掌編 目の覚める赤
神話部お題 紅玉/ルビー
千文字以内掌編
掌編 目の覚める赤
バリ島。
流行りのパワースポットブームに乗ったわたしは、深い意味を知っている気になっていただけなのかも知れない。
「山のずっと上の方にゴツゴツとした古い岩がある。むろん火成岩じゃ。ただ普通の岩と違うのは…… 目がついておる」
今日訪ねたアグン山の麓。バリで一番高い火山だ。
通訳のガイドさんを通して聞いた、古い村の老人の話はこうだった。
はっきりそれとわかる丸い石が、岩に埋め込まれたように貼り付いている。その目が時折りキラキラと赤く光ると言う。
アグンの南西麓にはバリヒンドゥーの総本山がある。この赤い目を持つ岩は、シヴァ神を下に従えているのだった。
ならばそれがサン・ヤン・ウィディか?
いや、それは違う。
バリヒンドゥーは、近年になってインドネシア政府に認めてもらう為に多神の上にサン・ヤン・ウィディと言う絶対的な神を作り上げ、一神教を名乗るようになったと聞く。
「紅玉と呼ばれるそれを狙う不届き者もおるが、手を近付けると大火傷をするんじゃ…… それにわしは見た。目玉が燃え上がるのを見たんじゃ……」そう話す老人は、軽くウインクをしながら自分の手をさすってみせた。
──嘘か本当か ──
時折り息を吹き返す溶岩の塊。バリヒンドゥーの神々を見下ろす目。さっきとは違う眼差しを向けて、老人は低く唸るような声でこう続けた。
「火山の中で煮えたぎるのは大地の血」
ヒンドゥー教が、仏教が、この島にやってくるよりも遥かに古い時代、ここにも土着の信仰があったに違いない。
バリヒンドゥーは、土着の民族信仰と、インドヒンドゥーや仏教との融合…… それは「神秘」や「不思議」とは離れた、土地の人々の中で当たり前に存在する生活の一部なのかも知れない。
興味本位に話を聞こうとする外国人。それに対する、あしらいの態度を老人から感じた。
わたしは前に目にした本の一節をふと思い出した。
『民族信仰は、つつがなく生き抜くための知恵であり、生活に根差した文化である』
赤い目の岩は、その土地とそこに生きる人だからこそ、意味を受け止める事ができる存在だと言う事か。
老人の話の途中、まさにパワーストーン!と言いそうになったわたしだったが、いわゆる「スピリチュアル」を簡単に語る気持ちが失せていた。
ホテルのテラスから眺める美しいビーチ。わたしはこの島の観光をただ楽しもう。
古に存在したであろう信仰の片鱗を呼んでいるのだろうか。
風に乗ってガムランの音が聞こえてきた。
(了)
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紅玉のくだりは、それこそ真っ赤なわたしの作り話で、それに類する話は実際カケラも聞いた事はありません、はい←
ルビー→赤→血→溶岩→そうなるとわたしはペレに行ってしまうので、なんとか違うものをと、こねくり回しました。(溶岩に行く必要は無い!とも言う)
インド文化がバリに来たのは8世紀頃の事。古代詩の朗詠にも必須であるガムランは、青銅文化で知られるドンソン文化(紀元前4〜1世紀)の影響を受けているとも言われます。
ガムランはインドネシア各地でそれぞれ特徴があるようです。因みにコチラがバリガムラン音楽です。