜けた後、何かをやってみたいという話になって生活研究グループに入れてもらった。それがひまわりグループの始まりだったと思う!
ー 最初から稼ぐモチベーションだったんですか?
違うよ。最初は、メンバーみんな農業をやっていて(農家の奥さんたち)自分たちの楽しみの場所、おしゃべりしたり好きなことをしようという居場所だった。
最初から稼ぐなんてことできませんでした。(笑)
まんじゅうを作り出しても最初は失敗ばっかりで、一升瓶に2つ3つあんこが出たりしてね(笑)
ー 楽しみの延長線上だったんですね。。
そうだよ。けれど何年もやっていると、(補助金などの関係で)自分達の営業能力で回していかなくちゃいけない。それから、値段を決め・お給料を決め・順番で会計さんがいたり長を立てたりし始めたかな。
ちゃんと運営できるようになったのは5年くらい?経ってからじゃないかな。
一番はみんなでワイワイ話をして、自分で嫌なこととか思っていることっていうのを聞いてもらえる場だから。
ー 最初からお饅頭をやろうとしていたのですか?
こんにゃくとかとも考えたけど、こんにゃくは他のところで出していたの。他の地区では酒まんじゅう。重ならないように違うものを作ろう。って
それで何かやろうと視察したりなんかしていたときに、村に「いぶき温泉」(高山村の温泉)ができた。温泉とおまんじゅうはセットだよって人に言われて、普通のおまんじゅうなら作れるかなってなったんだよね。
田舎のお母さんの味
ー 以前、栄子さんから「高山村にはプロのそば農家さんもいるけれど、私は蕎麦粉に小麦粉をしっかり混ぜた手作りの田舎のお母さんの味を守っていきたい」という話を聞いたことがあります。
そうだね。日本全国どこにいっても、お饅頭が有名とか蕎麦が有名とかあるんだろうけど自分たちの姑が作っていた初めて教えてもらった蕎麦・うどん。
それが私にとっては一番。
人をいっぱい家に呼んだ時は、まず買わない。煮物でもけんちん汁でもなんでもお赤飯の蒸し方も全部自分のうちで作る。
人寄せの場に出て、(作り方を)覚えたんだよ。
今はさ、インターネットで検索したらどんな料理も作り方がわかる。
だから私なんかよりも今の若い人の方がいろんなものを作れると思う。
だけど昔ながらのやり方、高山ならではのもの伝統的なものは継承していかないと。いいものを持っている人が、伝えていかないと高山のものはなくなってしまうかもしれない。
その反面、今の若い人が高山のものを使って、さらに新しい良いものを作ってもらえたらいい。
古いものだけじゃなくてね。私たちはそういうものにあやかって教えてもらいたい。
ー 栄子さんもそうだし、高山村のお母さんたちはたくさん料理を出してくれて、お腹いっぱいになる。これって何でなんですかね?
多分地域性もあるし、全部が全部そうでは無いかもだけど。
私は生まれたところが大勢の中で育った家だから。母は来た人にご飯を出す習慣があった。当たり前のようにあったんだよね。
ひまわりグループのメンバーどこのうちも、ちょうどに作る人はないんじゃないかな。お客さんが来たら、「昼一緒に食べていかっさい(食べてってください)」っていうの。
子供の時、もののない時代でも、いろんな人が来た時、粉物はあったからお切り込みやうどんを振る舞っていたよ。
それを言われても、それが当たり前なの(笑)
ー あとずっと聞きたかったんですが、なんでそんなにパワフルなんですかw?(動くスピード、会話のスピード、1秒も無駄にしていない姿勢)
多分決断が早いんだよね。それに合わせて動きも早いんじゃないかな。いい悪いを考えず、とりあえずやっちゃう。そんなには失敗しないよ。笑
やらなくちゃって思うことはできるようになっちゃう。
貧乏な家に育ったから、しなくちゃならないって必要に迫られる。人間て必要に迫られたら何でもできると思う(笑)
話を聞いていて、栄子さんの肝の座り方に圧倒されたような感覚がありました。経験量が違う。
ー 改めて話を聞けて楽しかったです。お忙しい中、ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました(笑)
ここで年をとって、みんなとずーっと過ごしていく。
今の清人くん(若手の有機農家さん)や咲季ちゃん(移住・定住コーディネータ)みたいな若い人の活動をみて、新しいものができるっていうのはワクワクする。そこに私たち年寄りも引き込んでもらいたい。農業関係は冬場の3ヶ月くらいは手が空く。その間に、若い人も、お年寄りもいろんな意見を混ぜ合わせられるといい。
そっちはそっち、こっちはこっちで終わらせない。古き良き時代も、新しい時代も。
やっぱり高山村の伝統も残しつつ、良いものも取り入れつつね。
終わるつもりが、最後にプラスアルファで話してくれました。
ここ(村)に子供たちが戻りたいというものを残したい。必ずある気がする。手を加えるんじゃなくて残すってことも一つの財産だと思ってもらってね。
孫が来てさ一番長く遊べるのはおもちゃじゃない。水悪さと泥悪さ!(笑)
川があって泥があって、、田んぼだよ泥んこの田んぼ!!
1日でも半日でもどろどろの田んぼで遊んで、きれいな川の水で洗う。
それが一番だと思うんだ。
最後に栄子さんの思いも聞かせていただきました。
古き良きものも新しいものもどちらも大切にしたいという、栄子さんの姿勢・若い人とも混じりたいと語っていたのが印象的で、自分の中にある若者の意見を聞いてくれない、おじちゃんおばちゃん像が少し崩れました。
どんなものでも受け止めてくれそうなどっしりとした栄子さんの佇まいは、過去いろんな経験や体験をされたからなのだろうと話を聞きながら想像しました。やっぱり、ひまわりグループのお母さんは強い。笑
また、今まで何度も話をする機会はあったけど、こんなに地域のことや村に対して思っていることを聞くことは初めてだったので終始驚いていました。
話を聞きながら「村で感じていることや感動したことが本当に人それぞれ色々あるのだろう。きっと他の人にもいろんなものが眠っているんだろう。」と思いました。
だから、これからのインタビューがちょっと楽しみです。
いろんなことに気づかせていただきました。栄子さんお忙しい中、インタビューを受けていただきありがとうございました!
読者のみなさん
拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
※(西山撮影)と表記のある写真以外は全て、丸山えり撮影