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出産は本当に死ぬかもしれないということ 医者を押し切り退院編

Hello, みろろんです。出会いあれば別れあり・・。子供の(補習校)クラスメイトはこの時期も引っ越し。日本に帰る人、チェコ、ドイツなどさまざまです。見送る側もつらい・・。

今回も不適切な表現があるかもしれません。しつこいタイトルですみません。こんなこともある、と思っていただければ幸いです。また、病院内でのシロウト患者表現が苦手なかたはご遠慮ください。


なんとか動けるようになった私。病棟に移ってから1日は6人部屋。他にも人がいるところに移されました。そこできくいろいろな話。

ほとんどの人は出産時の対応に不満がある人で大声で文句をいいまくっていました。面会時間にはその人たちの家族、友達などいろいろ来ましたが、ずーっと愚痴。私も気が滅入るくらいでした。

看護師さんにそのことを言うと、「あの人たちの言うことはきかなくていいから」と。

そしてその数時間後、私は個室に移されます。(対応が早い!)

唯一の楽しみは毎日来てくれる私の母と上の子。そして夜からはハズと上の子。絵本の読み聞かせをしたり楽しく過ごしましたが、長くは続きません。面会時間があるからです。

後で聞いた話ですが、上の子はバイバイしてから車で泣き出し、そのまま寝るまでハズは車を走らせ続けて眠ってから帰宅していたそうです。私もつらかったですが、3歳児には私の何倍もつらかったでしょう。

下の子は小さいながらも元気そうで、母乳に切り替えたのですが、黄疸があるということで毎日UVライトをあてて治療していました。元気そうなのに採血の結果は悪いらしく数時間おきに足に針をさして採血。見ているほうはつらい。。

母乳にしたので私も寝られなくなり、疲れていた時、ローテーションでいい看護師さんがいると

「私が見ててあげるからあなたは寝なさい」

と赤ちゃんをバギーにのせ昼間連れだしてくれました。中でもケニア人の看護師は私がケニアにいったことがある、と言うとうれしそうにケニアのことを話してくれました。

ちなみにイギリスも看護師不足。common wealthという大英帝国つながりの国の人はそのままイギリスで働けるため、外国人が多いのです。

そうしているうちに私ははやり患部から感染し、高熱がでます。39度以上が続きつらいのに、授乳は誰も手伝ってくれません。ベッドから起きて赤ちゃんを取り出す作業は腹筋がいるのか一苦労。部屋の窓は鉄格子もあり、重くて閉められない。それでナースコールをすると

「それは私の仕事じゃないから」

とさっさと戻ってしまう人も多く、(中にはやさしくて手伝ってくれる人もいます)本当にしんどいのに病院にいる意味がない、と。

発熱したのが金曜だったので、抗生物質を処方できない、とずっと薬をもらえず。解熱剤が効かない、次の抗生物質となっても変わらず責任者(医者)は週末いない(病院内ですよ!?)ということで保留。

それなのに気分転換にシャワーを浴びれば?といわれ、行ってみたものの、嘔吐し断念。人間胃の中になにもないのに嘔吐すると蛍光色のものが出るのも初めてしりました。(知らなくていいのですが)

やっと月曜になって種類の違う抗生物質をもらい解熱しました。

私は食事も限界(とにかくまずい)だったのでついにブチギレ!

「責任者よんでこーい」

状態。

コンサルタントが来て、まだここにいたほうがいい、と。

私は窓を閉めるのも手伝ってくれないようなところにいるほうが死にそうです、と伝えました。彼は折れてくれましたが

「また救急車でここに戻ってくるかもしれないけどいいんだな!」

と。手術の時助けてもらったのは感謝しかないのですが、こんな地獄のような生活は耐えられませんでした。

幸い赤ちゃんの黄疸も落ち着いたので私は強引に退院することにしました。それが出産から2週間後。

ハズと母はおろおろ。お医者さんの言うことはきいておいたほうが・・というのも聞き入れず、必ずNHSに改善要求する!と意気込み足を引きずり(お腹が痛くて歩けない)出産前からの5週間いた病院を後にしたのでした。


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