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グランメゾン東京を見たら「ボナペティ」って言いたくなったけど、言う相手がいなくてモヤッている

少し前にテレビを見ていたら、映画『グランメゾン・パリ』公開のタイミングというのもあって、木村拓哉さんがバリバリテレビに出まくっていた。

『キムタク=かっこいい』の方程式は当たり前のように身に染み付いているのだが、改めて何度も画面を通してキムタクを見ていると、いつの間にか自分の中で『かっこいい』から『ずっと見ていたいくらいかっこいい』に昇格していた。

果たしてこんなにかっこいい大人がいていいのか。
ありえないくらいかっこいいと思うけど、バラエティ番組などで時たま覗く抜け感に、心をくすぐられる感じがするのだ。
それでいて、とっても綺麗な娘さんがいるお父さんでもある。

本当に同じ日本人、いや、同じ人間なのだろうか。信じられない。
私は短期間でここまで来てしまったので、ずっと木村拓哉さんを見てきた人たちにとっては、きっととんでもない沼なのだろうと推察する。

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そうして「キムタクカッコイー」しか言えなくなってしまった私はもっとキムタク成分を取り込むために、ドラマ『グランメゾン東京』を見始めた。
今はNetflixで見られる。

木村拓哉さん演じるフレンチシェフの尾花夏樹が冒頭からとんでもない出来事に巻き込まれてしまい、突然失踪。
その後、鈴木京香さん演じるシェフの早見倫子と運命の出会いを果たし、三つ星を取るために奮闘する物語だ。

この、冒頭のとんでもない出来事というのがまぁ結構なおおごとで、かつての仲間達からも信頼を失っていたどん底の尾花。
最初は見ていてこちらが悲しくなってくるほどに、その背中が小さく、切なく見えた。
それでも尾花の強い信念に共鳴する人たちは現れてくる。
最初は一人の信念・願いだったものが、仲間が増えていってどんどん強くなり、いつしか1つのレストランの信念・願いに変わって行くさまは、胸熱以外のなにものでもない。物語を彩る登場人物たちも、大変魅力的な人たちばかりだ。

ストーリーもとても面白くグングン引き込まれていくのだが、尾花がやっぱりかっこいい。

素直じゃないので多くを語らないがために人から勘違いされてしまったり理解されなかったりするけれど、その心には人を思う気持ちがあったり、ずっと忘れられない思い出があったりする。
好き勝手にやっているように見えて実は人のことをよーく見ているような、なんとも人情味あふれる人物。

料理への執念が渦巻いていて料理のことになると人への当たりが強くなってしまう尾花にも、そんな一面があるのだ。

現実世界でこんな人がいたら、私は多分「あの人何考えてるか全然わかんない。怖いな〜」と思ってしまうだろうけど、そこはドラマ。
本人の周りの人たちは知らないであろう尾花の一面を視聴者にはぜーんぶ見せてくれるので、実はめっちゃ人の事を考えててとっても人間臭いやつなんだというのがわかる。

そういう視聴者補正がかかっているにしても、かっこいいと思う点は。
『人には言わない・見せない部分』があることによって人から勘違いされたり色々言われようとも、自分の芯を曲げなかったり誰かを守ろうとしている姿。
立場上の責任というのもあるのだろうが、腹を括って生きている姿に痺れた。
不器用なりにも人に寄り添おうとする真心にも、じわっと温かい体温を感じた。

でもそれって、ドラマだからこそ見られて、感じられることなのかもしれない、とも思った。

この現実世界では、自分が言わない・見せない部分は、自分から提示する・もしくはそれを見た人が周りに知らせない限り絶対に明るみに出ることはない。
「それ言っとけば全部の辻褄が合うのに」と思うことでも、本人の思いや性格や価値観から言わないことを選び取り、どこかの歯車が噛み合わなくなる、ということもあって、その結果として人から勘違いをされてしまうこともある。

でも、誰かに理解してもらったり、平和にことが進んでいくのが全てではないのかもしれない。

人とは分かり合えないこともある。だって物の見え方や考え方が180度違う人もいるんだから。
この当たり前の前提があるからこそ、分かり合えた時、気持ちを共有できた時に一層その嬉しさが輝きを増すんだろう。

分かり合えないことは当たり前のことなのに、どうしても「皆と分かり合えるはず」って期待してしまうのも、人間らしいのだろうか。

私の場合はぜーんぶ話して、「分かってほしい」と思ってしまう。
波風立てたくない、事勿れ主義の私は平和におさめるために全部話してしまったり、その中にちょっと嘘が混じることもある。
嘘というか、本音を出さない。
全ては平和におさめるために。本音を隠すことは、一つの処世術でもあるけれど。

場を乱したとしても自分の心に嘘を吐かなかったり、誤解されようとも『言わない』事も選べる生き方は、私には手が届かないからこそかっこいい。

尾花も尾花で悩んでいるのかもしれないが、自分を貫き通す姿、世間からバッシングを一手に受けながらも人には見せずに一人大きなものを抱えている姿が、私はとても眩しく見えた。

私が見えている人の面もきっとごく一部で、みんな大なり小なり何かを抱えている。
不安、寂しさ、怒り、切なさ、きっとたくさんある。
何を抱えているかはそれぞれに聞かないとわからないものだけど、人が持つ深みとはそういうものなのだろうと今は思っている。

そんな人はすごくかっこいいけど、抱えている分何かで報われてほしい。

尾花も報われたいと思って行動しているわけではないのだろうが、尾花夏樹をはじめ、グランメゾン東京に出てくる登場人物たちを見ていて、私はそう思った。とにかくみんな、一生懸命なのだ。

誰かをひっそりと助けたり、自分以外の罪を自分が肩代わりして人生が変わってしまったり、大事なものを失ってしまったとしても、誰に自慢するでもなく、武勇伝のように語るでもなく、自分一人でただただ抱えて生きている。

視聴者もいない現実世界で、この登場人物たちのように誰かのために自分が体を張ったり自分を犠牲にした事実を、自分一人で抱えて生きている人がいるならば。

あなたは、本当にかっこいい。
かっこいいから、どうかどこかで報われてくれますように、と伝えたい。

グランメゾンパリ、見に行かなきゃな。

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キムタク(尾花)は、料理を食べさせる前に「ボナペティ」と言う。渋くてかっこいい。

これは、簡単に言うと「召し上がれ」とか「食事を楽しんで」という意味らしい。
なんかオシャレでいいかも、と思って言うタイミングを待っているが、旦那さんが夜勤シーズンに入り最近食事の時はほぼ一人である。
今日も一人、明日も多分一人。
味噌汁なんかをスッと出して「ボナペティ」と言うのを想像するだけでも、なんだかアレだけど。

早く言える機会来ないかなぁ。

せいぜい、飼っている亀のぼーちゃんやトカゲのハニーちゃんに餌をやって「ぼなぺてぃ…」と呟くくらいしか、すぐにはできなさそうだ。


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