新参者を配信で6公演見た人の感想
乃木坂46、櫻坂46、日向坂46の各グループの新メンバー乃木坂5期生、櫻坂3期生、日向坂4期生によるライブ公演「新参者」各10公演、計30公演が終わりを迎えました。
メンバーの皆さん、お疲れ様でした。
歌舞伎町タワーとかいう場所のミラノ座とかいう900キャパという箱に私は1ミリも立ち入れなかった。
いまだに歌舞伎町タワーがどこにあるか知らない。
なぜ「ミラノ」と異国の地の名が冠されているのか分からない。
というか、歌舞伎町タワーって怖すぎるだろ。
歌舞伎町を上に高くするなよ。できるだけ面積少なくいけよ。
とりあえずなんか変な事件とかなくて良かった。
でも、配信された各グループ2公演、計6公演は見させていただきました。
折角、6公演見させていただいたのでなんか記録しときたいなって思って書いてます。
もちろん間違ってたり、的外れなところもあるとは思いますし、今の気持ち的なのところもありますが、とりあえずとりあえず、
【おもしろらっしゃい】
寄ってらっしゃい見てらっしゃい
さて、6公演見させていただいて私は
と言っています。
読点の位置がめっちゃキモいとかは置いといて、
これが正しいかとかは置いといて、
これについて考えていきたいと思います。
千秋楽が早かった順にいきますね。
日向坂46
日向坂46のダブルアンコールは、けやき坂46「車輪が軋むように君が泣く」でした。
この曲は、日向坂46のファンにとっては沢山の暖かい思い出が詰まった曲だと思います。
昔からの曲であり、そして何よりも観客が歌うということに想いが乗った曲だと思います。
藤嶌さんはMCにて今回の公演を「ラストチャンス」と表していました。
比較した時に1番表出する場が少ないのは、日向坂4期かもしれません。
他のグループでは選抜に入り、フロントに就き、センターを務めているという事実はあります。
また、日向坂46の今の状況も色々と言われている部分もあります。
(私は運営に文句や不満を言うのは好きではないので差し控えますが、)
アイドルは私たちが思ったよりもネガティブなので、その現状を自分たちのせいだと落とし込んでいるメンバーもいると思います。
まあ、私には分かりかねますが。
日向坂4期生は日向坂46として「過小評価」されていたのかもしれません。
「どんな公演を見せてくれるんだ?」っていう疑いのような目が最も向いていたのかもしれません。
そんななかで日向坂4期生は完璧な公演を届けてくれました。ありがとうございました。
日向坂46の楽曲がもつパワーに自分たちのパワーをフルで乗せて届けてくれました。そして、けやき坂46の楽曲の披露もありました。
日向坂とけやき坂の楽曲は「新参者」という公演においてはあまりにも色が違うように思えます。
彼女たちは今までの日向坂(けやき坂)の歴史を辿っていくことで、あの番組ではないのですが、日向坂46になろうとしていたような気がします。
過小評価で小さくなってしまった日向坂4期生は、公演を通して大きくなり日向坂46になろうとしていたのではと思ってきました。
「車輪が軋むように君が泣く」はファンと「一体」になることで完成する楽曲でした。
ファンと「一体」になることでなろうとする形を思い描こうとしていたような気がしてきました。
「日向坂4期生について来てください。背中を見てください。そしてあなたの声で背中を押してください。その声で私たちを日向坂46にしてください」
なんかそんな気がしてきました。
もちろん、初めから日向坂46なんですけどね。
日向坂4期生には自信をもって進んでほしい。
これから「何者」にでもなれる。
櫻坂46
こちらのダブルアンコールは欅坂46「語るなら未来を…」でした。
この楽曲は櫻坂46としての披露は初めてでした。
また、櫻坂3期生が初めて披露する欅坂46の楽曲でした。
この楽曲が意味することを紐解くのはあまりにも難しいですね。
この曲を披露したこと、賛否があるみたいです。
私の周りの方で「否」は見かけないのですが、どうやら「否」もあるようです。
こんなにも「否」があることを想定されて披露される楽曲、グループはそういないと思います。
あまりにもすぎると、私は思っているところもあります。
石森さんの涙には計り知れない重さが乗っていたのだろうと思われます。
私はこの曲の披露には櫻坂3期生の「越えようとする意思」を強く感じました。
越えようとするもの、それは1期生、2期生です。
あの楽曲披露は良い悪いよりも先に「越えようとする意思」が前面に出ていたような気がします。
「欅」よりも前にそれが出ていたような気がしています。
「否」をもっている人にはそれを感じて欲しい気がします。
「否」をもっている人は内面があまりにも自分に向いてませんか?と言いたい気持ちはあります。
もちろん個人の意見なんで、無視していただいて構いません。
アニラで見た先輩の背中、先輩の卒業、そして卒業発表、あまりにも彼女たちにとっては大きかったと思います。もちろんアニラよりも前に「卒業」という事実は分かっていたことなのでしょうが、アニラという事象がそれをより形づけたと思います。
そして、アニラを経て得たもの、見たものが「新参者」という形で体重を乗せて出ていたと思います。
そして「越える」という決意です。
完璧なライブでした。ありがとうございました。
TAKAHIRO先生が言っていたように今の櫻坂3期生は先輩を超えることが使命なような気がします。
「マモリビト」で語るように堅く守り並ぶことが宿命なような気がします。
櫻坂3期生が背負うものはあまりにも大きいです。
櫻坂46の3年の歴史に収まらないものすらも彼女たちは背負わなくてはなりません。
でも、彼女たちに流れている血をこのダブルアンコールで感じることができたんではないでしょうか。
彼女たちは「挑戦者」でした。
私たちには「応援する」という手段しかないと思います。
乃木坂46
こちらのダブルアンコールは乃木坂4期生の楽曲「I see...」でした。この楽曲は現状の乃木坂46の楽曲で1番盛り上がるといっても過言ではないでしょう。そして、乃木坂4期生が5周年を迎えたタイミングでの披露でした。
乃木坂5期生は踏んでいる場数が圧倒的に違います。彼女たちは既に単独公演で横浜アリーナに立っているし、乃木坂5期生のみの番組イベントも成功させ、更に12月にもその番組イベントが控えています。
「新参者」というにはあまりにも大きな彼女たちです。
彼女たちの公演は裏切りの「幅」が最も狭い状態でのスタートだと、朧げに思っていました。
でも裏切る必要なんてないんだとはっきりと突きつけてくれました。
彼女たちは「乃木坂46」という文脈の中の「乃木坂5期生」を圧倒的に魅せてくれていました。
彼女たちのライブは「乃木坂46」というものが常に見えていた気がします。
「乃木坂5期生」の単独公演ではあったのですが、彼女たちのパフォーマンスは「乃木坂46」に奥行きを与えてくれていました。
では「乃木坂5期生」とはどういうものだったのでしょうか。
これは私の感覚なのですが、乃木坂5期生はすんなりと乃木坂46になったイメージがあります。
もちろんこの「すんなり」に彼女たちの血の滲むような努力があったことは百も承知なのですが、それを今考えることは私の中では野暮となっているため、言及はしません。
そしてまた、これは私の感覚なのですが、乃木坂5期生に「集団」というものをあまり感じません。「個」です。繋がりは感じますが。
彼女たちは、全員がエースで4番。
どこからでも誰でも点が取れ、だれがマウンドに上がってもスタジアムを揺らすことができます。
でも、彼女たちは弱さをちゃんともっています。
その弱さが彼女たちを強くしている。そんな気がしています。
これにちゃんと気が付けるのはもっと先なんじゃないでしょうか。
乃木坂3期生がもつ泥臭さ、4期生がもつ不器用さ、そして5期生の弱さ。これが今の乃木坂46の美しさなのかもしれません。
彼女たちの場の掌握の仕方は流石としか言いようがありませんでした。
披露された普段の曲たちに加えて、他の公演ではなかったユニット曲やおひとりさま企画、ピアノ伴奏やギター伴奏、アンコールでの楽曲の厚み、どれをとってもデカいパフォーマンスでした。
それを締める最強の盛り上げソング「I see...」、あまりにも完璧だったと思います。
彼女たちは「体現者」でした。
ありがとうございました。
終わりに
私はそれぞれのグループを比べるのは本当に嫌いです。
じゃあ、お前が今やってるのはなんなんだよ、と思うかもしれません。
でも、これは比べているのではなく、距離をとって遠くから3つのグループを眺めている状態です、
わざわざ隣に無理やり持ってきて測っているのではなく、遠くから眺めているのです。
まあ、「比べてんじゃん」と言われればそれまでですが。
私がそれぞれのグループをそれぞれ好きなのは、こうやってそれぞれの解釈ができるからなのかもしれません。
やっぱり、争うことは面白くありません。
井上さんが最後に言っていたように手を取り合って坂を登っていきましょう。私たちも。
ああ、なんかやっぱ比べてるみたいだなぁ。ごめんやで。
最後まで読んでくれたあなたはありがとうやで。
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