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「長雲」の蔵
私が初めて奄美大島龍郷町の山田酒造を訪ねたのは、2011年の初秋のことでした。光にあふれた記憶と、手元に残る、山田さん親子が半袖を着て写るその日の写真から、南国の残暑の日差しが強い汗ばむような日だったと思います。
その年、私は奄美の酒造組合で一年間の契約スタッフとして奄美黒糖焼酎の蔵を取材して記事を書く仕事にありつき、奄美群島の各地で黒糖焼酎造りに取り組む造り手さんたちの取材に取り掛かったところでした。
山田酒造の蔵がある大勝(おおがち)集落は、蔵の代表銘柄「あまみ長雲」の由来となった長雲山系の山ふところに抱かれるようにして在ります。車で島の中心地の名瀬(なぜ)から国道58号線を北上し、大勝集落に入る道を左折して山側に向かうと道路に木の枝がもっさりと差し掛かり、緑の庇の下、木漏れ日を踏みながら集落の奥へ奥へと車を走らせると、左手に山田酒造の建物が現れます。まばゆい光と緑に包まれた、端正な佇まいの黒いハコという第一印象でした。
蔵で一通りの取材をした後、山田酒造のルーツとなった場所を見せていただきました。蔵から更に山側へ奥に進むと小さな川が流れていて、橋が架かっています。そこはかつて農協の経営する酒造所があり、山田酒造を創業した山田嶺義さんが焼酎造りに携わった場所。焼酎銘柄「長雲一番橋」「山田川」の由来となった山田川(ヤマダゴー)と、一番橋です。
山がちな地形の奄美大島では、わずかな平地に人が暮らす集落が点在し、集落間の往来もかつては簡単ではなかったと聞きます。今のように車が普及し、山をくりぬいてトンネルを通し、舗装した道路で集落が結ばれる以前は、蔵のある龍郷から中心地の名瀬に荷物を運ぶには、きつい峠道を歩いて運ぶ必要がありました。山田川に架かる橋は、名瀬に向かう際に一番目に渡る橋だったことから「一番橋」と呼ばれていたそうです。
徒歩での峠越えをしなくて済むようになった今も、山田酒造が造る焼酎の銘柄に、島の先人たちが生きた歴史が何気なく息づいています。山田酒造の焼酎を口にすると、初めて蔵を目にした時に感じた、光と緑に包まれた端正な蔵の印象が蘇ります。蔵を再訪し、造り手の山田隆さん隆博さん親子にお会いする 度に、そのイメージは少しずつ光を蓄えます。一口飲むごとに、その反照のようなものが私の心を照らし、緑の山ふところに抱かれているような心持ちにさせてくれるのです。
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