伝承からうかがい知る背景情報
この記事は遠山美都男氏の著書「卑弥呼誕生」の中から神話部に出したいと思った部分について抜粋し、要約しながら書いたものです。
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とある神話・伝承の話をしてみたい。
古代中国人の中にあった東方や東海世界への幻想である。
朝鮮半島北部から中国東北部の日本海側に住む東沃沮という民族が持つ伝承にこのような話があるという。
「海中に女国有り。男人無し。或いは伝う、其の国に神井有り、これをうかがうにすなわち子を生めり」
神の井戸をのぞみこむと子供を授かる女の国ということらしい。
なかなか文字の変換が難しいので、次は現代語約をそのまま。同じ東沃沮伝の一節だ。
「風に流されてたどり着いた東方の島では言葉が通じなかった。その島では何でも毎年七月になると、幼女を沈めるという。海中に国があってそこには女しか住んでいないらしい」
文脈からこの場合の女国とは「女だけが住むパラダイス」を意味していたようである。
この東沃沮伝の女国の伝承は西暦250年頃、魏にもたらされたのではないかと言われている。
続いて中国神話にある扶桑国についてである。
「東の海上にある扶桑国とは扶桑樹が多く生えていることに由来する名だが、この木は神木で、民はこれを食しているという。そしてこの扶桑国から更に東に行くと女国があり、そこに住む女はみな容姿端麗で、二月三月になると水に入り妊娠する」
日本には、扶桑国と言う別名があったとも聞く。
(扶桑略記という平安時代の私撰歴史書が存在する)
また東の海の先にある蓬莱山に行けば不老不死の仙薬が手に入るとされている。
これまで書いて来た「女国」とは別に、『北史』西域伝には女によって統治される国の存在が書かれているという。こらは中国西方の話であり、東海とは別のものである。
魏志倭人伝が書かれたような時代は、元々東海や東南海のような辺境の地は、未開・野蛮な異民族が暮らす地と考えられていた。
その上で「女(しかも美女)だけが住むパラダイスを意味した女国」が「女王によって統治される国」へと、認識が伝承から現実性をもって変化していったのでは無いかと著者は言う。
ここまで伝承という背景情報を書いて来た。
それでは、である。それでは果たして卑弥呼は王であったのか。
軍事的統率を行っていた弟の傍らで祭祀を司る権威者卑弥呼は、王であったのか。
因みに魏志倭人伝において卑弥呼を「邪馬台国の女王」とする記載は、無い。
邪馬台国ではなく「其の国」と記載され、また文脈から、其の国とは列島全体をおおよそ包括する「倭国」を差すようだ。邪馬台国は卑弥呼が住む場所であり、倭国の首都のようなものだ。(そもそもは列島の連合体を構成するクニのひとつ)
魏志倭人伝を含む三国志を編纂した陳寿に、軍事・祭祀という両輪による独特な統治が理解の中にあっただろうか。
また東沃沮伝の女国の伝承がもたらされたのは、まさに陳寿の生きた時代だ。刷り込みがあっても不思議では無いと著者は言う。
大乱を経て、すでに関東から九州までゆるやかな連合体となっていた倭国。(考古学上の知見によって裏付けられている)
果たして卑弥呼は、その倭国の最高首長たる王であったのか。
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この先は神話部から離れるのでここまでとしますが、著者である遠山氏は、これ以外にも多角的に様々な検証を提示し、卑弥呼が女王であるとは思えないとした上で「卑弥呼とは何なのか」について考察されています。
少し前に、思想史家の先崎彰容氏がテレビ番組でこのように発言されていました。(意訳です)
「日本の神話がなぜあのような形にまとめられたかと言えば、(公的に)自国のストーリーを持たなければ、大国のストーリーの端っこに組み込まれてしまう(事を当時の日本の王権周辺がよくわかっていたからだろう)」
これを聞いた時、おこがましいですが、わたしは自分の歴史との向き合い方は正しかったのかなと、嬉しくなりました。
もし、記紀と言う国書が無ければ、わたし達の遠い祖先は、女ばかりのハーレムに暮らす民族だったと語られていたのかも知れませんね。