ラジオ番組におたよりを書くという、小さな決意表明
ラジオを聴いておたよりを書く。
運がよかったか、タイミングがよかったか、番組パーソナリティに読んでもらえることがある。
リクエスト曲を公共の電波で流してもらえたこともあった。好きな曲がもっと特別に素敵に聴こえた。
だけどここ3年くらいコロナ禍あたりから、ラジオを聴く時間が減った。
毎朝聴いていた番組、たまに聴いていた平日午後の番組、日曜日夜のあの番組。終わってしまったものもあれば、なんとなく聴かなくなったものもある。番組と共に生活リズムが刻まれていた場面もあった。
代わりにといっては少々失礼だけど、音声配信を聴くことが増えた。
番組の時間ではなく、自分の気分や生活リズムで聴くものを好きに選べるからかもしれない。
配信者が一人で聴き手に向かって話しているのはラジオを大きく変わらない気もするけれど、距離の近さを感じる。対談ものも好き。
だいたい、どのラジオ・音声配信でもコメントやおたよりを届けられる。書き込みをして、いいねをもらったり、コメントが次の配信で取り上げられたりするとうれしい。
ラジオ放送では番組内ですぐにお返事が聴けるのでうれしい。
あぁいうテンションのあがり方は他に似たものが思い浮かばない。
一人で聴いてにまにまできるうれしさなのだ。
ラジオ番組にははがき職人と呼ばれる人がいる。
番組におたよりを送り、よく読まれる常連の人をあらわす言葉だ。
あの番組であの人におたよりを読んでほしいなという夢があるけれど、その番組リスナーが送り、放送で読まれているおたよりは、どれもとても内容がよい。
だから読まれるのだけど、テーマに沿ったおたよりの内容、パーソナリティが読みやすい長さであることはもちろん、これまでの番組の流れを踏まえた流れになっていたり、さりげなく過去のネタが織り込まれていたり、なにより、ちゃんとオチまである!
聴いているだけで楽しく、あのレベルのお便りは書けない気がしていて、どうも送れない。
自分にとって「おたよりを送りたくなるテーマ」だから送るというよりは、あの番組で読まれたいから送るという動機をもたせるのはあの番組だけだ。
これまで一度も送っていないのだから、読まれない。
長寿番組だから今後もずっと聴けるような気がしているけれど、何事にも終わりはやってくる。
チャンスは毎週1回、憧れのあの番組におたよりを送らねば。
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