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夢や目標は一歩間違うとただの妄想

夢や目標はあった方がよいのは間違いない。
ただ、それらをボヤァと思い浮かべてるだけなら妄想に過ぎないと思う。

例えば過去に私は

こういうnoteのシリーズを書いたりしたことがある。
こちらのシリーズは「文章を書くにあたってクセェ文章、スケベ心の何がダメだって言うのよ!」という疑問を綴った作家志望の方の言葉を引用しながら「クセェ文章、スケベ心のある文章」のどこがどう不味いのかを根掘り葉掘り書いたものである。
(素人くさーい文章から抜け出したい方には特に重要と思われる内容をしつこく書いてるシリーズである。このシリーズの内容を理解できる人とできない人では筆力に雲泥の差があるはず。特にシリーズの3がきも)
この中でこの作家志望の方は

うまい文章を書きたい。人を感動させたい。共感してもらいたい。それは創作をしている以上、当たり前の感情な気もします。
だって、創作の文章rtr ってそういうものじゃないですか?

クセェ文章、スケベ心?そりゃアカンわ。そりゃあね。

とおっしゃっていたのですが。
この

うまい文章を書きたい。人を感動させたい。共感してもらいたい。

という抽象的な目標だとまだ「妄想」に近いレベルだと思うんですよ。
逆に言えば、夢や目標を妄想ではなく実現するには抽象レベルでとどめず具象化する必要がある、ということだと思うのね。

例えばの話、目標が「画力向上」だとするじゃない?
そしたらさあ、こういう抽象レベルだとザックリすぎてどう実現すれば、どこから手をつけなければいけないのかわかんないじゃん。
そんな抽象的なお題目唱えたって上手くなんかなれないのよ。たぶん。

例えば自分ではチャレンジしたことないタイプのキャラをすごくカッコよく描く絵師がいるとするでしょ?
すると自分も描いてみたくなる(らしい、どうやら。現在の私は他人の絵を見ても「そんな風に描きたい」とか思わないけど。私は自分の絵に満足はしてないけどある程度納得はしてるので)

じゃどうやって「チャレンジしたことないタイプのキャラをカッコよく」描く?
まあ大体はよくてインスパイアで、悪いと見ながらとかトレースするんだろうね。

でもこの状態だと「チャレンジしたことないタイプのキャラをカッコよく」描けたことにはならないんだよねー。
だって抽象的なので。
抽象的ってことは具体的にどうやったら実現できるのかわかってない、ってことだから。

んじゃさあ、どうやったら「チャレンジしたことないタイプのキャラをカッコよく」具象化できるか?
っていうと、分析と試行錯誤しかないのよ。
(分析ゴリマッチョかく語りき)
例えばカッコいい目力強いキメ顔描きたいとするじゃない。
でもさあ目力強く!とかいきなりやろうとしても「その目力はどうやって実現しているのか」「そのキメ顔の表情のバランスを外すとどうなるのか」とかわかんないのよ。初めてだと。

割とよくある勘違いで例えばカチッと見据えるようなやや上目遣い目とか描こうとして、「ただの感じ悪い三白眼」になる人とか案外多いのよ。
感じ悪くならないための表情のバランスってものがあるんだけど、それは試行錯誤しないと見つからないのよ。
自分で試さないとそれはわからない。
だって絵師ごとの絵柄の違いってのもあるから。
自分と違う絵柄の人の描いた表情を自分の絵柄で正確にしかもカッコよく再現するの、案外難しいものよ。

そもそも「カチッと見据える目」描くのも試行錯誤必要なのよ。
試行錯誤の末に自分の絵柄に合ったバランスってものがあるので。
私は「カチッと見据える目」の研究は中学生からやっているのでかなり年季が入っているけど。
長年研究してて思うのは「見据えてるように」描けるようになるのって本当に時間かかるわよー。
コツを飲み込むまでかかるというか安定して再現できるようになるまでがかかるというか。

あと例えば漠然と「カッコいい」とか言ってもどんなカッコよさかわかんないじゃない。
細面イケメンなのか漢と書いて「おとこ」と読むタイプなのかとか。
だから私は「カッコいいメンズを描きたい」とか思わないのね。
そうじゃなくて例えば「一見爽やかだけど眼に剣呑な光を讃えることもありちょっと変態入っててでも好きな子ができたらだんだん真人間になってくるお兄さん」とか「口数は多くないが忠義に篤く人品も高潔で武勇に長け膂力に溢れるのに義侠心や同情心にも溢れるおとこ」とか超絶具体的なキャラ設定をしてから描くわけ。

でそうやって描くと結果相方が「チョーカッコいい!」と大量にハートを飛ばしてくれたりする。
でも私的わたしてきには「カッコいいキャラ」を描いたつもりは毛頭なくて「超絶具体的にこんな特徴の人に挑戦してみた」「超絶具体的にこんな特徴の人がこういう感情を持ったらどんな表情になるのか描いてみた」とかいうのが実感なわけ。
まあ相方以外の人から私の絵がどう見えるかは知らんけど。
相方が喜んでくれるのでとりあえず描いちゃう。

相方の本気の喜び方って社交辞令とかの感じじゃなくてタガが外れた笑い人形みたくなるのですごくわかりやすいのよ。
なのでそれを指標にさらにより具体的にくっきり描けないかまた試行錯誤するわけ。
社交辞令じゃない生の反応って大事。
さらにどこがどう描けてるのか具体的に細かく教えてくれる人って大事。
少なくとも私はそうやって自分の絵を改良してきた。

まあ話がちょい脱線気味だけど、要は抽象的な目標立ててもその通りに描くことはできないのでできるだけ具体的な方がいいって話。
絵じゃなくても「将来こうなりたい」って夢だとしても「じゃあどうやって?」「『具体的に』どんな人になりたいのか?」とか具体化していくほど実現可能性が高まると思う。
だって脳内で具体的であればあるほど、どうしたらよいのかの道筋も見えやすくて、実現可能性が高いと思うから。
絵でも描きたいイメージが具体的であるほどはっきり描けるから。

なので遠い陽炎かげろうのようにぽかんと遠くに浮かんでる夢や目標をいきなり目指すより、目標を具体的に細分化して近いところからコツコツ達成した方がいいと思うのね。
闇雲にどうやったら到達できるのかわかんないものに一気に食らいつこうとするより、ずっと確実に実現できると思うのよ。

なので、夢や目標は大事だけど、それは遠くで眺めるのではなく、自分の足元からそちらの方向に具体的な道筋を分析・現実的に細分化しながら組んでいく方が確実に実現できると思う、っていう話。

私の絵は一点はっきり主義である
一点はっきりしてるとこがあったら全部描かんでもええわ
という横着主義である
根気がないからね。

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