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いろいろなことが蘇る、というきっかけ

Hello, みろろんです。

今日はロックダウンで外出もままならない日常を送っているみろろんが、久しぶりにアフリカ滞在の思い出を、そして現在の気持ちを奮い立たせる記事に出会ったのでここで紹介させてください。

noteを開くとなんだか知った顔の写真が目につきました。

「ゾマホンさん!」

なつかしー。

実はテレビ番組で知った方なんですが。

今更ながら、いろんな問題があった番組だったんですね。

当時の私は出演されている外国人の方の日本語の上手さにびっくりしていました。

50人くらいいろいろな国の方が、日本語で議論する、というような番組でした。

その中でも「ゾマホン」さんはインパクトの強い方でした。

そもそも出身の「ベナン」ってどこ?っていう状態だった私。

ケニアに行って「アフリカ知ってる!」と思い込んでいた私はガーンと頭を殴られたようでした。(今思うと恥ずかしい。アフリカ広いです・・)

番組中、彼は「植民地になるとはどういうことか」という発言をよくしていました。

今でも覚えているのはベナンはフランス領だったため、独立後も学校の授業の半分くらいを「フランス語」に費やしている。自分の国のことは勉強せず、「フランスの歴史」が授業にある、など。

私が訪れたケニアの印象と全く違いました。

アフリカの諸国が独立するまではイギリス領とフランス領が半々くらい。オランダなども植民地にしていましたが、2大勢力は今でも幅をきかせているのだな、と感じました。

実際行ったケニアはイギリス領だったため、公用語が英語です。(もちろんスワヒリ語もあります)私が会ったケニア人はイギリス人のことを悪くいう人が(意外に)おらず、イギリスのおかげで英語が話せる、近代文化の国になった、というようなことを言っていました。

それが元フランス領だとこんなにも印象が違うのか、とゾマホンさんを通じてベナンのことを知りたくなり、本を購入したりしていました。

その本には私(日本人)の想像を超える経済格差や、教育について書かれていました。

私は以前担任を持っていたクラスでHRなどに折に触れてこういった話をしていたことを「たけし日本語学校」さんの記事を読んで鮮明に思い出しました。誰もが読めるように教室にゾマホンさんの本を置いたりしていました。

そもそも私がケニアに行ったのも、海外青年協力隊の指導者として勤務されていた恩師に誘われたからでした。

その後も「日本人は恵まれてるよなー。勉強させていただけるんだから」と、いつか海外で協力隊として働きたいな、と思っていた私。

教員になってからも募集要項をみていて、数学と理科は募集があり結構本気でした。


「アフリカの水を飲んだものはアフリカに帰る」

と信じて帰国の前日、色彩豊かなの夕日(本当に美しいんです!)を見ながらお腹こわしてもいいや!と思って飲んだ水。。。

そんなことを鮮明に思い出しました。

いつかコロナ禍が終わって自由に旅行できるようになったら家族でケニア旅行したい!(本当はもうすぐ行くはずでずっと貯金してたんですけど)

そんな忘れていた気持ちを思い出させてくれました。

ありがとうございました。

ちなみに私のケニア旅行記はこれです!




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