掌編 嘘か真か姐さんの傷
神話創作文芸部
お題 【戒め】
大晦日、娘とお節の用意をしながら、ふと遠い日の出来事が脳裏に浮かんだ。
その年の暮れは帰省せず、下宿先で年越しをする事になったのだ。昭和もまもなく終わる頃の話だ。
「お節のひとつも作れないでどうすんだい!」
その昔柳橋の売れっ娘芸者だったと言う下宿屋の菊乃おばさんは、50丁度。料理の腕もたつ。
「そんな事言ったって、今時は買って……」
「なんだって?」
結局なんやかんやでわたしは台所を手伝っていた。まずは胡麻豆腐を作ると言う。
「いいかい、油が出てくるまでよ〜っく擦るんだよ」
わたしはすり鉢のゴマをこれでもかと言うほどに擦った。集中すると我を忘れる癖がある。
「もういいよ」
わたしは聞いているようで聞いていない。
「もういいって言ってんだろ!」
そこでやっと手を止めた。
「まったく…… 火が出ちまうだろ!」
「ありえないよ」
「ところがあるのさ。同じ置屋にいた娘の話さ。いい人を盗られたって言いながら、喧嘩腰でいつまでもぐりぐりすりこぎを動かしてたら、乾いたとこで摩擦が起きたんだろうね。パチっとなってゴマの油で一瞬火が立っちまったんだ。慌てたその娘は棒を振り回して自分の眉の上にたんこぶこさえちまったよ」
「嘘だね」
「いやほんとさ。そんとき置屋の女将、周りが見えなくなるまで男に深入りするなって戒めだよ!って呆れちまってたんだよ」
その後年を越し、おばさんとテレビを見ていたら、特別な薪をくべて火を焚く護摩祈祷が紹介されていた。護摩とはインドから伝わった、火を捧げる宗教儀式が由来だと言う。
「ゴマだって!ゴマ油の火は神様仏様の火だ!」わたしは素っ頓狂な声をあげた。
「なんだい、近頃の学生ってのは馬鹿なのかい。字引きを引いてごらんよ、字が違うだろ、まったく。あんたも周りが見えなくなるまで何でも前のめりになるんじゃないよ」
嘘か真か。そんな話を思い出したのは、新しいカレンダーの写真に目が止まったからだった。古代ギリシャの音楽堂と書かれていて、球体の下半分をくり抜いたような姿だ。
「お母さん、その写真すり鉢みたいね」
まるで神様のすり鉢。そう思いながらわたしは菊乃おばさんと、あの時口にしなかった事に思いを馳せた。
わたしに説教を垂れるおばさんの眉の上に、うっすらと傷があった事を。
おばさんには料理以外にも、ふとした立ち居振る舞いなどを教わった気がする。柳橋芸者だった菊乃さん、今も達者でいるのだろうか。
「ほんと、すり鉢ね」
〈了〉
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どうしても、音楽堂とすり鉢の話書きたかったので😅ええ、音楽堂とは企画の写真です、はい。
「意気」と「張り」が看板で、辰巳芸者と言われた深川芸者の流れを汲む柳橋芸者。
当初は新橋より上座でしたが、隅田川のいわゆるカミソリ堤防の工事によって街が風情を失い、昭和40年代には廃れていったという事です。
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