"STAY HOME"の日々を送りながら、思うこと
外に出ることが少なくなって、1ヶ月強が経ちました。
「予定がどんどんなくなっていく」ことを実感し始めたのが、2月の終わり。
3月7日(土)はもともとトリプルヘッダーで予定が入っていましたが
全てキャンセルになってしまいました。
こんなにも、フリクションで手帳に書いたスケジュールを「消す」作業をしたのは
おそらく今回が初めてです。
3月10日前後に原則リモートワークになり、その後もちょこちょこ出社・外出もしましたが
ここ2週間ぐらいは電車にすら乗っていないし、自宅からおおよそ徒歩10分圏内でずっと過ごしています。
コロナの影響でさまざまな立場の方が、それぞれに大変な思いをしていることと思いますし
その中でも非常に恵まれているほうだと自認しています。
(医療従事者のみなさん、サービス業や生活インフラを支える産業に従事されているみなさんには
ほんとうに、頭が上がりません。。。)
こういう時だからこそ、本来の自分が顔を出す。
いざ予定がなくなって思うことは、
これまでいかに外的な要因で自分のスケジュールが組まれていたのか、ということ。とくに週末。
普段は主にタッチフットの予定があり、去年は相当な頻度で野球場へ足を運び、
1日まるっと休める日って年に何回あったかな、という感じでしたが
外に出なくて良いのであれば、ひたすら家に居られる。
自分の根底にある「引きこもり」的な性分が、ここぞとばかりに出てきています。
そうなるといよいよ、一人ひとりの「自律心」が求められているような気がして
人類がコロナウイルスに「試されて」いるんじゃないか、そんな感覚になってきます。
自分を律する。
たとえば、通勤時間や外出の予定がなくなってできた時間の使い方を「律する」こと。
ただただ「自粛」と称して無為に過ごすのももったいない。
この先に待っているのは「アフターコロナ」なのか、「ウィズコロナ」なのか。
次のフェーズがじわじわくるのか、あるきっかけを境に一気に変わるのかは分かりませんが
サナギのようにじっとしつつも将来に備える、そんな時期なんだと捉えています。
経済的な補償については政府や自治体が実現に向けて動いているけれど、
この「自粛期間」を時間として取り戻すことは、誰にもできないので。
あとは、あれがしたい、どこにいきたい、といった
外出することで満たされる欲を「律する」こと。
色々な予定がなくなったことでの喪失感は拭いきれません。
ただそんな中でも、少しでも「足るを知る」「すでに持っているものに目を向ける」とか
「限られた活動範囲の中で、自ら幸せを見出していく」スタンスでいることが
日々の生活に充実感をもたらしてくれるのではないかと思っています。
(個人的には、たまに外に出た時の陽のあたたかさとか
雨上がりの青空とかにありがたみを感じるようになりました。)
1日でも早く状況が落ち着いて欲しいなと思うし
また外に出られるようになったらやりたいこと、行きたいところ、会いたい人などなど盛りだくさんなので
微力ながら、こんな心持ちで “STAY HOME” を続けていこうと思います。
お互い無事で、また会える日を願って。