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ちるの日記vol.7 佳景を前におそれる

美しい景色を見ると、不意に恐怖感に襲われることがある。

愛するチームの勝利に酔いしれたあと、博多の中心街にかかる春吉橋の上から見た、水面に煌めく中洲のネオン。
熊本のコテージで過ごした夜、満天の星空と、それが霞むくらい強く輝く満月。
翌朝、大観峰から望んだ吸いこまれそうなほどの青空と、阿蘇五岳の深緑。


佳景を前にした幸せなこの瞬間が、自分の人生における一つの極致なのではないか、
そして、ここから先は下る一方なのではないか、と。


思えば、東京ヴェルディの昇格劇も、目下9位につけるここまでの戦いぶりも、ちょっと出来すぎなくらいのストーリーだ。
そして、多くは書かないが、こうして妻と共にアウェイ旅に行けるのも、自分たちにとってはそれなりの奇跡だったりする。

身の丈にあわない幸福はいつまでも続かない、どこかで落とし穴が待っている。そんなことをついつい考えてしまう。
そして、完成された美しい景色の絶対性を前にしたとき、純粋な感動が訪れたあとに、
翻って自分が愛するものの不安定さ、脆さに、どうしても思いが移ってしまう。

2024年7月22日。九州は快晴だった。

寛解こそあれど、完治はない病を抱えて生きる妻。そんな彼女が日傘を回してはしゃぐうしろ姿が、阿蘇の大自然に揺れる。
少し離れた場所でスマートフォンを構え、背の高い夏草の向こうに見え隠れする彼女を撮る。
“二丁も離れた防風林の夕日の中で 松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽くす”という智恵子抄の一節を、ふと思い出す。
ぼんやりとした不安が頭をもたげてくるのを抑えつけ、またシャッターを切る。

この幸せを、いつまでも手元に留めておきたい。そう希うからこそ、怖くなる。

でも、愛のかたちはきっと人それぞれだ。
喪うことへのおそれが先に立つ愛でも、別にいいじゃないか。
その不安が現実のものにならないよう、自分の力が及ぶ範囲で、もがき、闘えばいいのだから。

雄大な阿蘇の原風景は、そんなちっぽけな俺の思いを、きっと肯定してくれる。これから先もずっと大丈夫。永遠という陳腐な言葉を信じようと、自分に言い聞かせる。


夏空に、少しだけ涼しい風が吹き抜ける。ピンク色の日傘が、また揺れる。



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