初めて受けたパワハラ
Hello, みろろんです。今日はロックダウン以来車にガソリンを入れてきました。普段なら週1で入れているガソリン。4か月も入れなくてよかった理由は家にいるからですよね。今日は知人とお茶しました。庭で。
さて、12年前に気軽に受けた就職面接に受かってしまい、子供をどうするか慌てた私です。
上の子はpre-schoolという幼稚園に通っていましたが、2か月後には小学校に通うので幼稚園を辞めさせて保育園に戻すのもどうかと悩んでいたのですが、当時顔見知りだったお母さんに相談したところ、幼稚園が終わる3時過ぎから私の仕事終了の4時半過ぎまで預かってくれることになり、子供たちは何も変わらない生活(友達の家で遊んで帰る以外)となりました。
そのお母さんは私の話をよく聞いてくれるな、と思っていたら自分の兄弟がインドネシアに住んでいるとかで国や家族と離れて過ごすことの苦労を知っている人でした。幸い子供同士も仲良く興味が同じ(電車がすき)なこともあり、ずっと一緒に遊んでいるとのこと。一安心です。
勤務を4時半に終え、(基本残業しません!)上の子を迎えに行ってから保育園へ。下の子を連れて帰りご飯の支度。延々と家事は続きます。
仕事はよい上司に恵まれたのですが、私のポジションは実は新しく作られたものでした。以前は小学部と中学部で分かれていたそうですが、今回理科というくくりで小、中両方のカリキュラムをサポート。それが悪夢の始まりでした。
話だけ聞くと
「大学にいながら小学校から高校までのカリキュラムと関われる」仕事だったのですが、実際は
*建物が離れており、2つを行き来するのに片道5分くらいかかる
*同じ時間に授業があり、それぞれの器具の準備、片付けがある
考えてみれば両方同時にある授業をサポートするのは不可能。私は働き始めてすぐに仕事がきちんとできない状態に。
中高は毎日ではないものの、実験器具の洗い物など時間がかかるものばかり。小学校のほうは器具は使わないもののほぼ毎日授業がある・・。
困っていてもTechnicianは私一人。誰にも相談できずにいました。
そしてついに中高(secondary)コース化学の講師が
「なんであなたはこの時間にいないの?」
と。
私は説明しますが、自分の授業が中心なので私の仕事量はきこうともしてくれず。
講師(大学の先生です)は小と中高、お互い連携もとっっておらず、私は板挟み状態になります。
ある日、片方で朝早く準備してからもう片方に行き、準備。その後実験室に戻り後片付けをしていましたが、急に呼吸困難になりました。過呼吸になったのはこの時が初めてでした。
そして「帰れ」といわれて自宅へ。
その後病院に行き、精神不安定と言われて自宅療養することになりました。。。
その間も子育てで家でもノンストップ。心だけでなく、体が不調になったのは初めてでした。
理想の仕事・・と思った転職はわずか5か月で休職に。