次兄を想う

以前の記事で、次兄から虐待を受け、いまだに許せないであることを書いた。それでも尊敬している面、見習いたい面などもあり、一度ここに書き残しておこうと思い立った。


彼は何をさせても完璧にこなし、幼少期は軽く神童扱いだった。特に足が速く大会に出れば優勝、テストは100点以外取ったことがなく、数学においては、小学生の時点で高校レベルを難なく解く、そんな人物だった。

小学校でも目立つ存在だったため、悪ガキで通っていた上級生に目をつけられ、いじめられるようになったらしい。これも母が父から離れ実家に戻る選択をした一因だった。

そんな経緯もあり、引っ越し前のいじめの傷も治りきらぬまま見知らぬ土地に連れてこられ、次兄の動揺は強かったようだ。馴染めない土地でのいじめも新たに始まり、とうとう中学に通えなくなってしまった。

このときの次兄の心中を考えると、どれだけ悔しかったか、悲しかったか、気の毒でならない。当時の次兄の本音を書いたメモをたまたま読んだことがあるのだが、それはもうこちらまで苦しくなるような内容だった。過去の栄光からの転落にまつわる叫びが、ひしひしと伝わってくる。

遠くを選んだことで、高校からはいじめる人物もいなくなり、無事に通えるようになった。資格もたくさん取り、表彰も何度もされた。いじめの後遺症でバッタバッタと倒れる次兄を周りは優しく包み込んでくれて、本当に恵まれていたらしい。

それでも一度、記憶がないとは言いつつも、授業中に学校の3階の教室から飛び降りようとしたことがあるらしい。母は薬の副作用か何かだと思うと言っていたが、そんな副作用蔓延っててたまるかと私は思う。引っ越してきてから一番いい環境にいたはずなのに、一体何が彼をそうまでさせてしまったのか、考えると言葉が出ない。

その後は徐々に体調も回復し、大学に入り、あっさり首席で卒業し、大学で働いている。それでもやられた自律神経の経過は悪いようで、毎日1時間母につきっきりで起こしてもらわないと起床に至れない。

スペックもプライドも高い彼のことだから、きっと内心は悔しいだろうし、引っ越しを決めた母を恨んでいるだろう。これは悲しいかな母も自覚している。私に手を出したこと、多分許せることはないだろうけれど、誰より努力家で、苦労していて、足掻いてきた次兄のことを、応援できる私でいたいと思う。

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