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対話のコミュニティの対話会に久しぶりに参加した時間がめちゃくちゃよかった話

今夜は1年ほど参加している「対話のコミュニティ」で月1回ある対話会の日だった。

平日の夜、これが終わったらもう寝る時間なのに、久しぶりに参加した時間がめちゃくちゃよかったので、やや興奮しながら、粗削りかもしれないけれど、書いておこうと思う。


3人1組で話を聴く練習をする「対話会」の日
聴き手、話し手、タイムキーパーと2人の観察役をする、どの役割も回ってくるのだけれど、昨夜くらいから何を話すか、考えている自分がいた。

そのわりにテーマが決まらず、ほぼ雑談のような内容で自分のしゃべる時間を開始した。

対話会に参加するために話すことを考えるくらいだから、私は話を聴いてほしいのだと思いました。みたいな始まりだった気がする。

ひとしきりそのあたりのことを話終えたところで、聴き手の方から受けた質問で話の方向が変わった。

聴き手が手綱をもっているってこういうことなのかしらん。

手綱といっても無理に話したいことと違う方向にもっていかれる感覚はまったくなく、むしろ、相手の聴くドライブに心地よく乗せてもらった感覚。

うまく言葉にならないのだけど、自分がふわふわもやもや話したことに的確な質問を差し出されて、こちらはそこに乗ればひとりでは見られない景色の場所に連れて行ってもらえた感じ。

思いもよらぬ景色を見せてもらえて、とてもよかった。


タイムキーパーと聴き手・話し手の観察をする役の人の観察具合がこれまたおもしろく、話の方向転換がだいたい一定の時間で刻まれている、しかも話し手の区切りがよいところで!という把握までフィードバックがあり、濃い時間だった。

聴いてもらったあの時間、聴き手のドライブに私は全幅の信頼をおいて乗っていたのだな思えるコメントももらえて、するする話せたのはだからか!と心底納得した。こういうおもしろさをこれからも分かち合いたい。


「対話のコミュニティ」という言葉を初めてみたときに、私は話す練習ができるところだと思っていた。
しかし、紹介文などを読み進めると、そこは「聴く」練習をする場ということが書かれていて、自分が思っていたものと少し違う場である気がした。

それでも、自分の思いや考えていることを言葉にしてだして、人と対話をすることができる場に魅力を感じて参加を決めた。


ぬる湯につかっているようなテンションで参加している私がどこまで「聴く力」を身につけられているか、分からないけれど、居心地がよいのだ。

対話で気持ちが満ち満ちた夜、今日、参加してよかった!

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