醜いティーナ
アリ・アッバス監督の映画『ボーダー二つの世界』が好きだ。友だちに「いい映画ない?」と聞かれたので、この映画を教えたら、料金も払った後で「前に観たの忘れてた。」と言って来た。観たけれど、そんなに印象に残らなかったようだ。それで、私がなぜこの映画が好きかいくつか理由を書いておきたいと思った。(以下ネタバレを含みます。)
主人公のティーナは容姿がとても醜い。人間のようでいて、どこか動物のような顔つきをしている。飛び出た額、大きな鼻、ゴツゴツした肌と汚れた歯。腫れぼったい瞼の奥の小さな目は鋭い。空港の荷物検査の仕事をしていて、特異な嗅覚で犯罪の匂いを嗅ぎ取る麻薬探知犬のような存在だ。ティーナは幼い頃から、自分の見た目や能力に違和感を抱いており、自分を遺伝子異常がある障害者だと感じている。ある日、空港で自分とよく似た顔つきの男を見かける。荷物検査で呼び止め、何か異常だと感じるが、それは何かわからない。やがて、男と親しくなり、実はティーナは男と同じトロールで、ティーナは人間の赤ん坊と取り替え子(チェンジ・リング)されたのだと知る。
私がティーナを好きなのは、地味なところである。醜い容姿で生まれて、社会には何か違和感がある。上手く馴染めていないと感じながらも、空港の職員として真面目に働いている。家には人間の彼氏がいて、合わないながら折り合いをつけて一緒に暮らしている。世界との違和を感じつつも、自分をなだめながら調和を保っているのだ。仕事が終われば、緊張から解き放たれたいのか、森に行く。裸足になり、緑の苔の上を歩く。森の精気を吸う。その表情が好きだ。
それから、ティーナに男が言うセリフがいい。「君は完璧だ。」ずっと世界に違和を感じ、自分は異常で障害者だと感じていたティーナが男に言われる言葉にハッとする。醜くて学校でもいじめに遭っていたティーナ。そのティーナは、実は完璧だったということ。間違っているのは人間の世界で、ティーナ自身はパーフェクトだったのだ。こんな鮮やかなどんでん返しがあるのかと思った。私は障害のある人にあたかも問題があるかのように勘違いしていたのだ。障害があるのは世界の方で、生まれて来る人はみんな完璧である。その人は、その人に相応しい姿で生まれて来るのだ。それがどれほど醜かろうと、他の人と違っていようと、それはみんなパーフェクトなのだ。
それから、ティーナが森の中で裸になって男と一緒に走る姿。動物のように、生き生きと。トロールの姿に戻って。全てのしがらみ、我慢から解放されて、自分が自分自身になる瞬間のあの生き生きした姿。あんなふうに全てを脱ぎ捨てて、裸で私も森の中を走りたいと思った。
最後に、醜いということについて。友だちは「醜さはかんたんな問題ではない」と言ったけれど、私は醜さはかんたんではなくとも重要な要素だと思っている。人間から醜さを取ったらどうなるだろう。私の姿から醜さを取って、美しいだけの人間になったら。ただののっぺらぼうじゃないか。醜いというのは、その人がその人自身であるために重要な要素だ。体型、鼻や顎の形、目の大きさ。整形で直そうとする人もいるけれど、私はもったいないと思う。その人がその人でいるための大事な引っ掛かりを無くさないでほしいと思う。私は私の醜さを愛する。醜い私は完璧だから、それでオーケーなのだ。何も心配はいらない。