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神話の語り手よ、そこに拘るか?
太古の海洋ヌンから生まれた最初の神アトゥムの右手は女性である。
古代エジプト神話は実におおらかだ。
エジプト神話のいわゆる文献は、その多くが王墓に刻まれたもので、まとまったひと繋がりの物語として残るものはごく僅か。それも地域によって、或いは神官団の勢力図によってキャラクターとしての神々が入り乱れていると言う。
太陽神ラーを、先に書いたアトゥムと同一視する場合もあるらしい。
また同一視には至らずとも、物語として纏まりを持つイシスやセト、ホルスの話と繋がってゆく。
冒頭、わたしがおおらかだと書いたのは、そのイシスやセトの物語において、男女間の愛憎や性行為がストレートに盛り込まれていることを指す。
アトゥムとは、いわゆる最初の自我であり、その体から空気と湿気を生み出す。
これは男神女神のペアで、シューとテフヌトと言う。その子供がゲブとヌトと言う大地と天空の男女ペアの神で、いつも絡まり抱き合う、要はいわゆる睦み合いっぱなし←だったためにシューが引き剥がし、世界は大地と空に別れたと続く。
(引き離されたゲブとヌト)
Wikipediaより。パブリックドメインの記載有り。
そしてこのふたりの子が、オシリス、イシス、ネフティス、セトの四神なのだ。
これらの神々をエジプト創世神話の九神「Ennead」と呼ぶ。
勿論四神も兄弟姉妹で夫婦になるわけだが、不倫あり、男性器を魚に食わせると言う暴挙ありと、愛憎たっぷりの実に賑やかなストーリー展開を見せる。
さてさてアトゥムだが、彼だけはペアとなる女神がいない。
それでは「シューとネフヌトがどうやって生まれたのだ、解せぬ」と、語り継いでいくにあたりどこかの時点で問題になったようだ。
(或いは最初に物語が作られた時、ペアの存在しないアトゥムにどうやって子を持たせるかを考えた、とも)
神話なるもの、そこはそれで良いではないかと言いたいところだが、そうは問屋がおろさぬとばかり、このような解釈が生まれた。
「アトゥムは男性性に女性性を併せ持つ。その女性性とは右手である」と。
おわかりだろう。
アトゥムは自慰によって子を成したと言う事だ。
「嫁は右手」
実に実直だ。(−_−;)
「男性性に女性性を併せ持つ」だけでもよかろうに。
配偶神とされる女神がいるが、これはアトゥムの右手を擬人化(擬神化か?)した物だと言われている。
古代と言っても、遡れば遡るほど感情や快楽の発露はオープンだ。そこから禁忌が生まれ共同体の掟が定まってもくる。
神話に登場する御仁達も、思いのままに無茶な行動に出れば、厄介事がやってくる。
神話は時代時代で解釈が変わったり後付けがあったり、統合されたりもする。
その軌跡を追うと、その時々の社会の成熟度が垣間見えるようだ。
神話とは、現在に至るまでその変容してゆく過程までもが、理に対する説明を含んだ物語だと思えてならない。
そして偉そうに言えば、それを面白く感じる事が、わたしが神話に触れる動機のひとつになっているのかも知れない。
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![吉田 翠*詩文*](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/95218590/profile_9dba4d3876244d33cb4e6135eeeaca14.png?width=600&crop=1:1,smart)