苦手な推し方

など、ない。
法と倫理を守っていれば。

苦手な野菜はある。
玉ねぎ。
よし、ドラゴンに言わせとくか。

苦手なもの言わせてごめんね…

まぁそんなことより私は「正源司陽子」の話をしたいんですよ。


正源司陽子はあまりにも凄いです。
みんな知っていると思うんですけど、彼女は本当に凄いですよね。
みんなの中にそれぞれの正源司陽子の「凄さ」があるとは思うんですけど、あくまで私の中の「正源司陽子」を書いていきますね。


私は正源司陽子をアイドルの枠組みで話すことがあまり無いんですよね。
あくまで、「正源司陽子」という枠組みで話したいんですよね。
正源司陽子を「アイドル」という枠組みで話すの難しくないですか?
正源司陽子自身が「アイドル」という枠組みで表現してきてないように感じるんですよ。
勿論これは私が勝手に言ってるんですけど、彼女自身は「正源司陽子」という姿を見てほしがっているように感じるんですよね。


例えば、清水理央って「アイドル」じゃないですか。


まあ、これは私の記事なんですけど、

清水理央は「アイドル」、これは間違いないですね。
で、

これなんですよ。

てなると、正源司陽子が「アイドル」という枠組みなわけなくないですか?
だってヒーローなんですもん。正源司陽子というヒーローなんですもん。

まあ、あくまで全部私が勝手に言っているんですけど、


つまりは私は「アイドル」という枠組みではなく、もっと広い枠組みで正源司陽子を見たいんですよ。
(「アイドル」という枠組みが狭いわけではないです。正源司陽子に限り、狭く感じてしまうのでは?っていう話です。)


あの屈託のない笑顔も、全てを背負おうとする背中も、隙あらばボケしろを探す姿も、押し潰されそうな寂しい顔も、先輩に守られる姿も、同期を守ろうとする姿も、全部もっと広いところから見たくありません?

正源司陽子には、物差しがいらないんですよ。


何が言いたいかっていうと、ありのままの正源司陽子を愛そうぜっていう話、

なのかもしれません。







で、ここからはこれを書いてて気づいたというか、分かったことなんですけど。
デカすぎる存在である「正源司陽子」について考えてふと頭をよぎったことなんですけど。

私の推し方(?)についてですね。
これはめっちゃ恥ずかしいことなんで、分かりづらく、ボカして、尚且つ大事なとこは隠して言うんですけど、



応援してるうえで、その人の景色の「一部」にはなりたいんですけど、一瞬でも「全部」になるのがめっちゃ苦手なんですよね。



分かりますかね。分からなくていいです。
めっちゃ恥ずかしいんで。
なんて逃げの言葉なんだ、と思ってます。
あー、恥ずかしい。


デカすぎる「正源司陽子」と小さすぎる「私」の対比で今回気づいたことですね。

やっぱり狭い枠組みじゃなくて、デカい枠組みで「正源司陽子」を咀嚼していきましょうね。









さて、この記事で何回「正源司陽子」と言ったでしょう。









19回。

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