七輪コーディネーターの見たい景色
七輪コーディネーターと名乗り始めて1か月。なんかモヤモヤしています。
InstagramやFacebookで七輪の画像を載せるようになりました。たまに高山村の農家さんの紹介をして、俺が七輪で夜ご飯食べているだけみたいなイメージ。
もちろん高山村の魅力も伝えていきたいけど、大事なところはそこじゃなーい!
みんなに伝わっていないだろうから
ぼくの見たい景色を、このnoteで表明したいと思います。
でも、まだ(仮)ではある。本当にこれでいいのかな?少し情けないけど揺れ動いている最中なんです。このnoteは、ぼくの変容記録として見てもらえれば。やりながら気づいたことは、更新していきます。
西山の見たい景色
ともにいることを味わい一歩踏み出せる社会
そのために七輪コーディネーターが大切にすること
「ふっ!」と笑える時間
火を見る時間
本音がポロっと出る瞬間
分断されたものは編んでみる
否定をしない
目的はこれ!だから、この目的にむかって頑張るぞー!というのが苦手です。毎日、気分も違うし、一度発した言葉でも後日なんかニュアンスが違うような気がしてくる。それで結局なにも定められずにいる。
ぼくは「正しさ、正解を求める症候群」だと思います。目的が間違っているのが嫌なんです。(自分で決めたものだから間違っている目的なんてないけど笑)
1年先のことも10年先のことも誰もわからないんだから、今ある経験と知識の中で理想の未来を思い描けばええやんと思いました。
そして出てきた見たい景色
「ともにいることを味わい一歩踏み出せる社会」
人と対等な立場で同じ空間を共有している安心感を僕は常に求めています。そこから出てきた言葉です。
話している内容に生産性があるかないかとかじゃなくて、まずここに一緒にいるということ自体を認めたい。見ず知らずの人はもちろん、友達でも家族でも一緒にいれるのは素敵なこと。
ぼくは「俺今ここにいるんだ。いていいんだ。」と感じたときになんか腹の中から力が湧いてくるんです(笑)
何かと閉塞的で息苦しい世の中ではあるけれど、どんな人の存在も認められる人でいたい。
自分の不安や焦り、劣等感すらも許容できたとき、理解してくれる人がいるときに自分が本来持っている力を最大限発揮できるんじゃないかなぁ。
さてこの見たい景色をみるための、小さくて大きな武器が「七輪」。
七輪で大切にすること(これは全部西山が大切にすることです)
①「ふっ」と笑える時間
みんなそうかもしれないけど人が笑っているときが一番素敵だと思います。笑った時に気が抜ける。その瞬間がいい。
②火(炭)を見る時間
真っ赤の火や炭をみれるのってめっちゃいい。炭をジーっと見るのもいいし、炭を見ながら話すのもいい。
③本音がポロっと出る瞬間
これはぼくの大好物です。この間、一緒に活動しているおっちゃんが会議終わりに「zoom会議というものやってみるのはどうだい?」と明らかにzoomをやってみたそうな表情で話しているのがたまらなく面白かった。ふとしたタイミングで本音を吐露できるのっていいですよね。火を見ながらだったらその確率も上がりそう。
④分断されたものは編んでみる
何か一つの「正しさ」を押し付けるあまり、ほかの人に対して排他的になってしまう。過去の自分もそうだし、今も自分の中に残っていると思います。
でも理解しあえるような関係をつくりたい。どちらが正しいじゃなくて、その人の「正しさ」のの背景にある前提を聞いてみる。そんな姿勢で、ぼくは相対したい。
簡単に人をこういう人だと判断するのではなく、もう少し聞いてみる。
普段、嫌だと思っていた人が実はこんなことを考えていた。みたいなことに気づくこともあるかもしれない。そんな好循環を生み出したいです。
これは自分への戒めでもあります。
⑤否定しない
すべてにつながることだけど、その場にいる人のことを否定はしない。これは安心安全な空間をつくるためにとっても大事なことです。
とにかく、誰かのことをけなしたり悪口を言ったりするような悪循環ではなく、その人のことを認め、うけとめ、話してみる。そんな好循環を七輪で生み出していきたいと思っています。
夜は自宅の庭に、人を呼んで一緒に七輪します。
ちょっと範囲を広げて村のあちこちに七輪を持ち出して、七輪でマシュマロなどを焼きながら様々な人がコミュニケーションをつくる場をつくりたいと思います。
オンラインでも、七輪を用いてさまざまな人と話している様子をFacebookやInstagramでその様子を公開していきます。
ぼくがこれから見つけていくことは、「一歩踏み出せる社会」をつくるためにどんなアクションが必要なのか。
まだまだよちよち歩きの七輪コーディネーターではありますが、よろしくお願いします。
中秋の名月、近所の方と七輪