死んだ線と生きた絵〜ペン入れが致命的に苦手な理由
※このnoteはあくまで「一枚絵」の話で、「漫画」の話ではありません。
私はペン入れが致命的と言えるほどに苦手だ。
正確に言えば下書きの上になぞり描きするペン入れが苦手だ。
なぜならなぞり描きした線はもう死んだ線だからだ。
たぶん、私が特別なぞり描きが下手くそなだけなのだと思う。
もうひとつ、アナログ時代でも付けペンが苦手だった。
練習をいくらしても思い通りの線にならなかった。
鉛筆描きや他の画材は大丈夫なのだが、とにかく付けペンは理想の線にならなかった。
とにかく下書きと比べたらペン入れの清書はもう死んでいるのだ。
生きてない。
生き生きしていない。
抜け殻である。
下書きの絵に似た別の何か…言うなれば人間のふりをしたパラサイト(from 寄生獣)のような違和感に耐えられなくなるのだ。
そもそもそれによって下書きと清書のペン入れに結果的にどんな違いが出るのか?というと、
アイキャッチの有無である。
キャラの表情は形だけそれっぽくなぞった虚ろなものになるし、
ポージングは力の入らない大根演技になるし、
結果人目に止まらないモブキャラと化してしまう。
結局、絵ってのは一期一会で、描こうと思った絵をどれだけ脳内イメージ通りに吐き出せるかの、特に極限の努力はその絵につき一度しか投入できないのだと思う。
とはいえその時理想に届かなかった悔恨があると、再度チャレンジというのはよくある。
それでもその時点でできうる限りの全精力を傾けたその絵は、その後に再チャレンジした絵とはまた違う。
再チャレンジした場合は、また前回とは違う箇所も加えた新しい理想に向かって全精力を傾けることになる。
なので、再チャレンジした絵はまた別の新しい絵ということになる。
やっぱり絵は一期一会だ。
あくまで私の絵の場合は、である。