知らなかった方が良かった?
前に勤めていた時の会社の話。その会社の給料は年俸制で、毎年の年度末前に社長と交渉する事が出来た。いや、交渉とは名ばかりで一方的な通達だった。
ある年の出来事。それはあるファイルを相棒が偶然見つけてしまったことで状況が変わった。相棒が偶然見つけてしまったファイルとは、全社員の年俸ファイルだった。
ワンフロアの会社で、パーティーションだけで区切ってある事務所だったのだが、会社の経費担当の机は誰よりも汚かった。机の上に収まらない書類の山、食べかけのお菓子が散乱していた。この会社大丈夫なのか?と不安に思った事もある。経理担当の上司も忙しくて、ほとんど注意していなかった。
そんな中、経費精算のため、相棒が書類を持って行くと経理は不在だったのだが、汚い机の上に、年俸ファイルがあるのを相棒が見つけてしまったのだ。相棒は事細かに見て分析してみると、あることが分かった。
それは、どんなに頑張っても絶対に古参社員の年俸を超える事はないという事。
当時の相棒も高級取りを目指していた訳でなく、フラットな査定をして欲しいと何度も社長に年俸交渉の時に直談判していた。いつも、社長は何らかの理由をつけてはぐらかせていたが、年俸ファイルを見てしまった相棒には、その手は効かなかった。だが、年俸ファイルを見たからといって交渉した結果、変わる筈もなく、相棒はキレて私にその年俸ファイルを私に見せてくれた。
私もその年俸ファイルを見た時愕然とした。古参社員の年俸の高さに。社長の年俸高さに。そして、今後どうしても、埋めようない差に。
このままこの会社にいても、私と相棒は、どこまでも低い年俸でいいように使われてしまう。私と相棒の入社時の年俸は250万からスタートだった。10年近く働いていたが、その時点で古参社員との差は500万以上あった。社長は桁がもう一つ上だった。
その後、毎年の年俸交渉は毎回荒れた。個人予算は達成しても、営業部全体が未達成だからと、年俸は基本据え置きか微増が常だった。相棒が切れたのは、このままこの会社にいても、一生古参社員の年収に追いつかないと判断したからだった。凄く営業成績が良い年があって時も、私達の年俸も上がったが、当然、古参社員も同じか又はそれ以上に上がっていた。
事あるごとに、古参社員の人から働きすぎだよとか、頑張ってねと言われて、以前はガムシャラに頑張っていたが、年俸を知ってしまった後では、やればやるほど古参社員と社長の年俸が増えていくだけだと思った。
相棒はどんどんやる気を無くして、適当に仕事をするようになったが、バカな私は適当にしたくてもその適当が上手に出来なかった。
ヤバい!このままでは、本当にヤバいぞ!
と自分中で緊急のサイレンが鳴った。当時の私は、毎年必ず何らかの原因不明で、ぶっ倒れていた。今回のヤバさは本物だ。私は自分の直感を信じて、この会社を辞めようと決めた。
あのまま、あの会社にいたらどうなったのか?
上手くいったかも知れない可能性もあったが、
体か、心が間違いなく壊れていたのではないかとも思う。
そう思うと、相棒が見つけてくれた年俸ファイルは、結果として私を救ってくれた。
知った方が良い場合と知らなければ良かった場合があるけど、今回、私にとっては前者だった。だが、あの時にいた古参社員や社長の立場だったとしたら後者なのだろう。もし、私達が年俸の事を知らなければ、頑張れ頑張れと言われてぶっ倒れるまで働いていただろうから。
経理の机が汚く杜撰だったお陰と、偶然が重なり今となっては、何とか命拾いしたのだと思っている。