小学生の海外体験
Hello, みろろんです。
今回は例年ならお手伝いしている日本の小学校について記したいと思います。
あくまで個人の感想ですが、長野県の教育ってかなりおもしろいと思っています。公立でも型にはまらない教育をしているという印象です。なぜそう感じるかというと・・・
オリンピック効果
1998年に開催された長野オリンピック。この時期に幼少期だったり、まだ生まれてなかったりされている人でも当時のメダリストらが現在もテレビで活躍されているのでご存じかと思います。
実はこのオリンピックが決定した時から、長野が変わったらしいです。
まず世界中からオリンピック観戦に来られる外国人を想定し、英語教育に力を入れ、看板を国際表示にし、新幹線を開通。
そして学校教育もかなりユニークなようで長野県の支援を受けて国際交流が盛んになったようです。
その一環として、ある小学校がイギリスに約1週間ほどやってきます。
交流歴は20年近くになります。以前はイギリス政府からの補助金でイギリスの小学生も長野の学校訪問をしていたようです。そのため、1年交代で行ったり来たりという交流。私が手伝い始めてからは補助金がなく、イギリスからは訪問できなくなったようです。しかし日本から毎年訪問できるようになったようでした。
交流している(イギリスの)学校は私の家からも少し離れている村です。村には小学校が1つしかないのですが、それでも私の子供が通っている小学校の半分以下の規模。一学年が1クラスずつしかありません。
イギリスは平地なので日本のような村、僻地だったり、大きな町からかなり離れている村は少ないです。ちなみに私は毎日車で通える範囲です。
その学校の校長は当時のことをこう語っています。
今でこそ外国にルーツのある子供がいるけど、当時は本当に(白人の)イギリス人しかいなくてね。だから日本の学校と交流しようと決めたんだよ。
その校長は長野に訪問した時も
できることはすべて体験したよ!
と、ハッピを着て、おみこしを担ぐ写真を見せてくれました。
小学生でこんな体験ができるなんてすごいなぁ。(すみません、10年以上の前の話です。今ならもっと当たり前ですよね)
私は日本からの先生2人、小学5,6年生の10人ほどと一緒に1週間を過ごしました。
当時はみな同じ年の子供たちの家にホームステイ。小学生にとって1週間は長いですよね。しかも言葉の通じない家、日本食ではない食事・・・。
夜に泣き出してしまう児童もいたようで、付き添いの先生がたも大変そうでした。
しかし、学校では元気に校庭で遊んだり、日本文化を伝えるべく、書道をしたりと過ごしてお別れの日が来るとみんな大泣き。感動的なハグをかわり、私ももらい泣きしながら見送る・・というのが恒例でした。
ボランティアのきっかけ
私と長野との出会いは大学の時。長野出身の友人がいました。
当時長野は「スキーにいくところ」という認識だったのですが、大学で視野が広がった私は仲間といつも「お国違い(自慢ではありません)」を楽しんでいました。方言や食べ物、文化など。
毎年友人たちとスキーに行っていましたが、その帰りなどに友人宅にお邪魔することがありました。
とっても楽しい家族でいつも夜遅くまでご両親とも話をしていた記憶があります。
さらに、私の義姉は長野の方と結婚し住んでいました。(しかも豪雪地帯)
私は長野に行くときは「親戚と友人」に会うことができます。
イギリスに来てから、私の職場でHealth and Safety 講座を受けた時に研修してくれた方(イギリス人)が私の名前を見て
「日本人?」
と日本語で話してきたのです。しかもとっても上手い!
冗談で今日の研修は日本語でしようか?なんていうくらいの人だったので興味があり、なぜ日本語が話せるのか聞いてみました。
彼女は「あー、元夫が日本人だったのよー」と明るく答えてました。
私が初対面で明るく離婚の話をされることに慣れていなかったので(イギリスでは普通みたい)びっくりしましたが、それ以来メールでやり取りするように。(同じ職場でもキャンパスが違うのでなかなか会えないんです)
ある時、彼女が
「私毎年小学校のボランティアをしてるんだけど、やらない?」
と言ってきたのです。
それが長野の小学校でした。
私はなんだか「長野」に運命を感じ引き受けたのです。
交流をサポートして10年ほどたちます。昨年はコロナ禍で交流が中止になりました。また、いつか、言葉が通じなくても一緒に過ごす子供たちの笑顔をみることができると信じています。が、いつかなぁ。。。