夜にしがみついて、朝で溶かしてライナーノーツ#1
1.料理
これを書くにあたって今、初回限定盤の歌詞集を見ながら聴いていたら見つけてしまった。2番の「だけどさ」と歌っているところが「だからさ」と印字されている。
私は数か月前まで、印刷物を作る仕事に関わっていたので、締め切り前になると校正作業を何度もして間違いがないか確認していたことを思い出した。時には夜中に眠い目をこすりながら、ほとんど回っていない頭を無理やり稼働させながら、誰かに何かを言われて悔し泣きしながら。でもメインである営業があまりにも出来なすぎて校正をしている時が嫌いな仕事の中でも唯一心安らぐ時間だった。一文字一文字と向き合うその時間は他のことを考えずに夢中にその中にのめり込む感覚で、「あ、私って人より文字と向き合う方が性に合ってるのかも」などと思ったこともあった。間違いは初めから無いに越したことはないのだが、間違いを見つけた瞬間は自分の存在意義を見つけた瞬間のようで鼻が高い気分になる。こんなちっぽけなことで満たされるなんて、なんてエコなんだ自分。でも人のそういうのってできる限り見つけないで終われた方が幸せな気がする。
印刷物はネットの記事と違って一度印刷してしまったらもう元には戻せない。その緊張感がある。でも案外、ミスに気付いてもほんのちょっとくらいなら誰も何も言わなかったなぁ。(もちろん怒られる時もある。)見つけても見ないふりできた方が勝ちの世界もある、気がする。ってちょっと知ったかぶってみる。
だけどさ、この誤植はミスじゃなくて私の存在意義で、とても愛おしく思えて仕方がない。
だからさ、ずっとこの歌詞カードを大切に持っていたいと思います。
2.ポリコ
私は2か月ほど前まで1年間、お笑いの養成所に通っていた。最近はコンプライアンスに関する授業が必須。これを受けなければ卒業資格をもらえないところもあるそうだ。お笑いの世界さえありとあらゆるところに気を遣わなければいけない時代らしい。私はネタを作る時、誰かを傷つけてしまうのは仕方がないことと思いつつも、なるべく傷つく該当者を狭めて作ってしまっているし、少なくともその刃は自分に向けて作っていればいいだろうという安直な考えの元でやってきた。そんな保守的なネタは一体誰に刺さるのか、、、こんな反省は後でひとりでやることにします。
3年前、尾崎世界観の歌詞世界in道後という、クリープハイプの歌詞が道後の街中に展示されているというたまらないイベントがあった。私はそれを機に初めて愛媛に行った。アートと日常が交差している世界は、ここに誰かが住んでいるというリアルとまるでどこかに吸い込まれてしまった先の、夢でしか見たことがないような景色の中にいる不思議な感覚になった。私が訪れた時、始まって数か月が経っていて展示の歌詞がちょっと汚れていたり削れていたり落ち葉が覆っていたりしていた。見に行くことによってこの展示を汚している一人になった気がして、多少の申し訳なさと汚すことでこのアートの一部になれているような気がして嬉しくなった記憶がある。むしろこれは綺麗にすることになんの意味もないと思う。汚すことは基本的には不快だし喜ぶ人はいないだろうけど、こんなこともあるんだなと初めて教えてもらった。
ここまで書き終わって今、うしろで猫の虎太郎がトイレ終わりに物凄い勢いで手を拭いている。
綺麗になってるかどうかよりも、その行為自体に気持ちよくなっているのかもしれないと虎太郎を見てふと思った。
3.二人の間
コンビ間の沈黙というのはあって当たり前だしもはや気まずいという感情さえも生まれないほどに自然で当たり前の時間だと思う。2人でネタ作りの最中に考え込んで、もう30分以上は経ってるよね?ってくらいから、あれ、今同じこと考えてるんだよね?と何となく確認するのも、他の話しさえも出しにくくなることもあったけど。ま、これは2か月でコンビ解消したうちの1か月目くらいの時のことだから、ほぼピンネタをしていた自分が言えるものでもないか。
何年も何十年も一緒にいるとちゃんと言葉で伝えなくてもアレとかコレとかで通じることがあるように、「音以上気持ち未満の隙間にある空気」が作る二人の間が確実にその人たちの色になっていくのだと思う。
ダイアンのお二人の正反対の声質なのに、漫才の時の掛け合いのような心地よさを感じる不思議。クリープハイプバージョンだとそのデコボコした感じではない、尾崎さんとカオナシさんの関係性がわかるようなハモリが心地よかった。
私も早く「二人の間」を共有できるようになりたい。
4.四季
私がクリープハイプに出会ったのは2017年3月7日。まだ少し寒い冬よりの春っぽい日。だから毎年その時期になるとあの時夢中になって聴き始めた頃を思い出す。なんか、ちゃんと春に出会っちゃってる感じが自分ぽい。もれなくって感じで普通で。
あの日から私はバンドの音楽に初めて夢中になるのだけれど、いろんな初めてをクリープハイプからもらった気がする。3月に出会って6月には初めてのライブハウスにひとり行って、薄暗くて靄がかかった怖い場所という印象を覆した。夏はフェスでもみくちゃになってでも前に行きたいという感情に初めてなったし他のバンドのファンと入り混じる中、グッズを身に付けて誇らしい気持ちになった。それから私にとってフェスは、普段は比べることはないけど他バンドファンの中にいることでより一層クリープハイプへの愛を確認してさらに強める場所になった。年に1~2回しか行けないからちょうどいい。秋は大事な日が増えたし冬はクリープハイプが私の地元に来てくれた日で大切な出会いもあった。そういえば私以外の家族4人が全員インフルエンザにかかって一緒に行く予定だった妹を置いて一人会場に向かったんだっけ。前から2列目でちょうど私の席の真隣を尾崎さんが通ってどさくさに紛れてタッチしたことはひそかな自慢。柑橘系の香りな気がして、別に誰に言うわけではないけど尾崎さん=柑橘系というのは私の中の定説。気持ち悪くてごめんなさい。忘れてもまた思い出して幸せになれる日がいっぱいある。
5.愛す
この曲を初めて生で聴いた日、尾崎さんは金髪だった。最初のギターの音色がなぜか私の頭の中では、何かを言い出す前に軽く深呼吸する様を表しているような印象を持った。ギターなしでマイクに手をかけて歌う尾崎さんの姿が、その語りかけるような印象を強くしていたし、静かな曲調に合わせた照明が金髪と相まってさらに舞台上が輝いていた。
自分の気持ちを素直に伝えるって身近になればなるほど難しい。「逆にもうブスとしか言えないくらい愛しい」というのは言い得て妙だと思う。ブスって言われた側は多少イラっとはするでしょうけど、ちゃんと関係性がなければ言えないという大前提を共有した先の話。例えば寝顔を見て「ブスやなぁ~笑」(なぜ関西弁)とかは愛がある感じがしてよくないですか?それは言われたいかも。
そんな妄想は置いといて、最後の「メイビーダーリン あ、今いい」が「曖昧」ではなく「あ、今いい」ってことを知りました。言葉遊びはやはり耳で聞いてるだけじゃ分からないことも多いですね、意味も全然違ってくるし。恐るべし尾崎さん。
まだ1/3なのに恐ろしく長くなってしまった。
ほとんど音楽についてではなく音楽を聴いて連想した自分の話ばかり。
自分の事ばかりで情けなくなるよ、まったく。
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