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悪しき昔の風習

私は古本屋さんが好きだ。思わぬお宝本がビックリする値段で売っていたりする。その本を見つけた時は、周りの人には見えないけど、心の中で思いっきりガッツポーズをする。毎回、お宝が発見出来る訳ではないところがまた良いのだ。古本屋さんでのお宝とは、特別に高価な本ではなくて、以前に私が読みたかった本が私にとってのお宝本となる。

今回見つけたのは。「清原和博 告白」

書店で見つけた時に買おうとしたが、ついつい買い忘れていた本だった。

個人的に清原が好きだ。ダメなことをしてしまったけれど、野球をしている清原に一喜一憂させてもらったり、とんねるずの番組で、じゃんけんをしている時も楽しませてもらった。

今回買った本を未だ全てを読んだわけではないが、前半のページを読むにつれて思う事がだんだんと大きくなった。

それは

高校の野球部での寮生活の日常だった。

1年生は、「仕事」と呼ばれる役割があって、練習以外で先輩の炊事、洗濯は当たり前、部屋に戻れば全員上級生で安らげる場所はなく、高校の敷地内からは出ることが出来ない。お風呂に至っては、1年生は湯船に浸かってはいけない、シャンプーは禁止、バスタオルの禁止。

な・なんだこれ?

野球という名を使った軍隊なのか?

本にも留置場と同様に、自分では何も出来ず、自由がなく、「二度と戻りたくない」と書いてあった。

こんな状態で野球をしていたら、甲子園で優勝してもお釣りが来そうだ。脱走する生徒もいたらしいけど、私だったら耐えることが出来るだろうか?

いや、無理だな。

私も高校で運動部に入っていたが、ここまでじゃないにせよ、おかしなことはいっぱいあった。練習中は水は飲んじゃダメ、うさぎ跳び、真夏に倒れて吐いても吐いてんじゃね~と怒鳴られる同級生を見てきた。

自分がされて嫌なことは、人にはしない


誰もが教わってきた筈なのに、自分が上級生になると同じことをしてしまった経験は私にもある。当時は相手を思いやる感覚が麻痺していた。顧問の先生以外に外部からくる怖い先生の何も言えない圧力や同調圧力に負けたのだ。

でも、この恐怖による練習という名の支配は間違いなくあることが付いてくる。

強くなれることだ。

今思えば、無茶苦茶な事ばかりだったのに、いざ試合になれば勝つ喜びは味わうことが出来るのだ。

だからと言って、私は恐怖で支配することは大反対。

時代が変わって、もうこんな本に書いてあることは無いのだと思いたいが実際はどうなのだろう?

学校は変わったのかもしれないが、会社では未だに、このようなパワハラが普通に横行していて、報道されるのは氷山の一角なのかもしれない。

いずれにしても、戦時中じゃないのに恐怖でしか支配出来ないのは悲しいものだ。

私だったら、何と言われようとも速攻逃げますね!

逃げるが勝ちという勇気を持っていたい。

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